見出し画像

息子君の凱旋帰国!

今日はとても天気が良く、11月とは思えない暖かな日ですね。お洗濯物がはかどりました。

11月の中旬に息子君がニュージーランドから帰ってきました!
ニュージーランドは今は夏。寒い冬の日本に戻るんだね・・なんて、言っていたのですが
「ニュージーランドも日本も季節変わんないじゃん!」と、息子君・・・
おかしいな・・日本の冬はこんなんだったんだっけ・?寒いのが苦手な私なので有難いっちゃ、有難いですけど・・。

息子君ですが、中学3年間(現在高校2年生)まるまる学校に通わず、自宅で過ごしていました。いわゆる不登校です。
家からなかなか出たがらず、家でPCゲームをして過ごしていました。
それが、中3の夏、
「海外の高校に行ってみたい」
の一言から、歯車が周り始めました。

中学3年間、動きたい気持ちはあったんだなぁって、
(こっちにはなかなか見えてこなかったけど・・)
やっぱり友達欲しかったんだなぁって・・
(煩わしい・・とか言ってたけど・・)

嵐が過ぎ去った今なら、思えます。(その渦にいる時は見えないですね・・)私も渦の中でイライラしたり、歯がゆく思ったり、叱咤激励してみたり、機嫌とってみたり、諦めてみたり・・
いろんな感情を味わいました。

今は、あの3年間があったから肝が据わったというか、受け入れられたというか・・。

実をいうと、あの3年間は息子君がくれた私へのギフトだったんじゃなっていかな・・って思うんです。

息子君も大きく変化しましたが、

実は、私自身も大きく、下手したら180度変化したんです。

それまでの私は、がむしゃらに、人の目(評価)を気にして生きているだけでした。妻として、嫁として、母として、こうするべき、こうしないと認められない。そして、職業人としても(私は看護師です)こうあらねば・・と・・。いつも何かに急き立てられながら、なんか、私の中にある理想(虚像?)に向かって突き進んでました。そして、その基準はすべて周囲の目・・。
「ステキな人」「いい子だね」「できる子だね」「頑張っているね」
この言葉が欲しくて、毎日、毎日ヘトヘトでした。
自分のこと考えている余裕もなく、ここでいう自分のことも何なのかもわからなくなってました・・。

そんな無我夢中の中、

息子君は止まりました。一歩たりとも動かなくなったんです。
私が自分の虚像を描くためにも、息子君には突っ走ってもらう必要があったのですが、パタッと止まり、それ以上行動も、口も心も止まりました。

その時の私のパニックといったら・・。
本当、今、その頃を思い出してみても・・。
なんか、いろんな意味で哀れで、悲しくて、苦しかった・・・。

今、ふと思うんです。もし、今、その状況にある人がいたら・・
目の前真っ暗、どこに進んだらいいかわからない。という、パニック状態。今現在も、紆余曲折、悩みながらですが、少しずつ歩んできていて、これからも歩んで行こうと覚悟を決めているので、今、お辛い方や、悩みながら進んでいる同志の方に読んでいただければ嬉しいなと思うんです。私の備忘録としても書いておきたいな・・って思い、私の日記のようなものですが、これから書き進めようと思ってます!

また、続きを書きますね。読んで頂きありがとうございます!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?