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雛杜雪乃に関する記録

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 19XX年、日本某所にて生まれる。
 極々普通の家庭環境に育ち、時折挫折や苦難と出会いつつ、やや内向的な性格として育つ。

 とある日、幼馴染みの一人が行方知れずとなる。
大学生として時間をもて余していた僕は、旧友と再会するべく、
気心の知れた友人を巻き込み、旧友が最後に訪れた土地に向かった。

その場所の名は「綿積海(ワタツミ)」。
近隣の人々からは、「かつては海があった」と言われる山間地である。

「あの事件に関わることがなければ、僕はこうして皆様とお会いする事は無かったでしょう」

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村民は僕たちを歓待してくれた。なんでも、昔は修験僧の来訪で栄えたこともあったが、その繁栄も今は昔。
地質学的に珍しい土地ではあるものの、今では人がめっきりいなくなってしまったという。
和気あいあいとした空気のなか、女将さんが口を開く。

「ところで、皆さんはどうして綿積海に?」

僕は言った。

「雛杜雪乃という人物を探しに来たんです。何かご存じではありませんか?」

途端に、部屋の雰囲気が変わる。

「何故、その人を探そうと思うのですか?」

 幼馴染みですと答えれば、女将は垂れ下がった目を薄く開く。

「この村に来ておりましたよ。私は詳しく存じ上げませんが」

 優しく情報を教えてくれる彼女。だが、僕は不思議でならない。
 何故だか、彼女が途方もなく恐ろしいものに思えたのだ。

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「テケリ・リ! テケリ・リ!」
「んん……なんで起こすの……? 朝……?」
 体を押され、眠い目を擦りながら目を覚ます。
 血の巡りが悪いのか、意識がおぼろ気な朝は、体が思う通りに動かない。

「おはよう……●●……」
「テケリ・リ!」

 虚ろな眼を宙に泳がせ、ふらふらとした足取りで立ち上がる。もしかしたら、その辺りにおいた荷物に足をぶつけたかもしれない。
 朝食を終え、身支度をし、時計を見る。
 いけない。今日はもう出掛ける時間だ。

「それじゃあ、行ってきます。●●も気を付けてね」
「テケリ・リ」

 僕は、また一歩を進むために今日を生きるのだ。

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 閑散としている村に、妙な緊張感が漂っている。
 道行く人はこちらの様子を伺いながらも、それでいて、目を合わせることはない。
 僕達は道行く人に尋ね、雪乃の行き先を辿った。
 行き着いた先は、「綿積海山」。村の中心に位置する小高い丘のような山だった。
「雪乃、地質学なんか興味なかったろうに……」
 僕は独りごちる。
 案内板によると、山の各所には風穴や洞窟があり、落ちてしまえばどこに繋がるのか分からないのだという。
「でも、村の人たちは落ちても帰ってこられる」
 雪乃は、ここに落ちてしまったのだろうか?
あいつは、他人の幸せを願って、底抜けに優しかったが、破滅願望は無かったはずだ。
 気付けば、辺りから生き物の音は全て消え去っていた。

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 鉄臭く、すえた臭いが鼻を突く。
 朦朧とした意識の中体を動かすと、柔らかく、滑る感触の何かが手を押し返す。

「……ああ、おはよう……しょごす……」

 テケリ・リと、甲高く、耳障りな鈴のような音を発し、寝そべっている肉が蠕動(ぜんどう)する。
 天も地も、左右さえも曖昧になりそうな肉塊の中。しかし、外から流れ込むわずかな空気だけが、自分自身を保つ蜘蛛の糸だった。
 僕としょごすが曖昧になり、沈み込み。そうして互いが溶け合って、一つになる。

「……あぁ、ダメだよね。
僕は君達も助けると約束したんだから」

 ーーこの村の人たちと同じように、なってはならない。



「テケリ・リ! テケリ・リ!」
「……ああ、おはよう。●●。
大丈夫。ただ夢を見ていただけだよ」

 あの時、君と共にいた僕の夢を。

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 山を駆ける。
周囲は夜の帳が落ち始め、明かりは、眩しいぐらいに光る満月だけだった。
 僕はたった一人、とある洞窟を目指し、一目散に駆けていく。ああそうだ。
 僕らを襲った暴漢が消え去ったのも、不自然に生き物の音がしないのも、村人が知るはずのない僕達の情報を知っていたのも、全て当然の事なのだ。

「くそっ! くそっ!! くそっ!!!!」

 村に人などいなかった。動物も虫も何もいない。
 全ては一体の生き物だったのだから。
 ……深く深くへ潜り込む、禁足地と言われたその洞窟。それこそが、雪乃を引き上げることのできる唯一の出口だ。

「雪乃!!」

 虚ろな目のあいつがいた。腕を伸ばし、掴み引き上げ……そして気付く。

「なんでっ……! なんでソイツまで
引き上げようとしてるんだよ!!」

 繋いでいるのは……手だけなのだろうか?
躊躇い、諦めようと思った。最期に、雪乃の眼を見て、僕はーー。

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 目を覚ませば、僕は自分の部屋にいた。
 暴漢に殴られたときの痣も、山を駆けた際の切り傷もない。
 あの数日を証明するものは、机に載っている、柔らかな雰囲気のメッセージカードのみだった。

『●●へ。僕を助けてくれてありがとう。
おかげで僕も、繧キ繝ァ繧エ繧ケも、あそこから帰ってくることが出来た。
本当にありがとう。
ささやかなお礼として、怪我は治して、●●が欲しがっていた機材をプレゼントしておきました。これからも、仲良くしてくれると嬉しいです。

追伸.友人も直しておきました』

 なおした、治した? ーー直した?

 ……今日も僕の隣には、いつもと変わらない友人がいる。

追記事項
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 僕は助かった。
 そう。僕は、助かったのだ。

 回帰の海と呼ばれたその地底湖は、既に本質を失い、死者を取り込み、作り直すだけの機能となり果てていた。
 洞窟に突き落とされたのにも関わらず生き延び、死して海に身を投げる村人のようにならず、
 綿が積み上がった大海からも引き上げられ,たった一人命を繋いだのだ。
 例え望まぬ結末だとしても、僕はこの結末を受け入れる義務がある。

 だって僕は、あの村からたった一人、生き延びた人間なのだから。
 
この手記を読む人々に乞い願う。
僕があの村を再演する事がないよう、僕をずっと見ていて欲しい。
 だって、僕はもう、幕上げをしてしまっているのだから

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