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たまごサンドのなかで

ミスiDのカメラテストで
ここ最近の生きてるエネルギーを
出し切ってしまったのか、
なんだか全てのことにおいて
やる気が起きなくなった。

三年間働き続けてるコンビニバイトを、
はじめてサボってしまった。

学校へ行っても友だちやクラスメイトと
仲良くできない。(しようとしない)
教室に響くみんなの話す声にどうしても
苛立ちを覚える。(小さい時から)

私は生きるのが下手だ。

皆みたいに楽しく生きることができない。
本当は生きてるのが楽しくて楽しくて
仕方がない生き方がしたい。

学校に行っても、バイトに行っても、
車校に行っても、ライブに行っても、
好きな人に会っても、全てがなんだか違う。

なにが違うのかは私にもわからない。
わからなくなってしまった。

大してメンヘラでもない。
親に暴力を振るわれてるわけでもない。
友だちがいないわけでも、
いじめられてるわけでもないのに。
好きな人とうまくいかないわけでもない。

私は小さい時からそう、
何事もうまくいかない。

不器用に失敗して不器用に笑われるのだ。

十代のうちに死のうと思った。

「十代で死ねる人間はいちばん美しい」

こんな言葉をSNSのどこかで見かけた。
その通りだと思った。
夏休みという長期休みのあいだに
私は死のうと思った。

そんな私にミスiDは優しく手招いてくれた。

ミスiDのなかで、何にもなれない、
なろうとしなかった私の「何か」
を見つけようと思った。

ミスiDに全てを賭けているわけではない。
ただミスiDを糧に、自信が欲しいのだ。

先日、「きみは死ぬ経験を味わったほうがよい」
と好きな人が私に言った。

そんなことわかっている。

私はきっと若いうちに死ぬべき人間なのだ。
分かっていることを改めて他人の口から言われたこと、他人にもそれが伝わってしまうほどダメな人間なんだと悔しくて悲しくてただ泣くことしかできなかった。


ー2019年3月、春休み-

好きな人と喫茶店でたまごサンドを食べていた。
退屈そうに、食べ終わらない私を待っていた。
私の頭の中は大嫌いなきゅうりの味と音と死にたいという真っ白の文字だけがグルグル回っていた。

何度も何度も私の頭の中を回り続けた。

大嫌いなきゅうりの味と
死にたい気持ちに泣きそうになりながら
まだ暖かいたまごサンドを無心に口に含んでいた。

生きてる価値は自分で決めるものだと思う。

私は生きてる価値がない。
しかし、死ぬ価値もないのだ。
私はきっと、これからも死にたいと言いながら
渋々生き続けるだろう。

十代を終えて、二十になっても
生きづらいこの世界に嫌気をさしながらも
死ねない勇気を持ちながら。

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