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「ファーストデートの思い出」で掘り起こされた、捨てられない記憶

林伸次さんの「#ファーストデートの思い出」企画に参加したところ、「#ファーストデートの思い出で面白かった話」にまとめていただきました。ありがとうございます。自分が書いたものが誰かにいいなって思ってもらえるのは嬉しいですし、林さんにそう思ってもらえるとなお一層嬉しいです。

20年以上前の思い出なので記憶がおぼろげだったのですが、このことで作り話はしたくないと思い脳みそを振り絞った結果、なんとか話になるくらいには思い出せました。
noteを書き終えると「結局その後はどうなったんだっけ?」と気になってしまい、一生懸命思い出そうとしましたが、断片的なシーンしかいくつか出てきただけでした。しかもそれぞれの時系列がはっきりしないので、どうしてそうなったのか、自分のことながらよくわかりません。

どんなにがんばっても明確に思い出せないということは、それはいまのわたしにとってもう重要ではないのでしょう。すこし淋しい気がしますが、なにもかも覚えていたら、いまのわたしは過去に押し潰されて身動きが取れなくなってしまいます。忘れることは前に進むために欠かせない人間の機能です。わたしはその後も新しい思い出をつくり、いくつかを忘れ、さらに新しいものを重ねてきました。
それを繰り返し、年月によって風化された記憶のなかで、いまも忘れていない思い出のかけらにすこし脚色を加えて書いてみました。「ファーストデートの思い出」のその後の話です。

***

高校3年生のある日、けじめをつけようと心に決めた。
話したいことがある、と彼に伝えると、放課後に準備室に来てくれと言われた。
準備室のドアをノックし開けると、わたしが用件を言うまでもなく彼は立ち上がりこちらに歩いてきた。
「自習室で」
「はい」
そのまま部屋を出て、隣の自習室に入る。以前よく通った自習室は、いまは資格試験がない時期なので他の生徒が来ることもない。こんなにつめたく静かな部屋だっただろうか。生徒たちが自習しているときはほとんど私語がなく静かだと思っていたが、人がいるのといないのとではまったく度合いが違っていた。
お互い無言で前のほうの席に並んで座った。彼は前を向いたままで、どこを見ているかわからない。普段のお調子者ぶりはなりを潜め、表情は硬い。以前から、ときどき見せるこれが本来の彼なんじゃないか、という気がしていた。でも本当のところはどうかわからない。わたしが知っているのは、学校にいるときの「先生」と、たまに外で会うときの「先生」だけだった。わたしが「生徒」でいる限り、彼は「先生」だった。わたしは他の生徒が呼ぶあだ名で彼を呼んだことがなかった。
「生徒に言い寄られて先生が困ってる、って友達から聞いたんですけど」
「…うん」
「わたしのことだったらすみません」
何か言われるのが怖くて、話を続ける。
「でもわたし、先生のこと好きなわけじゃないんです」
彼がはじめてこちらを見た。
「年が離れた兄がいるので、なんかお兄ちゃんみたいで、そういうのを求めていたのかもしれません」
彼は何も言わない。わたしはただ考えてきたことを話すだけだ。
「嫌な思いをさせてしまったのなら謝らないといけないと思って」
言い終えて、一瞬間が空いた。彼がいつものお調子者の顔になる。スイッチが入ったように。
「なあんだ。そっかー」
明るい声が静かな部屋で響いた。
「俺てっきり…」
わたしのスイッチも切り替わる。にやりとした。
「告白されると思いました?」
「うん」
「もう、うぬぼれないでくださいよ。とにかくそういうことなので」
よくそんなことが言えたものだなと自分に呆れつつ席を立つ。彼はまだ座ったままだ。
「…ああ、もし」
「うん?」
「もし好きだって言われたらどうでした?」
言おうと決めたことはすべて言ったのに、そんなことを聞いて何になるというのだろう。彼がわたしのことを生徒としてしか見ていないことは分かっているのに。
彼はわたしの目を見た。ときどきとてもやさしい表情をする。その表情に勘違いしてうぬぼれたのはわたしのほう。
「…うれしかったよ」
「…そうですか」
わたしはいったいどんな顔をしていただろう。
「じゃあ、帰りますね」
自習室を後にする。どんな顔をしていようと、とにかく終わったのだ。自分でも不思議なくらい気持ちが落ち着いていた。

その後は廊下で行き会っても何も話さないつもりでいた。しかし彼のほうから話しかけてくる。答えないのは不自然だからいつもどおりに応じた。受験の話が増えたこと以外は前と変わらなかった。それがつらいかというとそうでもない。むしろ重荷をおろしたように心は軽かった。兄と妹のような関係を求めていたという苦しい言い訳が本物になったのかもしれない。

受験が終わった後、打ち上げの名目で彼と遊びに行った。このときはふたりきりではなく、お互いの友達を連れていた。高校から遠く離れたカラオケ店で歌い、店を出たときに彼がぼそっと
「持ってて」
という言葉とともに渡してきたものを見れば、その日に作ったカラオケ店の会員証。
「先生の名前書いてあるから自分で持ってたほうが」
「いいから」
彼は気のいいお兄ちゃんのように笑った。会員証には名前と生年月日が書かれている。会うのはこれで最後だと思っているのに、こんなものを渡されても困る。いらないなら自分で捨ててほしい。情けないことに、本当はけじめなんかちっともついていない。持っててと言われたら、たぶんわたしはずっと持っている。ばかみたいに。

思ったとおり、会うのはそれが最後になった。そして、長いあいだ会員証を捨てることはなかった。

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