メンヘラ経歴その2〜精神科への通院と摂食障害、アルコール依存症〜

メンヘラ経歴第2回目。1回目は一部家族のセンシティブな内容があったため有料(100円)にしましたが、今回は無料です。

中2の二学期に中高一貫の私立高へ編入した私。勉強は大変そうだけど、ここならばうまくやっていけそうな気がしました。

しかし、そこで待ち受けていたのはスクールカースト。それまでは僻地の全校生徒20名ほどの環境にいましたが、ここで一気に1クラス40名×4クラスに飛び込むことになります。人は増えるとヒエラルキーができあがります。特に女子の場合のスクールカーストは顕著で、頂点はオシャレでノリが良く流行に敏感な子、中間層、そしてアニメや漫画が好きなオタクの底辺層に分かれていました。

見た目でもすぐにカーストはわかります。上位の子はウエストを2〜3度折り曲げたミニスカートに校則違反の化粧、中間層のスカート丈はウエスト1度折り、そして底辺は膝丈で、身なりに気を使っていないようでボサボサの髪の毛でした。

転校初日に声をかけてきてくれたのは底辺の子でした。しかし、底辺層の中でも嫌われている子だと後にわかり、ちょっとずつ私も距離を置くようになりました。(お弁当の最中、突然「これちょうだい!」と人のおかずを取ってきたり、とにかく「ちょうだい」攻撃が多い)

私は親の目もあり、底辺でいることを強いられました。

「あなたは数学ができないのにこの学校に入れてもらえたのだから校則は守りなさい」と。

身だしなみの一貫として髪の毛は整えていったけど、スカート丈は膝丈を守りました。一度、二度折りしているのが母にバレ、ひどく叱責されたものです。

底辺でいるだけでカースト上位の子たちからヒソヒソ話で笑われることがありました。「キモ!」と通りすがりに言われることもありました。「姫野キモい」と書かれた紙を教室の後ろに貼られていたこともあります。犯人はわかっています。その犯人が約15年のときを経て、FBでのうのうと友達申請をしてきたときは笑っちゃいました。承認して、今の私を見せつけているつもりです。

一度、中間層の子と仲良くなろうと、「飴ちゃん作戦」を実行していたことがあります。飴を配り、そこからコミュニケーションをはかろうとしたのです。一時的にうまくいったものの、その場限りで続きませんでした。そして、飴を学校に持っていっていることが母親にバレ、これもまた怒られました。自分が食べるためではなく、友達が欲しくて持っていっているとは、そのときはうまく説明できませんでした。

また、リストカット癖がひどくなり、不眠に悩まされる日も増えました。そうこうしているうちにエスカレーター式で高校生活へ。高校は少し校則がゆるくなり、サブバック登校がOKでした。(中学までは巨大なメインバッグ+サブバック)

しかし、小さなサブバックに荷物が全て入るわけがありません(だから置き勉している人もいた)また、洋服屋やCD店のショップバッグに体操服や弁当などを入れていくことは黙認されており、うちの親もそれには何も言いませんでした。当時、宮崎にスタバがなかったので、スタバのトートバッグを持って登校するのが最高のステイタスでした。お隣の鹿児島県のスタバに行ったんやぞアピール。

とにかく進学校で勉強が大変なこと、クラスのカースト上位女子が怖いこと、そして家でのストレスで、この頃はとにかく早く家を出たい一心でした。だから、卒業して進学のため上京したときはようやく解放された!!!!と清々しかったものです。

また、家にいることがかなりのストレスだったようで、生まれたときから抱えていた頑固な便秘が一人暮らしを始めただけで治りました。今まで便秘解消のためのお茶や下剤で手を尽くした便秘が親と離れただけで治ったのです。

大学はスクールカーストなど存在せず、楽しく過ごせました。リストカット癖もなくなりました。ただ、同時にバンギャル活動を始めたので、仲が良いのは学校の友達よりもバンギャルの友達ばかりでした。

大学3年の秋から就活が始まりましたが、ちょうどリーマンショックの時期にあたり、全く内定が出ません。だんだん、自分が世に必要とされていない人間と思い込み始め、このとき初めて精神科を受診しました。抑うつ状態とされ、抗うつ薬と安定剤、睡眠導入剤を処方されましたが、はっきり言ってきいているかどうかわかりませんでした。

食欲も極端に落ち、一ヶ月で体重が10kg近く減りました。就活のスーツはブカブカです。これは摂食障害の取材をすることがあって後で、「あ、あのときの私、摂食障害だったんじゃん」と約10年後に判明しました。

そのうち私はお酒と薬を合わせ飲みするようになります。そうでないと寝られないのです。多いときは一晩で7Lのビールを飲みました。完全にアルコール依存症です。好きなバンドのライブに行ったときも、ドリンクチケット代として最初に払う500円だけでは当然足りず、現金で酒を買って飲み続けながらライブを観ていました。

就活をあきらめかけた卒業式2週間前、ようやく内定が出ました。滑り込みです。しかし、入社すると全く仕事が合わず(ADHDとLDの私が経理をやるなんて無茶です)帰宅したら毎晩アルコールを摂取する生活が始まりました。毎日死にたい思いしかありませんでしたが、好きなバンドがいたため、この日まで頑張ればライブだと、ウォッカの瓶をラッパ飲みしながら、ライブだけを生きがいに働きました。

精神科へ通うのと薬は勝手にやめました。でも今思うと、通っておくべきだったと思います。

会社を辞めたくて仕方がない。でも、3年続けないと転職に不利になる。本気でそう思い込んでいて、毎日死んだ魚のような目をして会社に通いました。ときどき、リストカットをしながら酒を飲むこともありました。

しかし、私にはいつか文章を書いて生活をしたいという夢があり、応募者数が少なそうな文学賞を見つけては応募し、最終選考まで残ったこともありました。会社員をしながら小説家デビューをした例は多くあります。私も最初はその計画を立てていました。

ところが、知人の紹介で出会ったライターさんから「小説なんて賞を取らないとお金をもらえない。お金になるかならないかわからない文章を書くより、確実にお金をもらえるライターをしたほうがいいのでは?」と助言を受け、考えが変わりました。

会社をやめようと決め、半年間ライター講座に通いました。そして、編集プロダクションを紹介してもらい、少しずつライターの仕事をもらえるようになりました。副業は禁止だったのでこっそり活動です。定時で会社を終えると一目散に帰宅し、原稿に向かいました。

そして2013年3月、会社をやめ、4月からフリーライターへ転身しました。ありがたいことに、最初の月から15万の売上があり、多い月は40万ほど稼げることもありました。全く休まず、仕事も選ばず、ときには体もはり、仕事仕事仕事、仕事に打ち込みました。この頃、アルコールの量は自然に減っていました。

しかし、その依存先を埋めるよう、私はワーカーホリックに陥るのです。

(続く)

#エッセイ #メンタルヘルス #メンヘラ #スクールカースト #リストカット #アルコール依存症 #精神薬




この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

24

姫野桂

フリーライター Web、雑誌などで書いています。著者『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。