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この世で一番幸せな結婚とは

The Yellow Monkeyの吉井さんが早期の喉頭がんだったそうだ。吉井さんがきっかけで結婚した我々夫婦にとってはかなりの衝撃だった。が、すでに完治していたようで、本当によかった。

ロックバンド・THE YELLOW MONKEYのボーカル、吉井和哉さんが11日、早期の喉頭がんで治療を行っていたことを公表。
「治療をすれば3カ月ほどで完治するということに何の疑いもなかったので、皆様に病名はお伝えしませんでした。すぐに治療を開始することができ、今年の年明けには順調に終了し根治しました」とのこと。

(『ABEMA NEWS』より)

泣ける、この記事・・・

ロックバンド・氣志團のボーカル・綾小路翔さんが「自分が歌唱休止を発表した際、吉井さんが直ぐにご連絡を下さいました。吉井和哉の歌声は日本の宝。一ファンとして、完全復活をいつまでもお待ちしております。吉井さん、心から応援しています」とエールを送った。

(『日テレNEWSより)

公開されることのなかった「吉井さんがきっかけで結婚した話」


2019年8月に書いた「熟成下書き」を引っ張り出してきた。

このときのお題は「~とは」で、「イエローモンキーとは」のつもりで書き始めたのだけど、それに付随する諸々の結婚について語るうちに3,000文字を超えてしまった。ヤバイ。

このとき、前後編に分けて、前編であるこの記事は「理想の結婚とは」というテーマに変更し、後編で「イエローモンキーとは」を語ることにした。

そしてなぜか、後編のみ公開。

4年の封印を破って前編も公開する。


理想の相手との結婚前夜


「理想の相手」と結婚したいなら、常に「自分らしく」「自分の好きなモノを前面に押し出して暮らす」べし、というのがわたしの持論だ。

何度も書いているけれど、わたしはバツイチだ。その理由はいろいろあるけれど、簡単に言えば、「自分がそこにいる必要がなかったから」。

とても立派で保守的な夫(当時)からは、わたしという一人の人間の個性や存在価値は無視され、ただ「彼の妻」であることだけを求められた。

彼が求めているのは、明らかに「わたしの特性」とは違ったタイプの女性だった。自分が前に出ることは絶対にない。地味な服装をして、一歩下がって男性を立てるような。

ここに「わたし」が存在する意味があるのだろうか?11年間自問しながら暮らしてきて、それはわたしにとっての彼も同じであることに気づいた。それが離婚へのトリガーとなった。

離婚から初めての一人暮らしへ


(本文中のイラストは当時書いていた絵日記)

2006年1月に離婚して、2008年7月に再婚するまでの2年半、36歳で初めて一人暮らしをした。正直こんなにいいもんなのか、と感動した。ずーっと一人きりでいられて、自由に好きなことしていられるなんて天国だ。

周りには家族も親戚も親しい友人と呼べる人も誰もいない。生まれてはじめて真の孤独と向き合ったと言える。そこではじめて、わたしは今まで、それほど好きでもないのに、付き合いで続けてきたことが山ほどあるのに気づいた。

たとえば、多人数での飲み会。気の合う人とじっくり話すのは好きだけど、お酒はなくてもいい。

大勢集まって一緒に何ごとかを成す、というのもすごく苦手だ。

一人暮らししていた頃にもうひとつ気付いたのは、わたしは2週間くらい、まったく人と会わなくても平気だということ。むしろ、毎日のように人と会うと疲れてしまう。

アッパラパーに見られるので、あまり信じてもらえないが、周りに気を使い過ぎるのだ。逆に一人きりにはすごく耐性がある。だから今の仕事(フリーランス)に向いているとも言える。

ライブや美術展に出かけるのは好きだけど、それ以外は家で「イエローモンキー」でも聞いて、絵を描いたりブログを書いたりしてるほうがいい。

そのうち「イエローモンキーが好きで一緒にライブに行けて、絵を見るのも好きな人、どこかにいないだろうか」という希望が、心のどこかに湧き起こっていた。

そんな人、いるわけないと思っていた。いたとしても、そうそう巡り会えるわけないと。でも、そういう「理想の相手」と出会うべくして出会うこともあるのだ。

オットと出会い「推し」を確認し合う


2007年11月、とある飲み会に参加する。3次会でわたしがケータイを取りだすと、隣に座ったソニオ(今のオット)が「あ、吉井さん」と言った。

その時わたしが待ち受けにしていたのがこの画像。はっきりいって、歴代の吉井さんの画像の中でも、1、2位を争う地味さ。店内は薄暗く、よほどのファンでなければ吉井さんとは気づかないレベルであった。

