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自然に還る

8年前にキノコ狩を始めました。
きっかけは所さんの世田谷ベースを見てやってみたい!と思ったから。
気がつけば毎年山に行くようになりました。

始めた時はキノコが見つかると嬉しくて一喜一憂していましたが、次第に森の中にいることが嬉しいのではないかと思うようになりました。
友人と誰もいない森の中を歩いているうちに、森にいる心地よさを感じるようになりました。

森にはたくさんの生き物が暮らしています。糸のように足の細い蜘蛛やとても小さなキノコや見たことのないものが見られます。木に生えている苔や朽ち果てた大きな切り株など、何も起きていないようで変化があります。
そして、澄み渡った空気や湿度、木漏れ日、鳥の声、静寂、都会では感じることのできない世界があるのだと思います。

道は険しく平らな道はほとんどなく足場は悪いです。ただクッションのように落ち葉があるので転んでも大丈夫だと思います。崖から落ちたら別ですが。

そんな森の中を歩くようになり、森の魅力に惹かれるようになりました。

なんとなく山が呼んでいるような気がする。

私はなるべく自然に自分の立ち位置を置けるように行動を変えてみることにしました。

なぜ私は自然に惹かれるのか?
知りたかったからです。

一つ気づいた事は、人工的な情報から離れられる事です。
情報と言っても種類があります。人が作り出した情報か自然が教えてくれる情報か?
人が作り出す情報には消費を促すものが大半です。テレビをつけてもスマホを開いても広告だらけ。気がつけば一日中四角い画面と睨めっこなんてことも日常茶飯事です。そこから離れる時間を作りたい。それも理由の一つです。
また、情報のほとんどは言葉を駆使して人の弱点にアプローチしてきます。気がつけば衝動的な買い物をしてしまったり、後で考えるといらなかったものを買っていたりします。
反対に森の中では生き物がただ生きている空間が広がっています。一つ一つに意味がないようで支え合ってバランスを保ち生活が創り出されています。四季の変化に合わせて必要な形に変化して循環しています。そんな世界を見ていると日頃のどうでもいい悩みがどうでも良くなってきます。というか、考える必要すらなかったことかもしれないと思うこともしばしば。私たちはもっと大きな世界と繋がっていてそこで生きているのだと感じる場面がたくさんあります。

本当に大切なことはスマホやパソコンの中には無いのだという気持ちになりました。どこかで答えを探していたのかもしれません。

自分なりに考えて出した答えとしては、全ては繋がっていて一つであり全てであること。どこかのバランスが崩れればそのバランスを取り戻すべく、体が自分に語りかけてくる。

「自然に還りなさい。」

そこには答えではなく、ただ生きているということの大切さを教えてくれる場所なのではないかと思っています。

都市で暮らす人々は人工的な情報の渦で溺れかけています。次から次へと新しい情報が現れて何がなんだかわからなくなってしまいます。そんな時、ただただ生きていることの大切さを感じ、明日への糧に森へ散歩をしに行くのもいいのかもしれません。

直感を信じて、体の声に耳を傾けてみてください。

今回は自然に還ることについて考えてみました。
また、時間が経ち改めることがたくさんあるのでないかと感じています。

ここまで読んでくださりありがとうございます🙏

今度は消費から生産へということについて考察したいと思います。

でわまた👍


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