日直の吹部エピソード~中学1年生編~

こんにちは。日直です。
本日は、吹奏楽部に所属していた私の中高生時代を大雑把に振り返ります。
まずはどきどきの中学1年生編から!

〇中学校入学

県立の中高一貫校に進学し、唯一の文化部である吹奏楽部に入部。スポーツは全く持ってダメだったし、好きな音楽ができる部活があってありがたいな~などと思っていました。

〇楽器選択

未経験者の募集枠はトランペット、トロンボーン、パーカッションの3択だったはずでした。しかし、部長に「やるよね?」と言われてチューバ(でっかくて10kgくらいある低音楽器。イラストでは大体クマかゴリラが吹いてる)担当に。聞いてないよ~。
ただ。マウスピース(楽器の吹き口)も一番自分に合ってたな~と思うし、楽器自体や低音の魅力にも沢山気づけたので、本当にやって良かったです。素敵な出会いをありがとうございました。

〇たった2人のチューバ

当時高2の先輩と2人でチューバを担当。当時全体で55人で演奏していたので、知ってる人はお分かりかと思いますが、正直この人数にチューバ2人はキツすぎる。先輩の邪魔にならないように、でも音量はしっかり出して、をやらなきゃいけなかったので、毎朝7時とかに登校して朝練してました。先輩がお上手だったのもあって、本当にプレッシャーが凄かったです。
一応他にも低音楽器は一通り(コントラバス、バスクラリネット、バリトンサックス、ファゴット)揃ってはいました。しかし、どれもチューバより音量が出づらい楽器なので、チューバが頑張らないと正直どうにもならない、というのが事実です。
そのうえ、中高一貫校という性質上、中学生と高校生が一緒に活動&コンクールに出場するため、いきなり高等学校部門で勝負しなければならない立場に。荷が重すぎる、本当にやめてくれ…

〇先輩がトぶ

夏のコンクールは(主に先輩のおかげで)金賞を受賞、何とか乗り切りました。
が、しかし、冬のアンサンブル(3~8人で演奏)コンテストの1か月半前に唯一のチューバの先輩が消滅。なんと、楽器歴半年にして、高校部門のアンサンブルコンテストに出場することが決定してしまいました…。

これの何がまずかったって、
・先輩方は1か月くらい前から練習されていたので、まずそこで遅れを取っている
・その先輩方は全員中学校ないし小学校から楽器を続けられている方々なので、私は技術的にあまりにも劣りすぎている
・音楽的に言えば、全体の土台となる低音楽器が重厚でなければ曲そのものが崩れてしまうのに、当時の私の肺活量では全く足りなかった
・アンサンブルコンテストは少人数のため、1人の音がよりダイレクトに届くので、絶対に誤魔化しが効かない

そして何より、その時の私の比較対象は、ずっとチューバを続けていた高2の、しかも男性の先輩。技術も肺活量も到底足元にも及ばない状態だったので、これが本当に一番キツかったです。

しかし、同じチームの先輩方(高校生)は、今考えればありえないくらいに優しくしてくださりました。正直先輩方の中で揉めたりギスギスしたりしている場面は何度も見ましたが、その矛先が私に向いたことが決して一度もありませんでした。事情を踏まえて、ということもあってか、本当に良くしていただきました。

結果は銀賞でした。これが最後のアンサンブルコンテストとなる高2の先輩方が涙しているのを見て、かなり心が苦しくなったのを今でも覚えています。
なのに、帰りの楽屋で「(日直)はよく頑張ったよ、ありがとう」と声をかけてくださりました。うわ絶対悔しくて悲しいはずなのに最後のアンコンだったのにそもそも私その先輩方と元々ほぼ関係性なかったのに、などの考えが自分の中を逡巡して、良くはなかったけど良かったな、と最終的には思えました。

この経験が自分の成長にかなり繋がったし、先輩方の温かさにも触れられたし、他にも書ききれないくらいの気づきや落ち込みや感謝が沢山あって、私のその後の大きな基盤となった出来事でした。

そして、「私がこのバンドの低音パートを支えていくんだ…!」という自覚がはっきりと自分の中で芽生えました。


こんな波乱万丈な日々を経て、中学2年生編へ続く…


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