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さいたま生まれライブハウス育ち

僕は高校時代、毎週のように北浦和KYARAというライブハウスで遊んでいた。大学に上がるといろいろ忙しくて足は少し遠のいたのだが、たまに遊びに行くといつも暖かく迎えてくれる、そんな場所。親戚よりも僕のことを知っていると思うし、僕にはたくさんのいい兄や姉がいる。幸せなことだ。

ここ数ヶ月はずっとお芝居の方に縁があって、本当にライブハウスとはごぶさただったが、2月はなぜか、ライブハウスとその文化に縁がある1ヶ月だった。KYARAでも遊んだし、先輩のライブのお手伝いに入ったり、ライブハウス育ちの人と飲んだり。やっぱり、僕はライブハウス育ちで、ライブハウスが僕のいるところなんだって、いやでも思わされた。

高校時代に、家と学校以外に社会があることは、本当に尊いことだった。逃げ場所があったし、何よりいろんな人生を知ることができた。良くも悪くもいろんな大人がいる。僕が歩いてきた道は、黙って生きていたら流されてどこまでもいけちゃうような道だった。だけど、それより面白い人生ってたくさんあるな、と教えてくれたのはライブハウスだった。

例えば、僕は大学の終わりが出演者としての音楽や作り手としての舞台人生の終わりではないと思っている。その仕事に就くつもりがなくても。仕事をしながら音楽をできることを知っているから、ずっと舞台裏にはいられると信じている。それは大人に「仕事あるけど出るよ!」って自分の企画に出てもらった経験があるからだ。仕事終わりにハコに来てスーツを脱いでおもむろにダイブする大人を見たからだ。それは学校では教えてくれない。ライブハウスが教えてくれたことだ。

ところで、僕の故郷「北浦和KYARA」というシーンは本当に面白い。
「北浦和らしい」という音楽のジャンルがない。「北浦和らしい」ってなんだ?という気持ちになる。なんというか、らしさとかじゃなくて「いいものはいい」という評価をされるし、とにかく面白いことをやったもん勝ちというわくわくすぎる風潮がある気がする。僕が何かをするにあたって楽しくなくちゃやりたくないし、新しくなくちゃ意味がないと思う心は北浦和が育ててくれたんだと、最近気づいた。

そんな今日、地元の大ヒーロー、the telephonesのツアーファイナルに行ってきた。
そうだよな、北浦和って、こんな楽しくて変なバンドが出た土地なんだよな、そしてそのバンドは大きすぎるヒーローになったんだよな、そして僕らはこういうところで育ててもらったんだな、としみじみしてしまった。telephonesが、あの世代がいたから、北浦和のシーンはいつものびのびと楽しいんじゃないかな、と思う。わかんないけど。ただのお客さん目線だけど。

そして何より、やっぱり地元を大切にする人が本当に多い。そんな暖かいシーンだから、地元を大切にするしちゃんと帰ってくるし、そういう先輩を見るからバンドも、お客さんもシーンを大切にする。そしてきっと、誇りに思っている。

全部がかっこよくて、暖かくて、楽しくて、大好きです北浦和KYARA。
20周年、本当におめでとうございます。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。