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天照大神と伊勢神宮 (11)          溝口睦子氏の「アマテラスの誕生」③

記紀神話二元構造論に基づき、直木孝次郎氏の伊勢神宮論や記紀の神功皇后伝説などをもとにヤマト王権時代、すなわち5~7世紀のアマテラス、要するに皇祖神になる前のアマテラスについて解説がなされ、続いて「ウケヒ神話」ではアマテラスを皇祖神の地位に就けるために、スサノヲが生んだオシホミミを含む五男神をアマテラスの子とする変更が行われたとします。さらに、当時の豪族は「連」「臣」「君」などのカバネ(姓)を持っていましたが、「連」は王権内の職掌に由来する名を持ち、天皇家の存在を存立基盤とする豪族で、「臣」「君」は本拠とする土地の名を持つ場合が多く、天皇家との関係でいえば半独立的な土着の豪族であるとして、神話の二元構造がこのふたつのグループによって分担されていたことを説きます。
 
そして話はいよいよ7世紀末に行われたタカミムスヒからアマテラスへの皇祖神転換に及びます。アマテラスの皇祖神化を決断、実行したのは天武天皇であるとして、当時の時代背景を、大化の改新以降の国家体制の一大転換期で、中国の文字文化を受け入れ始めて唐風化がいっきに進行した時代であるとともに、白村江での敗戦以来の支配者層の関心が国際問題や外交文化の摂取に向けられる中、皇祖神問題の重要性が相対的に軽くなった時代であった、と整理します。その上で天武天皇が抱える政治課題が、新しい統一国家建設を支える思想基盤としての「神話と歴史の一元化」、新しい支配機構を作り上げていくための氏族対策としての「カバネ(姓)制度の改革」であったとします。
 
そういう状況下で皇祖神の転換が行われた理由を4つあげます。第1には、タカミムスヒが一般の人々にはほとんど親しまれていない馴染みのない神であり、さらには「連」を中心とするグループが信奉した派閥的色彩の強い神であったこと。天武天皇は、新しい統一国家を挙国一致で作るためには派閥の匂いの強いタカミムスヒではなく、土着の太陽神としてすべての人々に古くから馴染みの深いアマテラスを神々の中心に据えるのが得策と考えた、とします。
 
第2の理由は、天皇は即位後すぐに大伯皇女(大来皇女)を伊勢に派遣して実質的な斎宮制度を開始していますが、皇位に就く前からアマテラスを特別に重視する何かが天武の胸中に芽生えていたからだとします。しかし著者はどのような意味での重視なのかはわからないと言います。直木孝次郎氏などが説く壬申の乱における神助説は事柄の軽重からいって納得しがたい、とまで言いながらこの点を曖昧にするのは残念です。
 
第3には、中国の文字文化という新しい外来文化を取り入れるために、北方ユーラシアの支配者文化という古い外来文化を捨てようとしたことをあげます。さらには第4の理由として、新羅への対抗意識があったとします。朝貢国として遇しようとする新羅と共通する国家神ではなく、日本固有の神を国家神として掲げようとしたのだと。しかし、もしそうだとするとアマテラスをタカミムスヒよりも上位に位置づける神話を構築すべきであるのに、『古事記』ではタカミムスヒは造化三神とされ、『日本書紀』でもアマテラスよりも先に誕生し、高天原において両者は同等もしくはタカミムスヒの方が上位に位置づけられていることに矛盾を感じます。
 
著者の論に従うならば、天武天皇がアマテラスを新しい皇祖神にしようと考えたのは、反旗を翻して争った壬申の乱の敵方である天皇家が祀る神(タカミムスヒ)をそのまま受け継いで祀るのではなく、新たに自らの皇祖神を創造しようと考えたからではないでしょうか。建築史学の林一馬氏は、壬申の乱でアマテラスを望拝したときにこの神を自らの守護神にすることを決めたとし、その神名が示す超越性や透明性とともに、諸国に散在するアマテルミタマなどと類同すること、日神への連想が働くこと、などを理由としてあげています。著者もまとめにおいては、アマテラスが選択された最大の要因は、この神が伝統文化の広く厚い地層にしっかりと根を張った神であったことをあげています。
 
いずれにしても天武天皇は皇祖神の転換を契機として「神話と歴史の一元化」に取り組んだわけですが、そのために天武自らが『古事記』の編纂にタッチしたと著者は言います。『古事記』にアマテラスを持ち込むことで神話を一元化し、統一国家として一元的な世界観を創出したのだと。また、その『古事記』に記された氏族の先祖の記載は臣・君やその下級氏族である国造に偏り、連やその下級の伴造氏族は極端に少ないとします。そのことと連動するように「カバネ制度の改革」において、第一位の「朝臣」になったのはほとんどが臣・君の氏族で、連では物部氏と中臣氏だけ、逆に第二位の「宿禰」はほとんどが連となっています。つまり『古事記』編纂もカバネ制度改革も、天皇家を存立基盤としてきた連ではなく臣・君を重視する氏族政策、土着の古い伝統文化の尊重という同じ目的のために天武によって同時並行で実行された事業であった、とします。
 
 
以上、溝口睦子氏の「アマテラスの誕生」を見てきました。タカミムスヒを軸にした神話の二元構造はなるほどと思う反面、敵国であった高句麗の王権思想を取り入れることが人の感情として考えにくいこと、「ムスヒ」の解釈からタカミムスヒを太陽神とする理由が今ひとつ明快でないこと、同様にアマテラスを皇祖神とした理由も明快でないことなど、素直に納得できない部分が少なからず残りました。
 
(つづく)


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