私が夫の両親だったら、自分の息子を私とは結婚させたくない、と泣いた日

noteは何気ない顔で更新していたが、実は、7/17(水)~7/20(土)まで、オット実家の函館に帰省していた。オットの父方の伯父の葬儀のためだ。丸二日は通夜と告別式で潰れたけれど、久しぶりに婚家で過ごして、改めて家族について考えていた。

ちょうど「万引き家族」がテレビで放送されて、きっと日本中で「家族って何だろう」という問いが交わされたり、思案されたりしているのではなかろうか。

38歳バツイチのイラストレーターという肩書

プロフィールにも書いているし、何も隠し立てする気はないが、私はバツイチである。オットに初めて会った時、私は30代後半で、彼はまだギリギリ20代。正直、結婚どころか、付き合うことになるとすら、最初は予想もしていなかった。

何一つ自慢できるものなどないけれど、私は自分の人生を恥じたことはなかった。それでも、まだ20代の未来ある青年に、自分がふさわしいかどうかと考えた時、初めて、自分の過去を消したいと思った。

誰が好き好んで、大事な一人息子を、9つも年上のバツイチのイラストレーターなんてわけのわからない女と結婚させたいだろうか。そんなわけで、オットにプロポーズされたものの、私はタイトルのセリフを吐いて「絶対反対されるに決まってる」と大泣きしたのであった。

めでたく結婚

ところが、拍子抜けするほど、結婚話はトントン拍子で進んだ。ご両親は反対しなかったのか、とオットに尋ねると「僕が決めたならそれでいいって」と一言。「えええっっっ!そんだけ??」

むしろ、私の家族(父はすでに他界していたので、母と姉)の方が無駄に心配して、いい顔をしなかった。「そんな若い人と結婚したら、浮気されて苦労するんじゃないの?」

まぁ、こう言いたい気持ちもわからないでもない。母以外からも、このセリフは本当によく言われた。でもこれだけは言いたい。浮気は年齢でするものじゃない。どんなに若くてもしない人はしないし、70や80になったって、する人はする、そういうものだ。

息子夫婦に心配をかけまいとする義両親

そんなわけで、ありがたくも私はオットの家族に受け入れられ、婚家ではまるで本当の娘のようにのびのびと過ごしている。晩婚だったオット両親はかなりの高齢で、義父は私たちの結婚後から病がちになった。

いつものことなのだが、義父が入院しても、義母は決して私たちに知らせない。下手に知らせれば、私たちは無理してでも函館に行くだろうことを見越して、本当に危篤になるまでは知らせないつもりなのだ。義母に「次は絶対知らせて欲しい」と伝えても、知るのはいつも半年も経ってから。

今回も、知らなかったけれど、7月初めから義父は入院していた。兄のお葬式だから、外出許可もらって出るのかな?と話していたら、義父は欠席するという。思わずオットと顔を見合わせる。義父の容態は、そんなに悪いのだろうか。

初日は骨上げ(函館では通夜の前に火葬を行う)と通夜だけで終わり、義父の元には行けず。翌日、病院に向かう車の中で、義母の口ぶりは重く、不安が募る。

恐るべき息子パワー

しかし、入浴が終わって車椅子で登場した義父は、予想に反して元気そうだった。今回の入院の原因は肺炎だけど、しばらく歩かずにいると、てきめんに歩けなくなるらしい。この後リハビリだと笑う義父。

写真家のオット・宮田が大きな仕事に抜擢されたので、そのパンフレットを見せると、興味津々な表情で聞いてくれた。照れ屋な義父は、自分の息子が褒められると、いつも無口になってしまう。それなのに珍しくずっと笑顔だった。本当に喜んでくれているんだなぁと、何だか胸がいっぱいになった。

30代でサラリーマンから写真家に転身したオット。きっとすごく心配かけていたのだろう。少しずつ結果が出せて来ていることに、心から安堵する。

翌日は、会った途端「今日は調子が悪い。昨日リハビリで張り切り過ぎた」と言っていたけれど、2時間くらい病室に滞在するうちに、みるみる元気になって行くのがわかった。前日にはほとんど歩けないと言っていたのに、帰りは私たちを、車椅子ではなく歩いてエレベーターホールまで見送ってくれたのだ。

1年半ぶりに息子に会えたことで、こんなに元気になるなんて。

こんなに息子に会いたいのに「お正月に帰る」と言えば義父は「わざわざ寒い時に来ないで、沖縄でも行けば?」と冗談みたいに言うような人なのだ。変化球みたいな義父のやさしさに、思わず涙ぐんでしまう。

ベストのタイミングだった帰省

義父がメキメキ元気になったおかげで、病院から退院に向けて話をするよう連絡があった。最終日、午後イチの飛行機で発つため、長居はできず、名残惜しい別れ。義父はなんと、病院の入り口まで見送ってくれた。

この夏はもう少し遅くに帰省するつもりだった。それがだいぶ早まってしまったわけだが、結果的にはよかったのだ。義父の不在は残念だったけれど、このタイミングで帰らなければ、義父の入院はもっと長引いていたかもしれない。

そしてもちろん、亡き伯父の家族も、私たちが名古屋から駆けつけて、本当に喜んでくれた。父方のイトコに会うのは全員はじめてだったので、会えてうれしかった。伯父の葬儀がこのタイミングだったことに感謝したい。

毎晩、義母とオットと晩酌をして、ケラケラ笑い合った。まぎれもない家族だ。正直なところ、実家に居た頃でさえ感じたことのないような一体感がある。そんなときに思うのだ。「家族ってなんだろう」私と義父と義母との間に流れる気持ちの交流は、血以上に濃いと思う。

婚家についてはこんな風に本当に恵まれている私。しかし、ここまでいろいろ書いてきて想像がつく方もおられるかもしれないが、実は、私の実家にはいろいろと問題がある。今後、少しずつそんな話もして行きたいと思う。

2012年夏に描いた義母の手料理。北国最高。
透明なイカの写真とイカ祭り?はコチラ。
#北海道のここがえーぞ

回転すしでもうまい。銀鱈の握りって初めて食べた。最高♡

追伸:宮田のお仕事と募集

私の仕事ではなく、本文中に登場するオット宮田雄平のお仕事について。
ご応募お待ちしております!!

「コトノハなごや」

名古屋市の主催する文芸イベント。5枚の写真のうちどれかを選んで、800文字の文章をつけて応募するというもの。大賞はなんと賞金10万円。名古屋市在住・在勤・在学のいずれかの方ならどなたでも応募OK!
豪華審査員(中村航さん・吉川トリコさん・武田俊さん)に審査してもらえるのもワクワクだがね。(→名古屋弁)

宮田は5枚の写真提供とフィールドワークを担当。
来週は、緑区有松でフィールドワークを開催。まだ申し込めるのかどうかは不明ですが、ご興味ある方はこちらにお問い合わせ下さい!(フィールドワークは市内在住・在勤・在学でなくても、どなたでも参加可能)

宮田のnoteはコチラ■

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陽菜ひよ子 / イラストレーター&漫画家&文筆家

著書『アトピーの夫と暮らしています』(PHP研究所)。イラストのお仕事は、NHK・Eテレ『すイエんサー』、書籍『おいし なつかし なごやのおはなし』(戸田恵子著、ぴあ)など多数。現在2冊目の本の執筆中。ひよことプリンとネコが好き。 http://www.hiyoko.tv/

コメント2件

はじめまして。「スキ」ありがとうございます^^
函館では、お通夜の前に火葬を行うのですね! お料理も すごく美味しそう。
今後共よろしくお願い致します。
日暮えむさま コメントありがとうございます。こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します♡
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