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アマチュアチェリストにとってのオーケストラは音楽だけじゃなかった

わたしはアマチュアのチェロ奏者で、約20年間オーケストラで弾いていた。年に2,3回のペースで演奏会をこなしてきたが、ここ数年は年1回、しかも本番前に数回しか練習に顔を出さなかった。

前回の本番が約1年前。それからずっとチェロを弾かなかった。その前2年間もほとんど楽器に触れていない。オケに参加しない時期があっても、定期的に楽器に触るように心がけていたので、こんなに長い間弾かないで過ごしたのは初めてだった。以前は平日に学校や仕事のあとで個人練習し、週末にオケの全体練習という習慣が身についていたので、チェロを弾かない生活が想像できなかった。しかしいざ弾かなくなってみてもなんともなかった。弾きたいのにできないとフラストレーションがたまるのかもしれないが、弾く気がないから問題なかった。

わたしには悪い癖がある。ささいなことでも心に引っかかることがあると、すぐに立ち止まってしまう。とまどい、身動きができなくなる。人生の様々な場面でそれを繰り返してきた。チェロも例にもれず立ち止まってしまった。チェロをはじめて何年もたたないころ、なかなか思うように弾けなくて、他の人に責められているような気がして、身動きが取れなくなった。そのときは励ましてくれる人がいたからまた動き出すことができた。そのころのわたしは、下手でも楽器と音楽に向き合っていた。

長い間続けているうちに、チェロは音楽ではなく習慣になり、現実逃避の手段になった。仕事で嫌なことがあっても、譜面を前に楽器を弾いている限りは忘れられる。わたしは没頭した。音楽ではなく現実逃避に。
やがて現実から逃げきれなくなり、10年前にうつになって譜面をうまく読めなくなっても、わたしはチェロをやめなかった。周りの人には迷惑をかけたと思うが、弾いている間はあまり悲観的にならずに済んだ。数十人で編成されるオーケストラが出す音はひとたび流れはじめると、わたしの意思で止めることができない。ついていくのが精一杯で、余計なことを考える隙間はなかった。
言い過ぎではなく、わたしはチェロとオーケストラに支えられてきたのだ。3年前までは。

3年前、演奏会が終わった後の打ち上げ会場でふと「なんで私はここにいるんだろう?」と思ってしまった。当時、父が末期のがんだった。わたしはほぼ毎日実家に顔を出していたのだが、父は何度も「そんなに来なくていい」と言った。父のケアをするために実家近くに部屋を借りて、夫とともに移り住んできたことを申し訳ないと思っていたようだった。そこで「お父さんのケアだけのために生きてるわけじゃないよ。自分のこともしてるよ」というアピールのために、本番に出ることにした。演奏会から1週間くらい後に父は入院し、1か月後に亡くなった。わたしの意図を理解したかわからない。たぶんわかってくれたと思うが、本当は毎日顔を見たいと思っていたかもしれない。だいたい、現実逃避の次はアピールのために本番に乗るなんて失礼すぎやしないか。
また、このとき演奏会に出たことをよく思わない人から叱責を受けたこともあり、人を不快にさせてまでわたしがオーケストラで弾く意味があるのか、わからなくなった。その後、ときどきチェロを弾いたが、嫌なことばかり思い浮かびまったく集中できず、すぐにやめた。やがて楽器に触らなくなった。ここでまた立ち止まってしまった。

1年前、トップから今回でやめるので最後に一緒に弾いてほしいとお願いされて参加することにした。今度はおつきあいかと自嘲した。時間が痛みを和らげてくれて、前よりは集中して弾けるようになっていた。久しぶりだったからか、それともほかの理由か、本番はやたらと緊張して身体がこわばった。終わるとまた弾かなくなった。

そして今年12月、同じパートの人に誘われて練習に顔を出した。楽器を持って。その人が「新しい指揮者がいい感じだからよかったら来てみない?」というふうに誘ってくれたのもあって、自然に乗り気になった。弾いていても余計な考えに邪魔されることはなかった。全然うまく弾けなかったけど、楽しかった。時間が解決したのだろうか?

わたしのチェロの重さは3kgくらい。ケースは5kgで、譜面台や譜面、その他小物を入れると10kg近い荷物になる。学生のころは楽器を抱えて駅の階段を駆けのぼっても息切れひとつしなかったのに、今は平地を歩くだけでもきつい。その差を感じたとき、あのころからだいぶ遠くまで来たんだなあと思う。
これまでオーケストラを通じて知り合った人たちがわたしを成長させ、ときには助けてくれた。チェロがつらい世界からわたしを遠ざけてくれた。とても感謝している。音楽には終着点がない。演奏した曲が終わってもその先に何かがぼんやりと見えてそれを追求する限り終わることがない。だから楽しいんだ。

久々に顔を出した練習後にお酒を飲み、楽器を抱えて帰りの電車に乗るとどっと疲れが出た。こんな重い物持って疲れて夜遅くまで何やってるんだろうと笑えてくる。でもわたしはこれからも同じことを何度も繰り返していくのだろう。

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このnoteは書きかけで1か月くらい寝かせて(放置して)いました。わたしにとってチェロとオーケストラはいろいろと考えさせられるものがあります。今までぐちゃぐちゃと考えてきた期間を入れると十年単位の熟成になります。

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