見出し画像

今きみが糾弾すべきはベビーカーなのか。

ベビーカーが電車に乗ると「中の子どもが危険」だなんだ言われるけど、耐荷重テストに合格したベビーカーを不安視するより、狭量な社会を不安視する方が筋が良い。

そして「ベビーカーは乗るな」なんだと一丸になって糾弾するよりも、一丸になって通勤事情を変える活動するほうが筋が良い。

社会構造がおかしいのに一ユーザーが糾弾されるのは、社会の姿としておかしい。
非難すべきはユーザーではなく環境、仕組み、制度、社会構造。

そんなの変えられない、それはわかるが変わるまで時間がかかる、とりあえずベビーカーは乗るな、というのは「覚悟が足りない」

何かに不満を持って、人の気持ちを害し権利を侵すくらいのことをするなら、何十年かかっても社会を変えるために声を上げろ、活動しろ。
その覚悟がないなら弱者をインクルージョンしろ。
社会を変える覚悟がないやつが弱者を排他するな。

ユーザー同士が戦いあって、満員電車に向けての非難が減ることを政府や行政はほくそ笑んでいることだろう。
「オモウツボ」のみなさん、弱者同士戦って、その先に何があるの?

ベビーカーや車椅子が乗ってこなくなっても、満員電車は乗車率100%超えたまま、ケンカや殴り合いが怒ったり、痴漢や性犯罪の温床であることは変わらない。
それが理想の通勤事情?

自分が「なんのために電車からベビーカーを追い出したい」か、今一度考えよう。

ベビーカーや車椅子さえいなければ電車内は安全?満足してご機嫌に生活が続けられる?
それともまた排他する次の対象を見つける?

あれやこれやと「なぜベビーカーは満員電車に乗らないべきか」のそれっぽいおせっかいな理由をポンポン思いつくみなさんなら、
「どうやったら満員電車を解消できるか」についてもその工数と熱量を持ってブレストしたらめちゃ良案がポンポン出ると思うのよ。

マイノリティ一種類排除したところで通勤事情は何も変わらないから。これは断言できる。

考えよう。

※ちなみにガチのガチで「ベビーカーは満員電車に乗るべきでない」と思う人は、一ユーザー相手に直接言うんじゃなくて、行政とか鉄道会社に陳情したほうが筋が良い。「公共の場から、特定利用者を排除する論理的な誰もが納得できる根拠資料」を持ってぜひ行ってください。
痴漢被害とか待機児童解消とかパンプス強制反対とかみんな資料作ったり署名したりしてやってるから。社会を動かすってそういうこと。弱者当事者相手にグチグチいつまでも同じ話しても社会は変わらない。
社会を「ベビーカーが満員電車に乗らない社会」に変えたいなら活動を始めるほうが筋が良い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?