“ありのまま”について(個人的な見解。)
こんにちは♪
前の投稿から少し間が空いてしまいました。
お料理ばっかりして、順調にhospitality精神を養い中の前田妃奈です。そろそろホストマザーにでもなろうかしらね。
今回は、題名通り、
“ありのまま”
について書いてみようと思います。
先日、親友という言葉じゃ済まされないほど親しい友だちNと、「ありのまま」について話した際、かなり頭が整理された感じがしたので、自分のための復習も兼ねて皆様にもおすそわけ。
わたしは、“ありのまま”という言葉には使われ方が大きく分けて2つある気がしています。
例文をあげるとすると、
①ありのままの自分を解ってくれる人と一緒にいたい。
②ありのままの自分で過ごせるようになりたい。
の2つかな?
これは完全にわたしの感覚ですが、
①の“ありのまま”は、「どんなにだらしなくても、見た目を気にしなくても、好きなことを好きなだけ言っても」的な、全く気を使わず、どれだけ堕落した姿を見せても引かないでほしい、というニュアンスな気がします。
一方、②の“ありのまま”は、「今の自分で素晴らしい、今の自分大好き、今の自分でいることが誇らしい」というニュアンスが含まれている気がしています。
①の意味に関しては、その通りだと思います。
どんな姿でいようと、どんなことをしようと、笑ってイイね!ってお互い言い合える関係の人って、なかなかいないですし、いたらできる限り大切にすべきだと思います(もちろん親しき仲にも礼儀ありだけど)。
でも、②は上辺の意味だけで止まってしまっているなぁということに気がついたんです。最近の、ありのままの自分で生きよう!的な風潮に流されすぎて、何もかもが止まってるなぁと。わたしだけなのかもしれないけど。
今のままのありのままの自分で素晴らしいんだから、
変わらなくていい、変わりたいなんて思うなんて、自分を受け入れられてないんだ!という尖った考え方ををしていて、
ネガティヴで弱い自分を、それでも良いんだと受け入れることも大事だけど、
今の状態から変わりたい、頑張りたい、自分磨きしたい!と思うポジティヴな自分の思いを受け入れるということは盲点でした。
今の自分で素晴らしいから、そのままがいいんだと自分に思いこませすぎて、変わりたいという自分のありのままの気持ちを、変わったら今のありのままじゃなくなるから!と無意識に押し潰していた自分がいたんです。それも全部ありのままの自分なのに。
ありのままの自分で生きるって、本来は自分の内面も外見も全てをひっくるめて受け入れて、それと上手に付き合って生きていくってことなのに、上辺だけの意味をとって、“そのまま”でいることがありのままだと勘違いしていました。それに甘えている自分もいました。
変わりたいと思う自分も、ありのまま。
変わりたくないと思う自分も、ありのまま。
こんなことをぐるぐる考えている今の自分も、ありのまま。
またひとつ、生きやすくなった気がします。
色々な解釈があると思いますが、わたしはこの解釈、結構好き。
日々ぐるぐるたくさんのことを考えてるので、ひとりごと程度にまた書いていきたいと思います。
梅雨ですね。
ご自愛ください。
11/6/2023 23時30分
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?