アカシアの雨

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  • あなたの胃袋アウトソーシング

    食べものについてまとめます

最近の記事

祖母の黒豆の味

自分でよく料理をするようになる前から、「料理の合理性」には惹かれていた。   古い記憶をさかのぼると、小学生3~4年生くらいの頃に「お母さんに得意料理のレシピを聞いてきて、それを発表してください」という宿題があった。そのとき、母から何らかの煮込み料理を教えてもらって「なにより、これは冬に灯油ストーブの上に鍋を置いておくと、ちょうどよく煮えてガス代も余計にかからない」と聞いて感銘を受けた。 それをそのまま書いて発表したところ、母親に後から「恥ずかしいからそういうところまで書かな

    • 食べる前から食べ終えるまで美しいサンドイッチについて

      「ケーキは断面」と言ったひとがいた。 確かに、地層のように重なる断面は味のプレゼンテーションであると同時に、色のコントラストやグラデーションまで表していて、見た目にも美しい。 美味しさは見た瞬間から約束されている。 サンドイッチはどうだろう。 ケーキに比べると、初めから倒されたミルフィーユのように断面をあらわに見せているものが多い。ただ、パンは可食部であると同時に手でつかまれる持ち手でもある。柔らかすぎても堅すぎても、挟まれる具材の量、具材を噛み切る際に加わる力、何かひとつ

      • クリスマスが近づくと思い出すネパール料理店

        未来のお客さんとの約束を守ろうとしていた店のことを、クリスマスが近づくと思い出す。 とにかくカレーを食べ続けていた2016年頃、食べたことがなさそうな料理や美味しいという評判があれば、わりと遠くまで出かけていた。 そのうちの一軒が、甲子園口(兵庫県)最寄り「ターメリック」というネパール料理店である。 ネパールのプレートごはん「ダルバート」を食べられる店は、当時まだ少なかったのに加えて「スパイスが効いているのに辛いわけではない」「確かにオイルは使っているが重たくない」「ごは

        • そこにあることが自然だと思われるような店について

          コロナ禍を経て根づいて欲しいものが二つある。 客が前もって店に予約してから訪問するのに慣れることと、飲食業の店主が無茶せず働き続けられる勤務体制について。 関西では「行けたら行くわ」を体現するかのように前売りが売れないとか噂レベルで聞いたことがあるが、実際「予約してまで行きたくない、ふらっと行きたい」という意見もよく聞く。いつでも行けるというのも魅力ではあるものの、客が来るか来ないか全くわからないような時勢では、予約があった方が食材ロスは確実に減る。「予約して予定を楽しみに

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          良い匂いのする水、あるいは高揚と陶酔を求めて

          本や映画で「時間の研磨に耐えた古典さえ読んで、観ていれば良い。人生の時間は有限なのだから確実に良いもの以外を追う時間はない」という意見があるが、言いたい意図はわかるものの納得しかねる気持ちが長くあった。 現代において新たに生み出されるものは、自分が生きてきて、いま、ここにいることと世の中の混沌が交差する場所にある。 そこでしか見えない価値も生まれるはずであるのに、見る気もないと嘯く気には、どうしてもなれない。 現在は「古典を学ぼうとしないのは愚かであり、現代を無視するのは不誠

          良い匂いのする水、あるいは高揚と陶酔を求めて

          質量ともに圧倒的なビストロについて

          「フランス料理店」と言われて、どんなものを思い浮かべるかは、ひとによってかなりまちまちかもしれない。 では「ビストロ」は、どんな店かある程度しぼられているのではないか、と思ってからあらためて街中を眺めると「ビストロ」と店名に冠して「ハンバーグ定食」を提供している店もあってフランス料理ですらなく、仮に「気取らない料理」としたら「おうちビストロ」みたいな言い方もわからない。オーブンレンジの「ビストロ」はメーカーは何を意図して命名しているのか?何もわからなくなってきた。 -----

          質量ともに圧倒的なビストロについて

          そこに音楽は流れる

          じゃりン子チエの「テツ」って…と言いかけて「”テツ”や」とアクセントを直されたことが何度かあるのは、関西弁が母語ではないせいでもある。 いまだに「物をなくした」が十割「どっかいった」と言われることに「付喪神信仰か?自分が”どっかやった”だろ」と思うし、「松茸」を「まったけ」とちぢめることに「”プラッチック”と同じか?」、「お好み焼き」が「お好み」に変化することに「たこ焼きは”たこ”とは呼ばないのに、四文字以上口にするのは面倒なのか?」と不思議に思う。 なかでも「どつく」「しば

          そこに音楽は流れる

          料理が持つたくさんの機能のひとつについて思い知らせるベトナム料理店について

          全国区で大阪のカレーが取り沙汰される少し前、あまりにもカレーを食べ続けた年があった。 新たに行く店で店主が暇だと「カレー好きなんですか」「他にはどこ行くんですか」と訊かれたりした。 その時点で好きだった店を数軒あげると「いわゆる"現地系"ですね!」と返ってきたことがある。「現地系」と言われたらそうなのかもしれない。「現地の料理を、なるべく自分の地元に近い味で知ってほしい」という動機がある店が好きな傾向があった。 これは、おそらく"モダン""イノベーティブ"と称されるようなジャ

