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息子とずっと釣り

ゴールデンウィークは妻の実家がある姫路に行きましたが、ほぼずっと息子と釣りをしました。

息子は釣りにはまっていて、自ら家の手伝いを申し出て、アルバイト代を稼ぎ、それでせっせと釣具を買っていました。釣具を買うと、捕まえたヤモリを持ってくるネコのように、私に見せに来て、解説してくれました。寝てる私を起こしてまでして。起こすんじゃないよ。

釣りの本や番組もたくさん見ていて、知識も豊富なのですが、実際の経験が足りてません。免許は持ってないけどクルマに詳しい人、モテ本を読んだからモテると思ってる人、意識高いけど人望が無い人、そんな状態でしょうか。いや違うか。

普段、息子が釣りに行けるのは多摩川ぐらいしか無いので、もっと遠くに連れて行ってあげたいなと思っていたのですが、なんだかんだと私が忙しくしていて、連れて行ってあげられてなかったのです。

そういうこともあり、ゴールデンウィークは徹底的に息子の釣りに付き合ってあげようと思ったのです。

1日目は海辺にある管理釣り場に行きました。管理釣り場と言っても釣り堀ではなく、釣りやすい足場を作って、周りに漁礁を沈めてあるような場所です。

釣り場に行く前に釣具屋に寄り、撒き餌用の冷凍アミエビの塊、餌の冷凍イカナゴ、活きた青イソメを買っていきました。海釣りと言えば、昔から青イソメを餌にしています。青イソメは幅5mm、長さ10〜15cmぐらいのミミズ状の生き物なので、指で引きちぎって針に付けます。青イソメは牙があるので、引きちぎる時にしばしば噛まれます。大きい青イソメに噛まれると、まあまあ痛いです。血が出る時もあります。

釣り場に着くと、たくさんの家族連れが釣りをしていました。釣り場は海面から3〜5メートルぐらいあり、床が鉄のアミで出来ています。アミで出来ているので海面が丸見えで、ちょっと足がすくむ感じがしました。高所恐怖症の人はちょっと無理かもしれません。まあまあ錆びてるのもあり。

周りを見ると誰も釣れてません。

私クラスになると、「釣り」とは「魚を針に引っ掛ける行為」ではありません。「糸の先についた針に有機物を付けて海面に投げ込む行為」が「釣り」なのです。だから、魚が釣れようが釣れまいがどっちでもいいんです。海に仕掛けを投げ込んでボーっとしてるんです。

これを昇華させると、水の無い公園や家の中でも「釣り」が出来るのですが、私はまだその境地にまでは至っていません。もし私が、だだっ広いイオンの駐車場の真ん中で釣りをしていたら、念のため声をかけてみてください。事件性は無いと思いますが、何かしらの事情を抱えてるかもしれませんので。

釣りはだいたい最初の30分でその日の状況がわかります。魚が釣れない日はすぐにわかるんです。周りの誰も釣れてない。アタリが一切ない。基本的に真っ昼間は釣れず、下げ潮の時も釣れません。

案の定、1日目は小さなカサゴ2匹とヒトデぐらいしか釣れませんでした。ヒトデは針に偶然引っかかっちゃったのではなく、しっかり口で餌を食べていて、口に針がかかっていたので、釣れたと言っていいでしょう。

2日目は漁港に行きました。1日目は曇っていたけれど2日目は快晴になりました。ゴールデンウィークなので、家族連れがたくさんいます。クルマを降りた瞬間、「今日も釣れないな」と思いました。家族連れでワイワイしているけれども、魚が釣れてワイワイしている感じではありません。

私は「糸の先についた針に有機物を付けて海面に投げ込む行為」で満足なのでいいのですが、釣りの実地研修をしに来ている息子は、手を変え品を変え魚を釣ろうとしています。孤軍奮闘していました。

私は餌を付けて遠くに投げて、2時間ぐらいコーヒーを飲みながらボーッとしてるんです。釣りは気長に待てる性格の方が向いている様に思われてますが、実はせっかちな人の方が釣れます。針に付けた餌は、海や川に投げ込んだ瞬間から一気に劣化していきます。せっかちな人は常に糸を引き上げてチェックするので、餌の鮮度が維持されるんです。

