見出し画像

幸せの核に近づくための自分メモ #19

どんなポジティブな感情も一時的なもの。だから、Inner peace over happiness。一時的なhappinessを追い求めるよりも、常にpeaceやらjoyやらが己の内に在ることを正しく認識し、いつでもそこにtap inできる自分でいたい。それは前提にしつつも、やはり幸せだと感じられる瞬間が多ければ多いほど楽しいのは間違いない。もっとそんな瞬間を増やせないかなと思っていたところ、ヒントになりそうな言葉や記事に出会えたのでメモ📝

翔さんってパーソナルトレーナーとか向いてそうですよね

先日、某友人に言われた一言

パーソナルトレーナーが務まるだけの知識やスキルを有しているかは別として、たしかにそうかもしれない、と思った。人生で塾に通っていた期間が長い(小3〜浪人)せいか、教えるという行為は自分にとって常に身近にあるものだった。学生時代には個別塾講師のバイトをし、会某員になってからも #ヒップホップで学ぶ英語 を開催した。後者については自分が一方的に教える立場にならないよう意識したけれども、いずれにしても自分の持てるものを直接人々とシェアする営みに、僕はけっこう満足感を見出していた。そういえば、キックボクシングのミットを持つのもわりと好きだった。どちらかといえば、というかかなり内向的な人間だけれども、こういうかたちでのインタラクションは自分に向いているのかもしれない。

渡辺志保さんとShamasくんの対談記事を読んでいたら、2010年代後半の、いわゆる新譜チェックが楽しかった時期が懐かしく思い出された。当時の自分のブログ記事も読み返し、「ようこんな書くなぁ」と、その熱量に我ながら感心してしまった。当時の、自分に似つかわしくない(と勝手に思っている)チャラチャラした(←女性関係のことではない)態度・所作を規範化して取り入れていたさまは、思い返すと少し恥ずかしいけれども、あれで得たものもあるから大事な時期だったよな、と、今は少し距離を置いて眺めるような感覚。2年前は「恥ずかしい」一辺倒だったので、成長したのかどうかは分からないけれども、時が経ったのだなと実感する。

Moral of the story is, 過ぎ去ればみな美しい&変わることは悲しいことじゃない。2017年の年間振り返り記事で、僕はケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)の『DAMN.』を「Kendrickのポップスターとしての立場を確固たるものにした」作品と評し、Best Instagrammerにスクールボーイ・Q(ScHoolboy Q)を挙げていたわけだけれども、ケンドリックが当時のようにポップスター性に頓着することは今後もなさそうだし、Qが当時のようにヒラリアスなストーリーを連投することも今後なさそうだ。これらは寂しいことかもしれないけれども、時が経てば自然に起こる変化の一つにすぎず、なにも悲しむようなことじゃない。ケンドリックは2人の子宝に恵まれながら別垢でお茶目な一面を見せてくれているし、Qは趣味のゴルフや、さらに大きくなったJoyちゃんのサッカーの応援に精を出しているのだろう。

Change is inevitable

Jhené Aiko - “Spotless Mind”

Shame on me for changing?
No, no, no
Shame on you for staying the same

Jhené Aiko - “Spotless Mind”

2017年といえば、その頃の僕は「ヒップホップを卒業する」「クラブを卒業する」みたいな言い方に強烈な違和感を覚えていたことを思い出した。ヒップホップは文化であり生き方なので卒業とかねぇんだよ卍って思っていたし、仕某や子育てで忙しくて一時的にクラブに来れなくなることはあるだろうけれども「卒業」って何やねん、と。でも、仕某とか子育てとか外形的なものよりも、それに伴う己の内部の変化が大きいがために「卒業」というワーディングが適切な場合も、全然ありそうだなと今は納得する。ヒップホップやクラブに対して失礼だろうか? もしかしたらそうかもしれない。けれども、それが美しくない変化だと断じることは、僕にはできない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?