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バラ色の日々をきみと探しているのさ

本日は土曜日。駄文の日。何の役にも立ちません。

先週、8月26日(月)に、神戸ワールド記念ホールでのThe Yellow Monkeyライブに参戦してきた。

ちょいちょいここには書いているけれど、私は名古屋在住だ。しかし今回のツアー「SUPER JAPAN TOUR~GRATFUL SPOONFUL~」は、なんと、名古屋は飛ばされたのだ。まぁね、名古屋飛ばしってよくあるけどね。

そんなわけで、吉井さんソロ時代の2011年12月の大阪城ホール、2015年7月のフェスティバルホールに続いて、3度目の関西遠征なのだった。

いやまさか、自分が遠征してまでライブに行くことになろうとは。ちなみに、東京も二回遠征している。

仕方がないのだ。The Yellow Monkey is my life.  なのだから。

結婚のきっかけもイエローモンキー


実は、我々夫婦が結婚したきっかけも、イエローモンキーである。

二人の結婚の経緯については、ちょっと書きかけたのだが、筆が滑って、3121文字にもなってしまった。そこで我に返って、「こんなんどこに需要があんねん」と、サクッと全部削除した。他者目線を持つって大事だわ。偉いぞ私。

二人とも同じくらい熱烈なファンなので、我が家には2007年までに発売されたCDやDVDがすべて2枚ずつある。どちらか売ればいいのに、結婚後11年経っても、キレイに2組ずつ並べられている。まるでそれがファンの証だとでもいうように。

そんなわけで、今日のテーマ「#The Yellow Monkeyとは」に行ってみたいと思う。

イエローモンキーとは


唯一無二のバンドだと思う。こと日本で、イエローモンキーみたいなバンドは他にはいない。

泥臭くて下世話で、暑苦しくて、目をそむけたくなるようないやらしい部分からも目をそらさない。むしろそんな部分こそ、あえて題材にしてきたようなバンド。それなのに最高にカッコイイ!!

美しい曲もたくさんある。あの美輪さまが聴く価値のあるものに「吉井和哉くんの作るバラード」と挙げているように、バラードの美しさは一聴の価値がある。活動休止の少し前に出た「So Young」やソロ時代の「beautiful」などは、聴かず嫌いをしている人にも是非一度聴いてみて欲しい。

ただやはり、イエローモンキーがイエローモンキーたるべく存在感を放つのは、「美しくはない楽曲」であることは否めない。

私が「踏み絵歌」と呼んでいるのが「A Henな飴玉」「赤裸々GO!GO!GO!」「紫の空」などの楽曲たち。正直、誰にでもお薦めというわけにはいかないクセのある曲だけに、これが好きだと思えれば、あとはイエローモンキーファンまっしぐら間違いなしだ。

イエローモンキーの魅力

そんなクセの強い楽曲を作る彼らだが、意外と繊細である。特にフロントマン・吉井和哉の危うさが、彼らの大きな魅力の一つであることはファンであれば共感してくれるだろう。

彼の中に共存するナイーヴさと毒を表した曲に「創生児」があるが、あの曲はそのまま吉井和哉、そしてイエローモンキーを表している。相反する二つの顔が、彼らの楽曲の振り幅の広さを作りだしているのだ。

彼らは2001年に活動休止をして、そのまま復活することなく2004年に解散に至る。解散に至った経緯については、私たちは憶測するしかない。メンバーはお互いをかばい続けた。決して仲が悪くなっての解散ではないと。

バンドの解散の原因のほとんどは、「仕事量と人気のアンバランスさ」だと、音楽ライターをしている知人が言っていた。作詞作曲をほとんど手掛けていたり、メンバーの中で突出した人気を誇っていれば、自分ひとりになった方が楽だし、報酬も独り占めできると考えるのは当然だろう。

でも不思議なことに、イエローモンキーの場合は、それとは少し経緯が違ったような気がしている。吉井和哉はたぶんバンドでなくては「輝けない人」なのだ。むしろ、イエローモンキーに最後まで執着し続けたのは彼ではなかったか。


BOØWYの解散との違い

1980年代後半に青春時代を過ごし、ロックの洗礼を受けた世代にとって、世界がひっくり返るくらいの衝撃だったのが、BOØWYの解散だ。しかし、彼らの解散は、案外あっさりしていたと思う。

