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はじめて言われた「あなたらしければそれでいい」

私は本当に不器用だし、イラストレーターではあるが、絵だって特別な才能がある訳ではない、といつも思う。

ヘタだけど好き。ただそれだけで、ここまで来た。振り返ってみると、私がここまで来られたのは、節目節目での重要な人との出会いがあったように思う。

特に28歳の時に出会ったS先生との出会いと、先生から言われた言葉は、その後も思い出すたびに、私に元気と勇気をくれる。

学生時代の美術の成績は「普通」

子供の頃から絵が好きで、幼稚園の時には、買っても買ってもスケッチブックやクレパスがすぐになくなったそうだ。その度に幼稚園に買いに出向かねばならず、大変だったと母はことあるごとに言っていた。家ではチラシやカレンダーの裏など描けるところにはどこでも描いた。

しかし、不器用で工作が全然ダメだったせいもあり、小学時代の図画工作の成績はよくなかった。では美術の成績はというと、通信簿はせいぜい5段階で3程度だった。

「面白いなぁ。でも俺が出した課題とはズレてるから、点はやれないな」と言われたこともあった。教師の言うことを聞かず、好きなように描く可愛げのない生徒だったせいか、こんなに絵が好きなのに、学生時代に美術教師にかわいがられた記憶がない。

そして、好きなことを描いて点がもらえなかったために、好きなことを描くのは悪いことのように感じるようになってしまったのだ。

挫折ばかり感じた絵画教室でのこと

母は「服が汚れるから」という理由で絵を習わせてくれず、私が念願かなって絵画教室に通うようになったのは、高校生になってから。けれどそこでも褒められはせず、一緒に通っていた友人のMの絵ばかりに注目が集まった。

そのMは、絵の道には進まず、今は端唄の家元をしている。彼女は「ひよ子ちゃんは昔から絵上手かったもんね。あたし、ひよ子ちゃんが小学時代に描いた絵、まだ持ってるよ」と褒めてくれる(と同時に恐ろしいことを言う)。私はいまだに彼女が絵の道に進んでいたら、私などよりずっとずっと上に行っていたに違いないと思う。

美大に進むこともかなわず、自分には才能はないとすっかり諦めたのが18のとき。それでも社会人になってからカルチャースクールの油彩教室に通ったりしてたんだから、よほど絵を描くことは好きだったのだろう。しかし、そのカルチャーでは、来る日も来る日もヌードデッサンばかりやらされて、ちっとも楽しくなかったので、半年くらいで辞めてしまった。

絵は上手に描かなくてはいけないという呪縛

最初の夫の転勤で住んだ奈良で「ボタニカルアート(植物画)」と出会ったことが、私が今の仕事をするようになったひとつのきっかけだ。

奈良では、植物画以外に、以前にも書いた磁器絵付けと、主婦らしいトールペイントもはじめた。その中でまったく性に合わなかったのがトールペイントだった。

「誰でも描けるのよ」と言われて始めたのだが、絵を描くのになぜ「ストローク(筆遣い)の練習」が必要なのかわからず、練習せずに自己流で描いた。当然、お手本通りにはならない。最後にはどうにか形になったのだが、先生からは「あんまり下手だからどうなるかと思った」と言われ、ますます自信を失った。

今思うと、トールペイントは絵というより、お習字に近い(トールペイントの種類によっては違うものもある)。私はお習字が苦手なのだ。でも当時はそのことに気づかず、自分は絵が下手なのだなぁと落ち込むばかり。

「絵は上手に描かなくてはいけない」「好きなように描いてはいけない」という呪縛にとらわれ、「自分はこんなに絵が好きなのに下手くそ」というコンプレックスでがんじがらめになっていた。そんな私を救ってくれたのが、植物画のS先生の言葉だった。

「絵は上手に描かなくていいんですよ」

植物画は実際に花を観察しながら等身大に描くという特殊なもので、専門の植物画家も大勢いらっしゃるが、S先生は植物画家ではなかった。高校の美術教師で、しかも教頭先生も兼ねておられるという。

非常勤も多く、あまり教育者というイメージとは無縁な美術教師の中で、S先生は本物の教育者だったと今も思う。

S先生は決して受講生の絵をけなさなかった。形がいびつだったら塗り方をほめ、塗り方が変だったら色をほめるといった感じ。「絵は上手に描かなくていいんですよ」が先生の口癖だった。「赤い花を青で描いたり、ユリがバラに見えたりしなければいいんです」

私の描いた絵を見ると、必ず「あなたらしく描けましたね」とおっしゃった。今思うと「上手ですね」とほめられたこともなかった気がする。それでも「絵は上手に描かなくても、あなたらしく描けばそれでいいんです」という先生の言葉は、上手だとほめる以上に私を楽にした。他の受講生もめきめき上達して行った。

タケシマユリ(竹島百合) 学名:Lilium hansonii ユリ科ユリ属
制作:1997年7月 画材:透明水彩 サイズ:F6


「あなたらしければ、それでいい」

その言葉を支えに、私は絵を描き続け、イラストレーターになった。今も上手とは言えないかもしれないけれど、それでも15年近くお仕事をいただけている。

もちろん、上手に描けるに越したことはないし、プロを目指すなら最低限の画力は必要だ。先生もまさか、奈良市の主催する講座に来ている受講生がプロを目指すとも、実際にプロになるとも想像していなかっただろう。(受講生の大半がリタイアした高齢者で、20代は私を含む二人しかいなかった)

10年後に通ったプロ志望者が通うイラストスクールでは、まったくほめられず、またまた挫折を味わうことになる。S先生の言葉は、そこでも私を救ってくれた。「あなたらしければ、それでいいんですよ」

「自分らしさ」は誰にでもある。

プロになるためには「個性」が必要だが、それは、絵を描き続けて行くうちに「自分らしさ」が突き詰められていった先にある。そして、楽しくなければ、続けることは難しい。

あなたらしければ、それでいいのだ。
絵だけではない。どんなこともそうだ。
上手くできることより、自分らしくあること。それが大切なのだと思う。


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