なんかよくわかんない雑感

ツキ。幸運。ラッキー。どういえばいいのかわからない、フォーチュン。

自分の人生の、調子がいいとき、悪い時、を折れ線グラフとかにすると、世間一般の平均の人の人生よりはマイナスのことが多いと思う。経験とか周りの状況とか、自分のこととか。
ただ、この「ツキ」に関しては、自分は確実に幸運よりだなーと思ってる。昔っから。

『そもそも日本に産まれた時点でアド』という界隈には有名な言葉があるが、その中でもどちらかといえば上振れてると感じている。

その根拠?の一つに、「あー…詰んだわ。人生終わったかもしれん。もうどうしようもないわ。」という状態から、なんか…めちゃくちゃ頑張ったわけでもないけど、どうにかなったわ、ということが何回かある。
正直言うと、日曜くらいから今日までも、『終わったわ。もうどうしようもねぇな。』って状態だったけど、なんとかかんとかどうにかなりそうである。

その自慢がしたかったわけではない。


ただ珍しい経験をしたら「いやー、この前こんなことがあってw」と言いたくなるのも確かだ。

こういうとき、そういうことを言える相手がいないのはさみしいなーと思う。こっちは乗り越えたので笑って消化したいのだ。
親とか職場の人にいうと、本気で心配されたり、引かれたりするようなことなので、リアルの生活では割と言いにくい。
あと、こう…世間一般に褒められることじゃなかったりすることも昔は色々とあったりしたりしなかったりしてきたし…、その延長にあることも多いし…。

そんなことを考えると、定期的に言ってるけど、やはり自分には友達が必要なのかもしれないなー、と思ったり。
逆に、この場合一方的に、『ねぇねぇ!これ聞いて!!』って気持ちなのでそれは友達じゃなく、それこそチラ裏に書いたり、ぬいぐるみや壁に話しかけたりしたらいいのでは??って気もする。

全然知らないけど、教会の懺悔室とか?なんかそういうやつ。存在を知ったときは意味がわからなかったけど、誰かに話を聞いてほしくて、悩みとか心の中の言えないことを言って、それを『神様は許してくれます』って肯定される場所が、あるのは素晴らしいことだな、と思うし、そういうので話すべきなのかもしれない。

急に宗教的な話になったな。

誰かと生活をともにするのはやだー!!って気持ちは変わらないけど、『なんかあったときに、すぐ話を聞いてくれる』『できるだけ否定しない』存在が身近にいる生活って幸せなんだろうなぁ。
これがオタクが『ママー!』っていう気持ちだろうし、よくネットでみかける『私はお前のママじゃねぇ。』につながるんだろうなー。
結局いい年して、ママに甘えたいだけのおこちゃまマインドなのかもしれない。

うだうだ書いてたらよくわかんなくなってきた。
結局は、しんどいことがあって乗り越えたので、誰か聞いて!!って気持ちと、でもそれを聞いても嫌いにならないで!って気持ちと、そんな感情の動きを表に出さないで普段どうりに振る舞えるのが一番かっこいいよね。ってことを感じた数日間でした。


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