カリスマ性のあるヴォーカリストの氷室京介と、天才的ギタリストでありメロディメーカーでもある布袋寅泰の対立は、ファンからもはっきり見てとれるほどだったから。なるべくしてなったという感じだった。

氷室も布袋もソロになって、水を得た魚のように活躍していく。迷いや葛藤がなかったとは言えないだろうが、それ以上に彼らには開放感が見えた。

BOØWYの場合、氷室と布袋がほとんどの作詞作曲を担当し、ふたりの楽曲は半々?いや布袋のほうがだいぶ多いかな?(たぶん)

いわゆるタテノリの「BOØWYサウンド」の世界観を打ち出した楽曲は、布袋による作品群だと思う。

布袋の曲を氷室が歌う。それがBOØWYのBOØWYたる世界だった。どちらが欠けても、もうあの世界は見られないのだ。それでいて、氷室京介は「BOØWYって俺だったんだね」的な発言を残している。そこが氷室さんのいいところだけどね。(私はBOØWYも氷室さんも布袋ちゃんも大好き)

では、イエローモンキーはどうかといえば、作詞作曲の9割以上は吉井和哉だ。彼は圧倒的人気のフロントマンでヴォーカリスト。元々ベーシストでギターも弾ける。乱暴な言い方かもしれないが、彼一人いれば、イエローモンキーの世界は作れてしまうのである。

それなのに、一人になって帰ってきた吉井和哉は、吉井和哉と名乗ることすらできなくなっていた。イエローモンキー時代の愛称・ロビンから名付けた「YOSHII LOVINSON」の名前を引っ提げて出したアルバム2枚の時期を、私は(たぶんファンの多くも)愛を込めて呼ぶ。「吉井さんの暗黒時代」と。

それまで金髪に赤い衣装を着て、フェロモンをまき散らして、ギラギラと妖しく艶めいて輝いていた吉井さんの姿はどこにもなかった。黒い髪に黒い地味な衣装。以前の大輪のバラのような「華」がない。トーンを落としたヴォーカル。かつての「毒」はなく、ヒリヒリとした「傷」だけを感じた。

今だからこそ「あんな時代もあったね」と懐かしむことができるけれど、あの頃は「吉井和哉はどこへ行こうとしているのか」ファンは不安なまま(くすっ)、ただ固唾を飲んで見守るしかなかったのだ。


自信とコンプレックス


それにしても不思議だ。私は女だけど、もし自分が吉井和哉みたいな容姿で、彼のように作詞作曲の才能に恵まれていたら、天下無敵だったに違いないと思う。

それなのに、なぜ吉井さんはあんなに自信がないのだろう。

彼は何冊か自伝を出版している。旅芸人だった父親を早くに亡くし、母は彼を水商売をして育ててくれ、彼も中卒で働き始めた。10代の頃は肥満児だったという。ちなみにバンドの他のメンバーは大卒もしくは大学中退である。

彼の中では、そんなコンプレックスが複雑に絡み合っているのだろうか。

話は飛ぶけれど、80年代に一世を風靡したイギリスのロックバンド「DEAD OR ALIVE」のヴォーカリスト、ピート・バーンズはご存じだろうか。「カルチャークラブ」のボーイ・ジョージと並ぶカリスマでこんなに美形。

しかし、彼はその後、整形手術を繰り返し、こんな顔になってしまう。

特に唇に入れたシリコンのせいで、一時は命も危ぶまれたとかなんとか。それでもその後も彼は整形を続けるのだ。ビックリなことに、彼は、美形ともてはやされたバンド時代の自分を「醜い」と本気で思っていたのだという。

人のコンプレックスとは、わからないものですなー。


まぁそれでも、吉井さんの場合、母子家庭に育って肥満児で中卒でも、今は「死んだら新聞に載るような『Rock Star』」になり、2015年には国立大卒の高学歴な若い嫁をもらって、完全に勝ち組となったんだからすごい。

それでもイエローモンキーがなければ、自分自身は完全ではないというような、虚無感があったのだろうか。再婚の翌年である2016年、吉井さんの声掛けで、イエローモンキーは復活した。

