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40「卑弥呼」to「柳田國男翁」to「邪馬台国」!!全体ビュー 3000Up!!

スイス  ロマンチック街道の旅!! Thank you very much !!

 チョットチョットー、「卑弥呼・卑弥呼」で疲れちゃいましたよねー。
少し休憩、話題を換えて、海外旅行のエピソードなんてなんかを話しましょうかねー。
 そうですねー。 スイスロマンチック街道の旅の話から入りましょうかねー。
 ドイツとかローデンヅルグとかの場所では、そう驚いたようなことが少なかったですよねー。しかし、何と言ったらいいのかなー。TGB?ヨーロッパの新幹線でスイスジュネーブからフランスパリ東駅へと到着したのですよねー。そこから 駅前広場へと出た途端に、アッーと驚きましたよねー。   嘘―。周囲はまるでゴチック建築のオンパレード、まるで美術館。  これがフランスかー。  日本と物が違うー。!! 長谷川善雄かー。

フランスパリ東駅

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その後凱旋門                                                                                                            シャンゼリゼ通り100m程で次の駅があったよねー。見学を終えて次の駅まで電車。乗ってみるといきなり地下へ「ガタン・ゴトン・・・・」えーどこへ行くの!!
 5~7分で停車、出口どこか分からないー。親切な若者が駅の外へ。地下6階。地上に出てしばらくすると、朝見たことのある景色。振り出しに戻っているんだー。オペラ座の近く。? 

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そしてオペラ座

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セーヌ河クルーズでの夕食。 んんーん たまらん!!

 確か、このような通りで宿泊したのかなー。そうかバスで連れてきた貰って、一日自由行動となったよねー。さっそく右側の青いテントのストリート喫茶へ、コーヒー、店員さんの不愛想さには驚いたよねー。

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しかし、感激。帰りのパリ空港で、コンコルドの事故で出発延期。ええー。

播磨国風土記「オワチノ」学説の訂正。絶対にいるのです。

私は、下に示している地図(南北725m東西662m)の「北野村」に限定した地域での「古代史」を研究しているのですよねー。古代の道路は、山の尾根。「邑日野」は後の神前郡と託賀郡。「邑日野」の話は、それより500年程前の話なのですよねー。                                 まず最初に、播磨国風土記 邑曰野(ひーのむら)考について考察していきましょう。 播磨国風土記「神前郡」「邑曰野」について語る上では、江戸時代の国学者 谷森善臣と 武田祐吉著「風土記」の「オワチノ」学説の歴史を換えない限り「卑弥呼」「邪馬台国」には辿り付けませんよネー。 

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「カレル橋」

「カレル橋」のすぐ近くっでの「レストランでの夕食」が終わりましたよねー。ヨーロッパの「夏の夕暮れは遅く!!」午後8時頃までは明るいのですよねー。夕食が終わって、皆は「ホテル」へ帰るものですが、私はまだ時間も早かったので、1人「自由行動」で、周辺を散策することにしました。
私は、何の予備知識も待たずに、旅行をしていましたので「カレル橋の観光」も後から分かり、あの有名な「カレル橋の夕暮れ!!」を偶然にも 見学することができたのですよねー。
「カレル」を見ずして、世界を語ることなかれ!!と言われるほどの有名な観光名所なのですよねー・!!

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カレル橋には、もうひとつ、聖ネポムツキーにまつわるスポット。
それが、聖ネポムツキー像から旧市街地方面へ少し歩いた場所にある、南京錠のついたレリーフ。
聖ネポムツキーの遺体が橋から投げ捨てられた場所に設置されています。「触ると幸運が訪れる」と言われており、レリーフの一部は塗装が剥がれてピカピカ。
レリーフについている南京錠は、プラハを訪れた世界中の恋人たちが、永遠の愛を誓うためにつけていったもの。
聖人の遺体が投げ捨てられた場所、と聞くと少し恐ろしい気もしますが、カップルや夫婦でプラハ旅行をするならぜひ立ち寄りたい、カレル橋の人気パワースポットです。

 「レストランでの夕食」後の散策、

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