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失敗とアウトプット

先日、Twitterで「成功しようが失敗しようが関係ない。何かに挑んだ経験をした人は、成長してしまい、先に行ってしまう。それを繰り返してる人には追いつけなくなる。」って書いたら、なんとなくいつもより反応の数が多かったんです。と言っても、ハートマークが50個ぐらいなんですけど。てへ。

普段の私の「経過報告」みたいなTweetは、無反応みたいなものだから、私にしては反応を感じたんです。てへ。

SNSをパトロールしていると、「受賞しました!」「公開しました!」「ヒットしました!」という情報に接することが多いです。そういう他人の幸せに接することで憂鬱になってしまう人もいると聞きますが、私はどんどん出せばいいと思っています。

「つまらなかった」とか「面白くない」とか「あいつ死ね」とか「今年ワースト」とか、そんな言葉で溢れているよりも、社会が明るくなると思います。

私も、何でもかんでも良いことがあったらSNSに書き込みます。でもどちらかと言うと、「どうだ見てくれ!」という感覚よりも、知人に対して「元気にやっています」という報告みたいな意識の方が強いです。

私が逆の立場で、その人とは実生活でもSNSでも十年以上絡んでないのに、「元気でやっているんだな」と思うことも多いですから。

そして「元気にやっています」の応用編もあります。

私がいつも一緒に仕事をしている勝俣プロデューサーのご両親が、私のSNSをフォローしてくれています。勝俣さんは、普段の個人的な活動をSNSにアップすることも少ないですし、基本的には「成果物の告知」としてSNSを使っています。でも、私は勝俣さんのご両親が私のSNSを見ていると知っているので、勝俣さんをSNSに登場させることが多いです。飲み会の写真とか、晴れ舞台の裏側とかの写真をアップしたりします。「勝俣さんは元気にやってますよ」というイメージで。必ず「いいね」をしてくれます。

話を元に戻します。

SNS上に溢れている「成功談」よりも、私が怖いのは「失敗談」をしている人です。端から見ていて、「また失敗した」「大失敗してる」「大恥かいてる」みたいに見える人が怖いんです。カッコ悪く見えてる人が怖いんです。

そういう人は、成功の過程に「必ず」ついてくる失敗をしているだけだからなんです。失敗をしてるって事は、成功してしまうんですその人は。だから、失敗している人や恥をかいている人を見ると脅威に感じます。

失敗を見ると「アクセル踏みこんだな」とすら思ってしまいます。失敗を燃料にして、先に行ってしまいますから。だから、みんながボンヤリと小さな良いことを書いている方が、私の心は安定しています。ザワザワしませんからね。

でも、私がザワザワする失敗には条件があります。作品だったら「完パケ」た結果の失敗。行動だったら「やり終えた」結果の失敗なんですね。「アウトプットしなかった」「途中で辞めてしまった」というのは失敗では無いと思います。「筋肉を鍛えた」と「筋肉が疲労した」の違いと言いますか。

アウトプットした末にした失敗は「鍛えた」と同義語ですから、失敗だとしても、結果として強くなってしまいます。イヤですね。失敗してる人。

一方で「成功」してる人も、どんどん成長してしまいますが、成功がやっかいなのは、「二度と失敗することはない」と思ってしまいがちなところでしょうか。

ちょっとでも成功すると「自分のやり方が正しかった。やり方が正しかったからここまで来れた。」と思ってしまいます。その成功が「再現可能な成功」として、人に語ったりもしてしまいます。その瞬間成功してるんだから、そう思ってしまうのは、無理もありません。私も作った短編映画が次々に良い結果を出している時はそう思ってました。

でも今は、「自分のやり方が正しいかどうかわからない。結果的に、まだここまでしか来れてないし。」という思いの方が、100倍強いです。経験を重ねた事から来る、いぶし銀の心境なのか分かりませんが、歳を取れば取るほど、自分の存在の小ささに気づきます。

しかもそれは「気持ちの問題として」とかいうポエムみたいな事ではなく、社会的に、相対的に、事実として、自分の存在が小さいことに気づきます。残酷ですね。10代や20代の頃、自分の小ささを感じて頑張って、30代で自分が大きくなったと勘違いして、50代を前にまた自分の小ささを知らされるんですね。イヤでも気付かされます。

ちょっと話が逸れますが、それぞれの業界ですでに大御所や巨匠と呼ばれている人で、そこからまた第二の成功を目指している人って、なかなかいないんだなと思うことがあります。大御所や巨匠という称号が汚れてでも、新しい成功にチャレンジする人がもっといても良いのになと思います。

そして、大御所や巨匠という称号が汚れてでも、新しい成功にチャレンジして、時に失敗してる人って、黒澤明監督や、宮崎駿監督や、北野武監督みたいな、誰もが認める世界的な人だったりするんですね。失敗を恐れないからすごい結果を残しているのか、既にすごい結果を残してるから失敗を恐れないのか分かりませんが、そういう姿勢がとにかくカッコいいです。

あんまり雲の上の凄い人を例えに出すとやる気が無くなるので、地上3cmぐらいの私の目線まで戻しますが、もう「一生失敗し続ける」で良いんじゃないかと思っています。

そして「一生失敗し続ける」と腹をくくる事で、たまにご褒美として「成功体験」をさせてくれるんじゃないかとも思っています。確証はありません。もう宗教観に近いものですけど。

まあ、とにかく私は、アウトプットしている人を極端にリスペクトするところがあります。「アウトプット差別」ありますね。その完成物が良くても悪くても関係ないんです。成功しても失敗してもどっちでも良いんです。批評や評価にさらされる覚悟でアウトプットしてますから。それだけで凄いんです。

最近私は「失敗しよう」みたいな事ばかり、noteで書いている気がするのですが、たぶん私自身に言い聞かせてるんだと思います。保身する圧力が高まる中年のど真ん中にいて、でもそこから何か一歩踏み出そうとしてるんでしょうね。(他人事みたく言う)

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