いつかまた逢う日まで


吉井さんには、人生の節目節目で勇気をたくさんもらっている。

2005年、吉井さんは、オノ・ヨーコさん主宰の「ジョン・レノン・スーパーライブ」で、それまで名乗っていたYOSHII LOVINSONという名前をやめて、本名の吉井和哉で「再スタートする」ことを宣言した。

ついに吉井さんが「暗黒時代」を脱したのだ。

その時吉井さんが歌ったのが「(Just Like) Starting Over」
「Starting Over」とは、「再出発」「やり直す」という意味。

ちょうど私自身が離婚を決意しようとしていた頃で、「人生何度でもやり直しはできるよ」と吉井さんに言われているような気がした。

そして、吉井さんに導かれるように、イエローモンキーファンの今のオットと知り合い、2008年に再婚したのだ。

その11年後の2016年にイエローモンキーは再結成した。

2016年は私の初著書・アトピー本が出た翌年。私たちが母親との同居をやめて、二人で再スタートを切った年でもある。

6月には名古屋でのガイシホールでの復活最初のライブに参戦。ライブ前のいつもの習慣で、2001年1月の東京ドームでの活動休止ライブ映像を観ていた。

その2001年活動休止直前のライブの最後に、吉井さんがこんなことを言っていた。

「みなさんも、充実した21世紀を過ごして、俺たちがいつか帰ってくるときに、素晴らしい、悔いのない人になっていて欲しいな、なんて思います」

15年の年月が変えたもの


2001年から2016年まで、15年の月日が流れ、ファンの人たちの人生も、大きく変わったことだろう。学生だった人が立派な社会人として活躍したり、会社員から経営者になったり、結婚や離婚や再婚や出産をしたり。

孫が生まれた人や親子三世代でライブに通う人もいるかもしれない。(実際に神戸では白髪の素敵なおばあさまを見かけた!)

2001年に東京ドームに行った頃の私は、まだまだちっこい、つまんない奴だったなーと思う。あれから父が亡くなり、絵の仕事を始めて、離婚して再婚していろいろあって、多少は、「味のある人間」になれたかなって思う。

オットは2001年当時、SEとして入社2年目だった会社から転職を経て、学校へ行き直し、今はフォトグラファーとしての道を歩んでいる。彼が彼らしく、悔いのない人生を歩んでくれていること、それは私の誇りでもある。

「悔いのない人」になれたって思える自分が、2016年に彼らの前にいられたこと。それは本当に誇らしく、幸せなことだった。

吉井さんは
「もう僕は『The Yellow Monkeyの吉井和哉』がフルネームでもいいです。『The Yellow Monkey』が苗字で『吉井』がミドルネーム、『和哉』が名前です」
と言って笑いを取っていた。(「の」が入るんかいっ!)

彼の人生において、イエローモンキーは必須なのだ。ファミリーネームにするほど大事なものなのだ。それはファンだって同じ。

だって仕方がないのだ。The Yellow Monkey is my life.  なのだから。


私の夢、もしくは野望


ところで、私が本を出版した時の担当編集T氏のことは、このnoteに書いた。

T氏とは最初にメールをやり取りした時から、何か通じ合うような相性の良さを感じたのだが、ある時、T氏もイエローモンキーファンであることが判明する。

打ち上げでは、本が売れてドラマ化されたら誰をキャスティングするか?で盛り上がったのだけど、キャスティングには意見が分かれるところがあったが、主題歌は「絶対イエローモンキー!!!」と、全員の意見が一致。

いやもう何なら、新曲じゃなくても「beautiful」そのまま使ってくれてもいいわ!などなど大コーフンで好き勝手に語る語る。(厚かましい。。。)

それは「かなわぬ夢」になってしまったけど(笑)

私の夢はいつか、私の書いた本に、吉井さんが帯を書いてくれること。
「俺がきっかけで結婚した夫婦の話です」
これ、最高じゃない?

しかし、その本ってどんな内容?需要はあるのか?ということは片隅にそっと置いておく。。。


タイトルは、イエローモンキーファン投票で1位を獲得した「バラ色の日々」の歌詞から。文句なしの名曲。


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