          料理が持つたくさんの機能のひとつについて思い知らせるベトナム料理店について

          パテ・ド・カンパーニュを作ってみて初めてわかったことと、隅々まで意図が巡らされたビストロについて

          ビストロでは定番のパテ・ド・カンパーニュは、店によって特徴が全く違うのがおもしろくて、行くたびに頼んでしまう。なぜこんなにも違いが出るのか、材料以外にも何が違うのか知りたくてパテ・ド・カンパーニュ「だけ」集めたレシピ本を読んで、自分でも作ってみたことがある。 レバーや肩肉などを買い集めて、フードプロセッサーにかけて挽いて、というプロセスを経て、急にある確信が降ってきた。 「これは、もともと一頭をさばいて余った端肉や内臓を寄せ集めて別の料理に仕立てた、合理性が始まりの料理だ」

          パテ・ド・カンパーニュを作ってみて初めてわかったことと、隅々まで意図が巡らされたビストロについて

          サイゼリヤの次に行くべきイタリアン

          この店については、前にも書いた。 しかし、まだ言いたいことがある。 「サイゼリヤを"ちゃんとしたレストラン"として評価しているならば、このレストランにも感動するはずだ」という確信がある。 順を追って述べるには、何年か遡らなくてはならない。 今でこそ、インターネット上では「俺たちのサイゼ」のようにもてはやされている趣があるサイゼリヤだが、かつてはそうではなかった。 いきなりインターネット老害みたいなことを言うようで恐縮だが、かつてはそうではなかったのだ。 「デートで連れて行

          サイゼリヤの次に行くべきイタリアン

          立ち飲みが安いのは理由があるし、安いだけで立ち飲みに行くわけでもない

          立ち飲みに馴染みがない上に、カウンターが常連で埋まっていたら詰めてもらうのも言いにくい、知らないうちに不文律を破ってしまうのも恐い。 主に「わからない」から生まれる「恐さ」から、裏なんばのあたりに飲みに行くのは気後れしていた。 それでも尚、行ってみたいところが何軒かあって、よく難波で飲んでいるというひとに案内を頼む機会にも恵まれた。 中で合流するのがOKなところもあるけど、ここはダメだから!とか、鉄板焼きで焼きそばを作るには鉄板を一度きれいにしないと作れないから、自分の好きな

          立ち飲みが安いのは理由があるし、安いだけで立ち飲みに行くわけでもない

          照れ笑いがピュアな欧風カレー店について

          西大橋のBig Beansというスーパーに行こうとしたら、一本曲がるのが早かった。 表の入り口に回ろうと歩く途中で、カレー屋の看板が目に留まる。こんなところにカレー屋があった覚えがない。当時、すでに名の知れたカレー屋は6割くらい足を運び、新しい店のチェックも欠かさないくらいカレーを食べていたのにも関わらず、全く知らない店だった。 新しい店なのかな、と店の前のメニューをしばらく眺めながら迷った。その日は外食するつもりではなかったし、欧風カレーはたいてい胃に溜まるから、食べるぞと

          照れ笑いがピュアな欧風カレー店について

          食べる喜びに満ちたイタリア料理店について

          食後の満足度で、食事の性質が決まる。 一般に「コストパフォーマンス」と言われるような「値段に対しての満足度」は逓減する。 千円の食事でこれくらいの満足度だったら、一万円の食事だと比例して増加するかといえば、十倍の満足度はもたらされない。 では何が楽しくて、いくばくか余分の支払いをするのか。 「嬉しい」「楽しい」「めざましい」、あるいは「恐い」、新しい感覚が得られるかもしれない期待に対して支払う。 料理が食材と技術のかけ合わせなのだとして、飲食店が家庭に差をつけられるのは仕入

          食べる喜びに満ちたイタリア料理店について

          清潔さに背筋が伸びる店について

          ふと「馴染みの寿司屋があったらいいな」と思った。 目標を立てると、見えなかったものが見えてくるのか、今まであまり通らなかった道で店から出てくる人たちに出くわす。 「紹介してくれてありがとう」とにこにこしていて、案内人らしきひとも満足そうだった。 窓がない建物は中の様子はうかがえないが、寿司屋らしい。表に置いてある品書きは「おまかせコース 3500円」とあった。 店の雰囲気は安っぽくないのに、妙に安い。 不思議に思いながら、ひとりで予約した。 「いらっしゃいませ」とカウンター

          清潔さに背筋が伸びる店について

          不当に空いている広東料理について

          「中華」というくくりではなく、地方ごとの特色を踏まえて食べに行きたいと考えていた。 特にちゃんと広東料理に向き合ってみたい。 別の店の基本情報を確認しようと食べログを開いたときに「ここを気に入っているひとは、こちらにも行っています」と表示されたリコメンドが、きっかけだったと思う。 まだレビューが数件だったが、写真も含めてざっと読み、良さそうだなと判断した。平均点は見ていない。 平日の日替わりランチに行き、お粥と蟹玉を選んだ。 ※2018年1月31日時点。日替わりランチは2

          不当に空いている広東料理について

          2019年もっとも心を揺さぶられた飲食店のこと

          意識して新しい店に出かけた年だった。 立ち飲みとはどういうものなのか、自分が思う"いい店"とはどういうものを指しているのか、あとから思うことは色々ある。ある店で常連さんが「私ここにばかりいつも来ちゃう。他にあんまり知らないかも」と言い、店主が「行きつけなんて、そんな何軒もいらんしな」と応じるのを聞き、貪欲すぎるのかもしれないと足下が揺らいでいた。 そんな折、開店したばかりの店についてGoogle Mapsで書かれているのを見た。 「食べログには書かないでって言われたからここ

          2019年もっとも心を揺さぶられた飲食店のこと