2日目はもの凄く暑い日だったので、顔が真っ赤になるほど日焼けをしました。

夕方になり、息子が小さいカサゴを釣りました。息子は釣った魚を写真に撮るんです。やっと釣れたそのカサゴの写真を撮り、針を外そうとしたら、針を飲んでしまっていました。プライヤーで無理矢理外したらカサゴがグッタリしてしまいました。基本的にキャッチアンドリリースしているので、釣った魚が死んでしまってはダメなんです。海に投げ込んだら腹を上にして浮かんでました。

「生き物の無駄死に」を、生き物好きな息子が許せるわけがありません。家の中で捕まえたゴキブリも外に逃がすぐらいですから。結局、針で引っ掛けてもう一度海からカサゴを引き上げました。「どうしたらいい?」と私に聞いてきます。「命の取り扱い」に戸惑ったんだと思います。私はわざと「自分で考えな」と言いました。

カサゴをジッと見ていた息子は「餌にする」と言って、まだ生きているカサゴをハサミで解体し始めました。命を「役に立てる」方向で収める事に決めたんだと思います。その場で釣った魚の切り身を餌にすると、大物の魚が釣れることがしばしばありますし。息子は仕掛けもカサゴの切り身用に変えました。

カサゴの「命」を針に付け、全身全霊で仕掛けを海に投げ込んだと思いきや、堤防の外灯に繋がる電線に、仕掛けがグルグルと引っかかってしまいました。カサゴも電線に引っかかって揺れています。息子は無言で私の方を見ました。

「自分が正しいと思った判断、倫理的、道義的に正しい判断をしても、それが上手く行くとは限らないし、上手く行かなかったのは誰のせいだよ?神様っているのかよ!何なんだよ!」と息子は思ったかも知れません。

その日、息子は4匹ぐらい小魚を釣り、私は1匹も釣れませんでした。夜になるまで釣りをして帰りました。

3日目は川に釣りに行きました。川に着き、川の中をパッと見た瞬間、魚が全くいませんでした。メダカぐらいの小魚がチラホラ見えるぐらいです。

私は全く釣る気がありませんでしたが、息子はメダカが釣れるぐらい小さな針で仕掛けを作り、釣り場に向かいました。

餌はサシというハエの幼虫を使うのですが、それでも大きすぎるので、息子はサシから内臓を出して、それを餌に釣りをしていました。さすがの執念でメダカみたいなサイズの魚を何匹か釣っていました。

川辺に35cmぐらいの大きなアカミミガメがいました。威嚇してきたので産卵前なのかもなと思いました。少し持ち上げて、しっぽの横を触ると卵が入っていました。私も息子も、外来生物が繁殖する瞬間に立ち会ってしまっていますが、その母ガメを捕まえて殺すことなんてとても出来ません。

ゴールデンウィークの3日間は、息子との釣りに捧げましたが、息子が期待していたほど魚は釣れませんでした。息子は「今日釣れるかな?」とか「何が釣れるかな?」としょっちゅう聞いてきますが、私は「行ってみないとわからない」とか「やってみないとわからない」しか言いません。

私も子供の頃は、釣れない釣りは本当に嫌でしたが、大人になって、「世の中、自分の思い通りにならない事だらけだ。」という心境に至ってからは、釣れない釣りを心の底から楽しめるようになりました。

私は仕事があるので先に東京に戻ってきて、息子は実家のすぐ前の川で、4日目の釣りをしました。

息子からLINEで釣れた魚の写真が送られてきました。1枚目は40cmのナマズ、2枚目は25cmのギギというナマズの仲間、3枚目は30cmのナマズ、4枚目は35cmのナマズ、5枚目は40cmのナマズ、6枚目は60cmのニゴイ。

おい。

やっぱり「釣りたい!」と思う強い気持ちが大事なんでしょうか。中年になって私は「枯れて」しまったんでしょうか。世の中を知りすぎてショボくれてしまったんでしょうか。「いぶし銀」とか言ってるからダメなんでしょうか。「若さ」「青臭さ」「欲しい」「モテたい」「金持ちになりたい」大事だわ〜

なんでだよ。

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