ペットの死と自分の死と虹の橋

昨日、友達の犬が13年で天の国へ行ってしまった。娘さんが大変な嘆きようで、友達も憔悴している。

うちにはモルモットがいる。二代目だ。

モルモットクラスタの中では虹の国の話をする。死ぬことを虹の橋を渡るという。先に行ったペットは虹の橋のたもとで飼い主が来るのを元気なときの姿のままで待っているそうだ。

そのイメージはたくさんのペットを亡くした飼い主の中で共有してきてるお話で、先代のモルモットもきっと待っていてくれると私も思う。

いや、待っているのは娘のことだけかもしれないけど――。

娘と先代は相思相愛だったからね。

昔、その娘はぜんそくで具合が悪くなることが多かった。寝ている間もずっと咳をし続けて、かわいそうでならない。こちらも心配で寝不足で肺炎になり、実家に戻って面倒をみていた。

すると実母が赤ちゃんの娘を抱えながら、「この子は死んでしまう、死んでしまう」と呪文のように唱えていた。(そういうところだぞ!)

そして、

「まだ赤ちゃんだから、死んでも迎えに来る人もいない。真っ暗な世界に行ってしまう」

と、憐れんでいた。別に死ぬほどじゃないので入院もしていない。さすがうちの親だ。不安をより煽るのがうまい!

それを寝不足で聞きながら、まあ本人が知ってる人はいないけど、天国には夫の母親が先に逝ってるからと思っていた。

先代のペットが亡くなったとき、ペットロスの話を友達にすると、友達も十数年連れ添った大型犬を亡くしたことがあるという。

彼女は数年前に乳がんの手術をした。

麻酔がかかる寸前、もしかしたら目覚めないかもしれない、このまま死ぬかもしれないと思ったときに、

「ああ、でも犬に会える」

と、思ったそうだ。すると、少しだけ死ぬことのメリットというか、死ぬのがほんの少し怖くなくなったそう……。

それで安らかに麻酔の眠りについて、今は元気にジムに通っている。

どこかの国の言葉に子供には犬(ペット)を飼いなさいというのがある。

犬は最初の友達になり一緒に育ち、そして最初に「死別」を教えてくれるから――と。

ああ、でももうひとつあるなあと思った。

ペットは虹の橋のたもとで待っている。

御主人と一緒に天国へ行くために。

そのイメージは死んでしまうかもしれない飼い主の心も救うのだ。

「死」を教えてくれて、なお、「死後」も安心させてくれる。

虹の橋のたもとには、そんなペットがいっぱいいるんだろう。


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