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日本のパフォーマンスと音楽的なもの、でも結局はリズム

深夜散歩旅から翌日の五反田までは一個前のnote記事で記載があるので省略するが、今回の散歩旅で1番驚いたことがあった。

それはクドーサンが『ギターをやってみたい』と言ったのだ。しかもエレキギターというか、趣味程度でなんか弾けたらいいなぁーくらいの感じのちょっとした趣味だからアコギでもいい、いや、それなら逆にクラシックギターはどう?と提案した。

五反田で珈琲をしばいている時に、なんならこれ以上もう歩きたくないし、いまから楽器屋行ってみる?という話になりクドーサンはなんならもう買って帰りたいという勢い。
物事に向き合うのに最初は勢いが本当に大切。そういう人間は嫌いじゃない。

いざ、電車で新大久保のクロサワ楽器へ。
いろいろ省くが中古で良い状態のYAMAHAのクラシックギターを購入。自分がほしいくらいだった。
下手したら自分の持っているやつより弾きやすくて音色的にもソリッドな感じではなく太めの温かい感じ。プチジャパンビンテージと言ってもいいだろう、良い感じの古めの楽器。
あら、良いですね〜の波が押し寄せてきちゃう。

ただ試奏をしているときに近くに別なおじさんというかもうその道のプロのみたいな貫禄のクラシックギター演奏者が華麗なるなんかの曲の演奏をしていた。
僕はギターリストではないので技術的にはそのおじさんには到底及びませんが、ギターのチェックのための試奏であるので何もフルで一曲弾かなくても、、、と思ってしまった。
ああ、このおじさんはクラシックギター奏者でもあるけど独りパフォーマーなのだなと思った。
あのおじさんの演奏にほかの楽器が合わせる事はちょっと難しそうだった。言い方は悪いがマイリズムでずっとソロ弾いてる感じ。
というかクラシックギターのイメージ自体そういうものって一般的にはあるかもしれない。
もちろんそれを否定するわけではないが、昨今のストリートピアノ的な印象を受けた。
あれもただのパフォーマンスであって、本当に音楽的なことをしているのはごく僅か。
派手さや指や腕を必要以上に魅せて叩く。それって本当に必要?って感じ。
楽器弾けない人にとってはわぁーすごい!ってなる。別に良いんだけどね。
ベースで言うならば腕を派手に余分に振り、叩きつける感じでスラップをする、もちろんそういうパフォーマンスは大事だけど本来は必要ないこと。
再生数稼ぎ。やってる事は露出が高い服を着て楽器を演奏している動画をアップしている人と同じ。
そんなことしてたらあぶないよ。
なんでご主人は耳を出してるの?危ないよ?だ。
ミヤゾンの犬。

先日地元の駅でストリートピアノが置いてあって、いまから弾きますみたいなシーンがあった。近くにはその知り合いがiPhoneで動画撮影。
いざ演奏が始まるとなんかレストランでかかってそうな綺麗な演奏が始まる。なんかの曲のピアノバージョンなのだろう。自分は全然弾けないからそれ自体はすごいなーって思った。
だが、ものの数分で退屈しそうな演奏。
リズムが変。あと盛り上がるとこでこれでもかというくらい癖のある溜め。。。いやいや溜めすぎでしょ。
まるで舘ひろしの歌い方のようだ。
そして盛り上がるところはやけに音数が多く耳が疲れちゃう。あぶないよ?

もちろんお得意の腕振りもことさらにあいまっていた。
『もう大迫力ものですよ』という浜崎あゆみのGカップおっぱいの揺れに対するネットライターの記事のようにはいかなかった。

音選びもジャズ的ものだったり、論理的な解釈の演奏ではなく、基本メロディラインに沿った演奏。
叩く、叩く、いや叩きすぎだ。
もちろんそれがいけないというのでないが、それに慣れてしまうとあぶないよ?って思いその場を立ち去った。

何が言いたいかというと、リズムが安定してることって本当に大事だなと思う。
ドラムの役割でしょ?って楽器やったことない人は言うかもしれないが、いやいや、全ての楽器に言えることだし、もはや楽器とかそういうレベルではなく、『脳』と『心臓』と『身体』で感じるもの。
頭のてっぺんから、手の指先、そして足の指先まで、最後に足の裏まで、
そして天と大地まで、、、
すべてを感じよう、って話がしたかった。

変に難しそうな早弾きや超絶テクなんていらない。
日本人ってそういうの好きだよね。
危ないよ?って話。

僕みたいなアマチュアな演奏者でもリーマン仕事しながら、ずーーーっと日々練習をする、それは死ぬまで。
音楽にゴールはないし、もちろん正解もないのだけど、せっかく楽器が弾けるならテクニックも良いけど、それよりもリズムをもっと意識してはいかがでしょうか?
と言う話をしたかった、そんな自己満な記事。

記事投稿:アライサン

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