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コロナの自粛から生の娯楽の大切さを知った。


ニューハーフのひめゆりゆなです。

コロナウイルスの自粛騒動によって、あらゆる業界の生産が停止されてますね…

今回テーマに上げているのは、その中でも大打撃を受けたと言っても過言ではない、演劇、ダンス、食物を第1の売り物とはしていない飲食業、水商売や風俗業等の娯楽業です。

私は実は大学入学時に演劇の学部にいて、きっと元々、娯楽の1部であるエンターテインメントが好きであったのだと思います。

もちろん、当時はプレイヤーに憧れていたのだけど…
演劇業界の1部悪徳なやり口を大学時代の後半に知り…その特定のシステムを忌み嫌ってもいました。

そもそも、私は演劇の学部に入ることを親からは反対されていて、その1番の印象に残っている言い分が
「んなもんが腹の足しになるかい!」
という言葉でした。


その言葉は在学中、ずうっと頭に残っていました。
実は、1年の時に演劇歴史を語る座学を受けた1回目にて担当教諭から
「演劇は、芸術は心を豊かにする。」
という言葉を聞いていて、これが答えにも見えているけれども…
その曖昧すぎるワードが理論を持っていないために、親の言った極論は私の中での課題となり
演劇業界の私からする悪しき風習がそれに助長をかけました。

劇のチケットを脅し売りする先輩に5分おきの着信を2時間受けたことがあったし
それとは違う学部の先輩に頼まれて貸したお金は帰ってきませんでした。
芸能事務所と懇ろになれると誘われて所属した劇団では、団長から喧嘩を何十回か吹っ掛けられた記憶もあります。

いきなりに内部を覗いたのも悪かったのかもしれませんが…
私の見る限りはその業界内ではかの心を豊かにすると説かれたそのものによって荒んだ人を見ました。


社会人になってから、丁度1度目の結婚を経てバツ1となった私は…
現闇営業社長の岡本と、彼女の主催したイベントにて出会いました。
そのイベントが当店の名を持するRAAR's Night。

そのイベントの最大の特徴が、お客さんが輝ける舞台を持つ、ショータイムを持てるというものでした。
事前登録をしたお客さんが、ランウェイを1分と少しの持ち時間を使ってパフォーマンスを出来るというもので、目立ちたがりには嬉しいものでしたね笑

そこで、以前教えて貰っていたポールダンスをやったんです。

実は、私が今のカメラマンとスタイリストをやれているのはこの時に岡本からのスカウトを貰えたから…
つまりは芸が身を助けたと言うことでした。

それから岡本との関係が始まり、彼女の誘いから様々なショーステージをメインとする大人の社交場に同席して、ようやくふんわりと娯楽業の存在意義を感じてはいました。


その娯楽が、今になって滞りを余儀なくされている。

各自粛要請とは、正しきものではあるのですがSNSが世相を、人々の不安の表れと不満を反映していました。
金銭的な嘆きが1番大きくはありましたが…
これには家に篭もることも悪役となっているでしょう。

スマートフォンから、テレビからナーバスなトピック達が次々と更新され
むしろメディアは怒りや不安を助長させて商売をしているようにすら思えました。
閉鎖空間にマイナスな情報達、そうなれば、何かに当たりたくもなるものです。

これが長らく私の課題であった、娯楽の存在意義であり、「心を豊かにする」という言葉の反対でした。

一言に言えば余裕。

楽しみや活力とも言えます。

ショーによるパフォーマンスを見るドキドキ感や、今までパフォーマーをしていた人との言葉を交わせる嬉しさ。
美やコミカルを売りにするナイトクラブやバーへ足を運ぶ際のワクワクとする気持ち。
心の隙間を埋めたり欲求を満たす役割をしてくれる性風俗業の存在。


かの非常事態宣言の際に、否定は出来なくとも業種を名指しされて喪失感と嫌悪感を感じた。
その正体は心の余裕の糧となるプラスな気持ちを削がれたことに違いありません。

気晴らしと言ったり、息抜きと言えば何だか物足りないこの気持ちの群が、そして、その気持ちの生産者が活躍の場を失って追い詰められている。

逆に、娯楽を失くした人々の精神的な補填の場は少なくなり、時に政治に対する八つ当たりとも取れるムーブメントが起こる。

そんな状態にあるからこそ、娯楽の価値が再確認出来て加えて必要性を感じます。

どうか、自粛を要する時間がいち早く過ぎ去ることとなり
気兼ねなく娯楽業への触れ合いが許されますことを願って。

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