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21世紀(20191004)

 ポジティブに。21世紀の発展の仕方についてポジティブに考えてみたい。たぶん、戦後とか昭和の人たちが思い描いていた理想とは違うものになってると思うんです。タイムマシンとか、地面を滑る車とか、空中に写し出される映像とか、人の仕事を9割奪ってしまうロボットとか。まだないし。え?これもまだアナログなの?みたいな仕事いっぱいあるし。部分的に成功しているものもあるかもしれませんが、もし昭和の人がタイムスリップしてきたら(矛盾してますが)がっかりするような外観なんじゃないかなーと思います。微妙なところで止まっている感じ。ラーメンズさんのネタにそんなのがあった気がする。せっかく未来の超発展的な景色を見に来たのに、あれ?そんなに進んでないぞ?っていう。アトム。

 で、そんな中途半端な発展の仕方についてなんですけど。理想みたいなのがほんとに実現してたら、いろいろ問題を無視しながら進めていったことになると思うんですよ。ゴミ、公害、パワハラ、セクハラ、残業、鬱、人権、格差とか。発展するのはいいけど、日本汚くなってない?みたいな。滑る車はあるけど権力ある数人しか使えないぞ?みたいな。このまま行くと誰も住めないエリアが半分超えるぞ!とか。理想を追い求めるのはいいけど、捨てるものが多すぎないか、ということにだんだん気づいたんじゃないかと思います。諦めざるを得ないことも多くなってきて。限界はあるし、無限の発展はない。ある人が裕福になるときにはある人が貧乏になっている可能性がある。そういう抗議が多くなって雰囲気が広がってきた。戦後の復興では、日本に住んでいる人の多くが同じ方向を向くことで(向かせることで)成長してきたと思うんですが、その裏では悲惨なことがたくさん起きてきた。それがどんどんばらされて、無理するのはやめよう、という判断も多くなってきて。その結果の「つまらない」風景なのではないかという。ポジティブに考えるなら、停止停滞している方がよいのでは?と思います。キラキラした未来はいらないから、より多くの人が穏やかに死んでいける方がいい。

 でも、それも恵まれたとこにいるからなんだろうな。自分は運がいいだけで。この瞬間にも侵害されている人はたくさんいるし。いじめられている人、強姦される人、差別を受ける外国人、借金を背負わされている人、住むところのない人、教育を受けられない人。一方で僕は、ふらふらとやりたいことをやっているような、いないような。見る人が見たら殺意を抱かれてもおかしくない。ポジティブ。やばい。全然ポジティブになれなかった。ポジティブになってはいけないような気がしてしまう。難しい時代だなと思ってしまいました。正解がない、ということが分かってしまった。全ての人が満たされる社会なんて存在しない。そのことが分かってそれを踏まえて少し違ったものを生み出したいのだけど、なんだか同じ問題がずーっと続いている気がする。これを打破しようと、頑張って社会を成長させる!というのもまた、同じ問題を生み出してしまう気がする。ぐるぐる。ポジティブとはなんなのかが分からなくなってしまった時代。

 

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