「ファンなの?」と尋ねると、「大好きなんです」という返答。寡黙な彼は、この日ほとんど口を開かず、開いたとしてもずっと落ち着いた口調だったのだが、この瞬間の彼には、他の時にはない熱を感じた。


「理想」は銀座を歩いてやってくる


その後ソニオとマイミク(懐)になったが、一晩寝たら、彼との会話をすっかり忘れていた。彼からは「吉井和哉LOVEな人に久しぶりに会いました」とメッセージが来て、「おお!そうだったそうだった」と、しばらくイエローモンキー談議に花が咲いた。

「イエローモンキーってカラオケで歌っても、みんなあまり知らないから盛り上がらないんですよね」と彼が言うので「わたしは盛り上がるから、みんなで行くことがあれば歌って下さい」と答えた。

一週間後、銀座で開かれたわたしのイラスト展示に、彼はわざわざ足を運んでじっくり見てくれた。

わたしは当時、はがきサイズのファイルに自分のイラストを入れたミニブックを持ち歩いていたのだが、彼は3次会でそれをすごく丁寧に見てくれたのを思い出した。絵を見るのも好きで、一人でよく美術館に行くという。

「理想」が向こうから歩いて来ていたようなものだった。

しかし、わたしはそこで思考停止をしていた。実は彼はわたしより9歳年下。その事実が邪魔をしていた。まさか恋愛に発展するわけがない。それ以上は考えないのが、自分が傷つかずに済む唯一の方法だと身構えていたのだった。


デートかファンの集いか、それが問題だ


そこから壁を蹴破って、先に進んでくれたのは彼の方だった。展覧会の翌日「ところでカラオケ、いつにします?」と彼からメッセージが届いて、わたしは思わず椅子から飛びあがった。「え?カラオケって二人で行くんだっけ?」

そこから約束の日まで、わたしは彼のことばかり考えていた。恋にのぼせ上がっていたと言うわけではない。これがデートなのかどうかも不明で、どう受け取っていいのかわからなかったのだ。単なるファンの集いなのかもしれないし(笑)

ただ、もしも彼と付き合うようなことになれば、今まで出会った誰とよりも気が合うのではないか、という確かな予感があった。そしてその予感は当たり、わたしたちはそこから7か月後には夫婦になっていた。


「推し」続けたらやって来た「シアワセ」


当時のわたしは、誰から見ても「ロック好きな人」とわかる服装をしていた。38歳にしてゴスロリやミニタリーやマーチンのブーツを好むわかりやすさ。少し前の結婚生活ではとてもコンサバな服装をしていたので、離婚と共に解放されたのだ。

服装を載せるのはアレなので、当時住んでいた池袋の執事喫茶で買ったゴスな感じのケーキを載せてみる。

音楽的な嗜好は、ライフスタイルに通じる。およそ職業が一番服装に現れやすいのは音楽家だと思う。ロックミュージシャンはロックな服装をするし、クラシックの音楽家は服装もオーソドックスでノーブルなものを好む(ような気がする(笑))。

わたしたちはペアルックなど一度もしたことがないのだけど、よく「お揃いみたいに見える」と言われる。服装がしっくりくるからなのだろう。

オットとわたしの顔立ちは真逆だ。大抵ラテン系か中東の外国人に間違えられるオットと、平安時代に生まれたら美人といわれたはずのわたし。

それなのに「お二人よく似ていますね」とも言われる。それがすべてなのだと思う。

着たい服を着て、好きな音楽を聴いて、やりたい仕事をして、自分らしくあること。それを「否定されずにいられる」こと。わたしにとってはそれこそが幸せのすべてだし、多くの人にとってもそうではないか、と思うのだ。

何より、毎日家の中で気兼ねなく吉井さんの歌を聴けて、同じ熱量で「やっぱいいよね」と言い合えるシアワセ。

ああ、やっぱり「理想の結婚」とは「推しが同じ相手との結婚」だと痛感する。オットにはじめて会ったとき、「モテ」のためにコンサバな格好して、男子受けしそうな画像を待ち受けにしていたら、今の幸せはなかったと思う。

好きな服を着て好きなことをして生きててよかった!


本日は4年越しの熟成下書き!


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タイトル変わってます


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