つながったいのちもつながらなかったいのちも

伯母の葬儀に参列した。
火葬前、最後のお別れの時間に、みんなで棺のなかに花を手向けた。当然のことながら伯母は二度と動くことはない。魂はもうどこかに行ってしまったのか、人形のような身体だけが残されている。姿は目の前にあるのにその存在は異次元に漂うようであり、永遠の時間のなかに真空保存されてしまったように感じられる。
お別れの時間が終わるころ、ふいに生後数カ月にもならない赤ちゃんが泣きはじめた。小さな身体に精一杯力を込め、全身で泣いている。赤ちゃんの母親が身体をゆすってなだめようとする。伯母が向かった先と同じような場所からやって来た新しいいのちは、親が守ってやらなければ生き延びることができないくらい弱いのに、その場にいた誰よりも生命力に満ちていた。
その赤ちゃんは、伯母にとって曾孫にあたる。伯母は亡くなってしまったが、子を産み、孫が生まれ、曾孫が生まれた。いのちはつながったのだ。

いのちをつなげなければ、という思いにとらわれたのは3年前。病床の父と見舞いに来た姪とが最後に握手を交わしたのを見て「こうしていのちはつながっていくんだな」と深く納得した。父は子を持ち孫を持った。そう遠くないうちに父は亡くなるだろうけど、父のいのちはつながっているのだと思った。
わたしは結婚して13年になるが、子どもがいない。向精神薬を飲んでいた期間が長かったし、婦人科の病気で手術をしたので、無邪気に子どもがほしいと思える状況でもなかった。それにあまり子どもが好きではないのでいなくてもかまわなかった。夫に子どもがほしいと言われたが、たぶん不妊治療しないと可能性はないだろうと思い、負担が大きいであろう治療に気が進まずなあなあにしていたのだった。
それをやる気にさせたきっかけが、父の死だった。姪がいるから父のいのちはつながっているが、このままだと夫の家のいのちは夫の代で途絶えることになる。いっときはそれでもいいと思っていたが、本当にいいのかと思うようになった。それと、父に先立たれた母に生きる張り合いを持たせてあげたかった。
そうして不妊治療をはじめた。タイミング法からはじまり、人工授精、体外(顕微)授精とステップアップしながら2年以上経った。身体的、経済的負担は想像以上だった。しかし一度も妊娠には至っていない。医者から「これ以上卵巣に刺激を与えても効果は期待できない」と言われ、わたし自身もそう感じていたのですんなりと納得した。実年齢は39歳だが、手術で大半を切り取られた卵巣の年齢は45、6歳。妊娠どころか更年期に差し掛かっている。体調変化もそれを告げている。こればかりは努力してどうにかなるものではない。そもそも、どんなに医療が発達しても人間がいのちをどうこうできるとは思わない。夫には申し訳ないが、今後は妊娠のためというよりも、自分が後悔しないためにあと少しだけ治療をしようと決めた。

わたしの目の前には、つめたい石のように動かない伯母と、力いっぱい泣き叫ぶ赤ちゃんがいる。それと赤ちゃんを抱く母親。その女性は20代はじめくらいで、葬儀会場にゴールドのネックレスをつけてきてしまうほど無知で幼い。けれど赤ちゃんをしっかりと抱き、背中をぽんぽんと叩いているさまはとても自然に見えた。本来はこうあるべきなんだろう。自分がその時期をとっくの昔に逃していたことに気がついてしまった。本当はわかっていたのに気づかないふりをしていただけかもしれない。とにかく、わたしはもう「過ぎた人」だと実感した。「いのちをつなぐ人」ではない、ということも。

新しいいのちが生まれることは日常的であるが、奇跡的なことでもある。どれだけあり難いことか、自分の身体でこれでもかというほど思い知らされた。だから、奇跡を起こして生まれたどのいのちも貴重でかけがえのないものだ。「いのちをつなぐ人」も、そうでない人も。あなたもわたしも。

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今日もいいことがありますように!
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