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火乃絵のロクジュウゴ航海日誌〈scrap log〉 第二百卅五日 8/21

築三百年、もしかすると室町じだいからのものという萱葺屋根の市村のおばあちゃんち。お祖父様が亡くなられてから四年以上たれも暮らしていないという長野は駒ケ根中沢の山おくの空家にやってきた。午後10じ、いろりのある間で iPhone のスポット・ライトの下これを書いている、辻と市村の寝息ばかりがきこえている。

入口の道から生茂る雑草の向うに見えたときのもの凄さは話できかされていた想像をはるかに上回る、と同時にそれと同じじくらい家の中の清潔さにおどろかされる。手入れはしていないというが、これという虫も棲みついていない。ただシケった萱葺屋根の重みでいまにもつぶれそうで開かなくなった戸やふすまは多い。いろりを焚いて煤をとばし水分が吸われなければならないのだという。萱葺は苔の重みで崩れようとしている。村に居た職人さんが居られなくなってからというもの、お祖父さまがみようみまねでなされた修繕のところはしばらくしないうちに壊れてしまうらしい。しかし家屋の中には雨漏りのあとひとつさえない、畳に埃もない。——

萱葺をちかくで視るとむかしの人の手仕事には圧倒されるしかない、山あいのしぜんと自然のいちぶとしての人間の草編みの手つき、かようにしてひとびとは住居を得てきたのだ、その仕事の下、山にふりしきる重たい雨から今夜、火乃絵たちは護られている。

もちろん電気もガスもとおっていない、lanternを消してまっくらになったあと午後8時がいつまでも終わらなかった、こんなに楽しくて時の経つのがゆっくりなのは、小学校低学年のときいらいだ、こういうジカンの蚊帳の中でいつでも生きていたいとおもう。——

来る途中の車窓から見えたいろいろの川、小川、用水路、——どれも土砂をふくんで黄緑っぽい。河童の博物館。つくづく火乃絵は水の子だとおもう。いちばん印象にのこったのはすぐそばの天竜川。芥川の Kappa もじつはここ河原で見たのではないか、とおもいたくなるとても不思議に愉しい感じのする川。いたづらの好きそうなかわ。川。

電燈ひとつない山あいの夜は、おもってたより明るい。

雲の向うに十三夜の月。

山は青黝い。

文月十四日

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