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『実母との再会』〜統一教会養子当事者の体験談〜

私が、産んでくれた母と再会したのは、母が癌に体を蝕まれ、病院で寝たりきりになって衰弱してきている頃だった。

私の養親は、「私に養子という事実を打ち明ける事」に対して、私が理解できるようになる歳まで慎重になりたいという思いと、当時留学して周りに教会関係者の子供達が多く、養子の子も何人かいたので、勘付いてしまわないか、周りから知ってしまったら…という不安もあり、いつ打ち明けるか常に悩んでいたらしい。

そんな時、産みの母がリンパの癌になり、進行も進んでいて入院をしたが、もう長くないかも知れないということになったらしく、最後になるかも知れないから私に話して会わせようという事になったようだ。

そして、産みの母親に会いに病院に行った。
産まれた当時以来会った事のない母親と何を話したら良いか戸惑った。(子供の頃は会ったことあったかも知れないけど記憶にないので)
母は衰弱し痩せ細って、酸素マスクや点滴や体中沢山の管に繋がれていて、寝たきりで起き上がる事もできなかった。まさかそんな状態だとは想像できなかった私には、その姿はショックだった。

私に向けて何か話してくれていたが、声も弱々しくほぼ聞き取れなかった。
私が困惑した顔をしていたのだろう。
母は弱々しい動きで酸素マスクをずらして話しかけてくれた。それでも何て言ったかはハッキリ分からなかった。
でも母は私を見て、喜んでくれているようだった。きっと体は動かせなかったけど、感激してくれているようだったなと今は思う。

本当は母が何を話すのか聞きたかった。一語一句聞き逃したくなかったし、会話もしてみたかったが、それは思ったようにはできなかった。
でも母は精一杯の力で腕を上げて私の手を握ってくれて、嬉しそうに私の目を見て笑ってくれた。
私もその手を握り返した。
会話は殆どできなかったけど、これで母の思いが十分伝わってきた気がした。まだ高校生だったけど、どう受け止めたら良いか戸惑っていたけど、この瞬間は決して忘れないし、忘れたくない。

そして、この時私が母に伝えなきゃと思った言葉は「産んでくれてありがとう」という言葉だった。これしか言えなかった。
そして、隣にいた養母が「○○(私)を産んでくれてありがとうございました」と涙ながらに言っていて、三人で病室で涙した記憶が今でも心に焼き付いている。
養母も実母も私も、それぞれ色んな思いがあったんだと思う。沢山は言葉にならなかったけど、「ありがとう」という言葉が全てなんだと思う。あの空間ではそれは確実に感じた。

これが私が産みの母と再会した最初で最後の時だった。(当時留学していた為、一時帰国の時にしか会う事ができなかった)

欲を言えば、もっと会いたかった。もっと一緒に過ごしてみたかった。産みの母親の元気な姿を見てみたかった。手料理も食べてみたかった。色んな話を聞いてみたかった。もっともっと母のことを知りたいと思った。

でも一方で、育ててくれた両親に出会えた事、育ててくれた事、愛してくれた事が大きくて感謝していて、私は養子に出されたくなかったとか出なければよかったと思ったことはない。勿論養子に行った事で不幸だとも思った事はない。
両親の思いを知っているのに、そんな事思えない。

育ての母親は、産みの母親の心情を一番理解しようとして、一番大切に感じて、その気持ちや責任をきっとずっと感じながら、私に沢山愛情を注いでくれたと思う。
私は沢山反発したし、沢山道を迷って、間違ってきてしまったし、沢山親を悲しませることもしてきた。その罪悪感に苦しくなる事もある。
今も親の理想通りではない。

でも、私が結婚して子供が産まれた時、出産の報告をした時、(育ての)母親はとても感動して、電話越しで泣いて喜んでくれた。
自分が子供を産めなかった思いもあったのかも知れない。

両方の両親がいて私がいるから。
そして、私の知りたいという気持ちも言葉にして表現していったら、両方の父母が沢山伝えてくれて、今もそうしてくれている。

私は養子という事実を知って、驚き、戸惑ったけど、受け止められたら、両方の家庭に愛されていることも感じられて嬉しく、幸せだとも思った。
兄弟姉妹に会えた事もとても大きかった。

産みの母が亡くなってから(私が養子の事実を知ってから)、毎年両方の家族みんな揃って、産みの母のお墓参りに行っている。年々家族が増え子供達も増えて、大所帯になっていく。
それもまた私にとっては喜びだ。
これは私が教会に反発して離れて信仰をなくしていた時も今もずっと変わらない。
私にとってはそんな事より大切だから。

教会の養子の家庭も様々で、両家の関係性や親子関係も千差万別だと思う。
全ての子供達が肯定的に受け止められずに苦しんでいる事も知った。
自分の出自を知りたい、親を知りたいという気持ちは子供なら当然のもの。
もしもそれが叶わなかったとしたら、その気持ちは、本人にしか分からない、とても悲しく寂しいものだと思う。
産みの親、養子元の家庭と交流が持てず、兄弟にも会えなかったら、それはどんなに寂しいだろうか。
なんで私だけ、なんで私が、という気持ちになってしまうだろう。
想像することしかできないが…

そこにはきっと色んな事情があるのだろうけど、できる事なら子供の願いを叶えてあげてほしい。
両方の親の愛を感じる機会を持たせてあげてほしい。
自分が愛されていたと感じてほしい。

母親はお腹に子供を宿し十月十日間、様々な体の不調にも耐え、子供を一番に気遣いながら、無事に産まれてきてくれることを祈りながら、産みの苦しみを経て、尊い命をこの世に迎える。
そんな思いで産んだ子供の事を忘れることなどできないと思う。
例え、養子に出した後、色んな事情があって、会えないでいても、必ず親はきっと毎日その子の事を思って祈っていると思う。
いつかそれが理解できる時が来てくれる事を、同じ当事者として切実に願います。

これは最近知った事ですが、私の養子元の家族は長らくアジアの途上国に行っていたので、私は現地の病院で産まれた。その時代の途上国の出産事情は壮絶だったよう。母は、痛みが絶頂に達し「本当に苦しかった」と私を産んだ後ベッドの上で実の父親に言ったそうだ。

違いはあれど、母親はみんなそのような思いを通過して子供を産んでいる。

私が当事者として、見聞きして会ってきた親達をみて、その確かな愛情を感じたし、自分が親になって改めて思う。
統一教会の教義を振り返っても、教えているのは「真の愛」。そこに賛同して人生かけてきた人達なので、動機は確かにそこにある。
神様から授かった尊い命を、養子に出す事に使命を感じて実行した親の気持ちや覚悟は半端なものではないと思う。
そして本当に利他の心や深い愛情を持っている人でなければそんな事できない。

私の母親が軽々しく子供を手放したと言われると、とても傷付く。
それは他の当事者の子供達も同じだと思う。
確かに動機は愛なんだから、もし会えていなくて事実を知る事ができなくて、寂しい思い、悲しい思い、辛い思いをしている人達がいたら、どうか信じる心と希望は捨てないでほしい。
親は自分の宿した命、お腹を痛めて産んだ命を、そんなに軽々しく考えたり扱ったり、ましてや忘れるなんて事できないと思う。
きっといつもどこかであなたのことを愛してくれて思ってくれていると思う。
どうか幸せになってほしいと思う。
それがみんなの幸せだから。

私一個人の体験とそれを通じて強く持っている勝手な思いですが、どうか少しでも誰かの心に届くと嬉しいです。

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