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ホームシックの話

ちょうど1年前。私はアメリカでいわゆるホームシックというものにかかっていました。渡米から半年の頃です。
日記を読み返すと楽しそうな毎日をそれなりに送ってはいたようですが、なんか毎日「日本に帰りたい」と思っていました。

渡米した直後は、ホームシックにかかることはありませんでした。
毎日が発見と刺激に溢れていたし、仲良くなったルームメイトとも毎日楽しくやっていました。日本に帰りたいと思う時はだいたい、日本で日本語で学びたい、芝居を作りたい、と思う時でした。

そんな私は2月に本格的なホームシックにかかりました。当時はそうは思わなかったけど今から思えばあれがホームシックってやつでした。

症状としては、ずっと何となく具合が悪かったです。
ものすごく例えがわかりづらいのですが、1ヶ月くらいずっと生理前みたいな体調でした。偶然その月のPMSがひどかったり、2月が現地で一番天気の悪い月だったりと条件がかなり悪かったのは確かです。しかし、はっきりとしたホームシックのきっかけは幼馴染親子の渡米でした。

家族ぐるみで付き合いのある父娘が遊びに来てくれました。たった二日間。それはもう夢のような二日間でした。親が渡米してくる友人や、冬休みに日本に帰る人、友達が遊びに来てくれた人とかも周りには結構いました。しかし私にはアメリカに知り合いはいないし、親もこなかったし(結果としてはそれでよかったけど)、友達も流れ弾で会えた、みたいな人しかいませんでした。そんな中、家族に最も近い存在がアメリカにやってきてくれた。それは大変な心の癒しでした。

その一方で、この二日間が終わってしまったら私はまた一人になるんだ、という気持ちにもなりました。当時はずっと強がっていたので何ともない顔をしていましたが、今から思えばとんでもなくしんどい時期でした。

ルームメイトも何となく忙しくて、二人で行き詰まった時には大好きなタピオカドリンクを片手に、ビーチに遊びに行ったりしました。その時期には帰国へのカウントダウンも始まっていて、アメリカの友達との距離もぐっと縮まり、遊びに出かける回数も増えました。3月のちょっとしたおやすみには、グランドキャニオンとかを回って自然のパワーを存分にもらいました。大好きな舞台に参加しました。そうやって何となく、乗り越えました。

今となってはどれもいい思い出です。
それに、皮肉なことにあの二人が渡米してくれなかったら私はどこかで潰れていたと思います。自分の過去を知っている人の存在は偉大です。


留学体験記とかって、いい話か危ない話しかないですよね。それが不安ですよね。わかります。人間だからホームシックにもなります。母国が、家族が、恋しくなります。当たり前です。でもきっと、あなたの周りにはいろんな発見や、喜びがまだまだ満ち溢れています。Fall-Springで留学している人はあと3ヶ月くらいかな。存分に楽しんでください。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。