寒戸の婆

 柳田国男先生の名著『遠野物語』に収録されている話。

 ある時、松崎村の寒戸という土地に住む女の子が梨の木の下に草履を脱ぎ捨てたまま行方をくらましてしまいました。近隣住民は鉦鼓を叩いて大騒ぎ。隣家の婆なんかもメイちゃーん、なんつったりして必死で探し回ったもののとうとう見つからず、あの子は神隠しに遭ったに相違ないわい、ということになったのでした。

 そして三十年後。原書には「親戚知音の人々その家に集りてありしところへ……」とあるので、きっとみんなでホームパーティーでもしていたのでしょう。リッツとか食ってね。オレオなんかも食ったりしてね。うらやましいね。お招きにあずかりたいね。
 そんな折、小汚い山姥ライクな老女が戸口に立ち、訝しむ人々にむかって自分が三十年前に失踪したこの家の娘であることを告げたのだからホームパーティーはいまや驚愕のサプライズパーティー状態に。乱れ飛ぶリッツ。降り注ぐオレオの雨あられ。もうみんな大フィーバーなわけですよ。けれども老婆は「みんなに会いたかったから帰ってきたけど、もう行かなければ」的つれないことを言って、いずこかに消え失せてしまったのでした。
 婆の帰ってきた日はとても風の強い日でした。だから遠野の人たちは、風の烈しく吹きすさぶ日には「今日は寒戸の婆が帰ってきそうな日だね」なんてなことを言いあうのだそうです。
 うーん、『遠野物語』の中でも屈指の名エピソードだと思います。物寂しくも素晴らしい。文学だぜ。

 ちなみに遠野に「寒戸」という地名はないそうで、ミステリアスな雰囲気を更に盛りたてますが、実際のところ正しい地名は「登戸(ノボト)」で「寒戸」は柳田てんてーの勘違いらしいです。

 一方、佐々木喜善の採集した類話によると、「登戸の婆」はその後も調子に乗って毎年やって来るようになり、キノコや干しブドウをお土産に持ってくるのはまあ良いのだけれど、不潔だし、体中に苔が生えているせいで体色がストIIのブランカみたいだし、なにより婆が来ると周辺一帯は大暴風に見舞われて大迷惑ということで周辺住民からクレームがあり、また地元自治体からの要請もあったため子孫の茂吉氏は村境に石塔を建てて結界を張り、婆がやって来られないよう厳重なファイアーウォールをこさえたのだそうです。せ、せつない。魔物あつかいなんてあまりにせつなすぎる。やっぱり柳田バージョンのほうが風情と余韻があって好きだなあ。

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