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【じーじは見た!】前編:Σ(シグマ)プロジェクトってご存知ですか?

心はZ世代! 身体は還暦過ぎた昭和人! Z世代応援団のじーじです⁉️

日本が衰退途上国と揶揄されるくらい世界の中で取り残されるようになったのは、自らチャンスをふいにしてきた歴史上の転換点があったからだとじーじは思っています。

上記の記事の中で紹介しているは、坂村健さんが1987年に発表した論文『The TRON Project』ですが、この論文よりも先に、1985年に経産省(当時は通産省、以下は経産省で統一しますね)肝煎りの国家プロジェクト「Σ(シグマ)プロジェクト」が始まりました。

経産省のプロジェクトで250億円を掛けて5年間もやったΣプロジェクトはどうして失敗してしまったのか、日本がどうしてチャンスをフイにしてしまったのかを振り返ってみましょう。

1️⃣ 1985年というタイミング⁉️

じーじは、巷間言われている「失われた30年」のきっかけとなったのは1985年のプラザ合意だと思っています。
その「1985年」から2020年までを「その時あなたは何してた?」シリーズで振り返っていますので良かったらいくつか読んでみてください。

さて、経産省は、その1985年にスタートした「Σ(シグマ)プロジェクト」で何をしたかったのか?

自動車業界は、経産省の後押しもあってトヨタ・日産・ホンダの日本車メーカーが米国メーカーに対抗して一人立ちできました。

一方、1970年代のコンピュータ業界というのは、IBM(米国)に対抗できる日本メーカー育成が課題でした。

経産省は日本メーカー育成のためコンピュータメーカーを3つのグループに分けさせました。
①富士通・日立連合:IBM互換アーキテクチャ路線
②NEC・東芝連合:ハネウェル、GEと提携。一部は独自アーキテクチャー
③三菱電機・沖電気連合:独自路線

このころのコンピュータ業界はメインフレームと呼ばれる大型コンピュータの開発競争時代で、IBMが世界のデファクトスタンダードでした。

80年代に入り、大型コンピュータから小型のオフィスコンピュータやパソコンの時代に入ろうとしていました。それが1985年という時代背景でした。

Σプロジェクトへ補助金を出す性格上、様々な行政指導が付随しましたが、そんな制約よりも一番の問題は、富士通と日立が相互協力できなかったことにありました。

両社は単にアーキテクチャを統一することに合意しただけで、日本のコンピュータメーカーとしてトップを争っていた2社ですので「メリットのある部分だけ共通化、他は独立独歩」という戦略を取り、せっかくの経産省指導を活かせる協力関係は築けなかったのです。

日本で唯一残ってIBMに対抗してきた富士通もメインフレーム事業から撤退とのことです。👆 サービス終了の2035年は、1985年から半世紀(50年後)という節目の年です。 そして誰もいなくなりました。

企業の属人化・部分最適なしくみづくりを支え、企業個社の独自システムを手作りしてきたメインフレーム。そのメインフレームのシステムは、今やインターネットの普及とクラウド化の前にレガシーと呼ばれるお荷物になっていきました。

2️⃣  Σプロジェクトは何を狙ったのか?

Σプロジェクト(シグマプロジェクト)とは、1985年(昭和60年)から1990年(平成2年)にかけて進められた日本政府の国家プロジェクトである。Σ計画(シグマけいかく)とも呼ばれる。シグマ(SIGMA)とは「Software Industrialized Generator and Maintenance Aids」の頭字語であり「ソフトウェア生産工業化システム」と別称されていた。通商産業省(現経済産業省)所管の情報処理振興事業協会(IPA)が民間コンピュータ企業と連携しての推進役になり、総額で250億円(日本経済新聞1992年6月10日朝刊では218億円)の国家予算が投じられている。

Wikipedia「Σプロジェクト」より引用
ChatGPTに聞くところだけど、この下書き作った時はまだWikipedia!

時代がハードウェア重視からソフトウェア重視の時代に入ろうとしていたことが、上記の説明で分かります。

Σプロジェクトは、ソフトウェア製造のオートメーション化も視野に入れて成果物として以下の要素を考えていたようです。

1)Σセンター…登録されたソフトウェア部品の共通化、一元管理
2)Σワークステーション…Σ仕様の開発ツールがインストールされた専用ワークステーション
3)Σネットワーク … 全国のΣワークステーションとΣセンターを連結するネットワークでUNIXベースの通信プロトコル

今から考えるといわゆるプラットフォームですよね。
ソフト開発のプラットフォームを作って欧米に差をつけるソフト開発の生産性向上を達成しようぜという「企画やよし」でした。

3️⃣ 何故Σプロジェクトは失敗したのでしょうか?

コンピュータが進化するとハードウェアの問題よりもソフトウェア開発が困難になるハズだとの将来課題を予見して、1968年に欧米ではソフトウェア工学なる学問が立ち上がっていました。

ちょうど1992年の地球サミットで地球温暖化、気候変動問題が国連の場で話し合いが始まると、欧米、特に欧州ではやがて化石燃料を燃やせない脱炭素社会が来るという将来予見の下で、ルール形成を一生懸命に考えてきたのに対して、日本は短期の辻褄合わせに終始してきたので今困っている訳で、Σプロジェクトの失敗とも共通する何か根本の原因がありそうです。

日本でもソフトウェア開発を問題視する向きはあったものの、いかに人を安く長時間働かせることができるかの短期収益改善に目が向き、経産省の呼び掛けのΣプロジェクトに対して参加企業の本気度がなかったのかもしれません。

全ての会社が共通に使えるプラットフォームができたら「当社が儲からなくなる」という心配、利己に基づく排他性から失敗に終わりました。…それってじーじの感想でしょ。はい、そうです。

前半はこのあたりにして、後編でもう少し詳しくΣプロジェクト失敗の原因を見ていくことにしましょう。

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