綺麗なものを見た

昨日、ものすごく綺麗なものを見てしまった。
というと大袈裟だが、ここ最近の中では一番感情を揺さぶられたのだ。

昨日は人と会う用事があり、私は先方の会社を訪ねた。初めて会う人だ。

到着すると受付の方が会議室に案内してくれた。
机と椅子が2つ、それと電話が置かれた小さな部屋だ。

時間より5分程早く訪ねてしまったため、相手の方はまだいない。一人でしばらく待つことになった。

私が座るように促された方の机の上には水の入ったペットボトルが既に置かれていた。

そして私の目はそのペットボトルに釘付けになった。
ペットボトルについている水滴があまりにも綺麗だったからだ。

「なんだ水滴か」と侮ることなかれ。
細かく大きさも均等な沢山の水滴が、ペットボトル全面を覆い、それが室内灯に照らされ、まるでクリスタルかのように輝いていたのだ。

一つ言っておくと、確かに私は目が悪い。
だが、その時はコンタクトを付けていた。視力が悪いせいでキラキラと見えたわけではないことをここに誓う。

この段階ではまだ私は「お水をどうぞ」とは勧められていない。
受付の人は何も言わずに去っていき、部屋には私一人の状況だ。

「写真を撮りたい」

と思ったが、初めて会う人が会議室内でペットボトルの写真を撮っていたら「変な趣味の人」か「インスタ依存症の人」などとレッテルを張られかねない。
それはこの後精一杯印象をよくしたい私にとってはいかがなものかと考え、撮りたい気持ちを頑張って抑えた。


そしてそれを1日経った今も後悔している。


結果を言うと、先方は約束の時間より15分程遅れてきた。
15分。
長かった。途中何度スマホをカバンから取り出そうとしたことか。
そして、残念ながら先方とはもう会うことはないだろう。
綺麗な水滴のついたペットボトルとも。

最後まで先方は私に水を勧めることはなかった。
きっとあの人は目の前にあんなに素敵な光景がある事には気づいてないのだろうと思う。もちろん憶測だ。

時間はあっても、使い方と判断の重要性を学んだ。
綺麗なものを見た日だった。

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