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無人販売所

noteを始めて4ヶ月ぐらいになりますが、フォロワーが1万人を超えました。noteって増え方がすごいんだな〜と思っていたら、ワタナベアニさんから、短期間でその増え方は異常だから、実験的に課金してみるといいとアドバイスを頂きました。

「わたくしめごときの文章でお金を取るなんて滅相もない」と思っていたのですが、ワタナベさんから「野菜の無人販売所と同じ」と言われ、なるほどそうかと、目から鱗粉が落ちました。

適当に文章を書いて置いておけば、買いたい人が木の箱に小銭を入れてくれると思う事で、気負いも無くなりました。

そして、ここから先が私の「古風さ」なのですが、「じゃあお金を取る時は何を書こうか?」と考えてしまいました。半分虫が食った野菜や、腐った野菜は置いておけないなと。実はこの考えは「わたくしめごときの文章でお金を取るなんて滅相もない」と同じなんですね。フリダシに戻っただけなんです。

だから私はこう決めました。

虫が食った野菜や、腐った野菜、途中で間引いた野菜や、野菜の皮やクズも、販売所に並べることにしました。そしてこうも思いました。「お金を払っても良いと思えるクズを並べてやるぞ」と。

こうしてまた、フリダシに戻るんです。

結局、「無人販売所」というコンセプトだけでは、私の心が変わらないんですね。心が素人なんですね。お金でお金を増やすとか、手数料で稼ぐとか、紹介料を貰うとか、システムで稼ぐ、みたいな事を、自分から遠い世界だと思ってるんですね。FXって何ですか?

アートディレクションフィーじゃなくて、版下制作の枚数で稼ぐ。クリエイティブディレクションフィーじゃなくて、コンテの本数で稼ぐ。そういうのが心の底から、骨の髄、骨髄のドロドロしたところにまで染み付いちゃってるんですね。うさぎ跳びで足腰を鍛える、走れば勝てる、水飲んだら負ける。そういう精神なんですね。戦後は終わってないんですね。

その前近代的な根性を鍛え直さなければダメなんだと気づきました。もっと現代的な考え方にならないとダメだと思いました。自分を見つめ直し、自分とは何者か?自分はなぜこの世に生まれてきたのか?自分が社会に貢献出来る事は何か?それらを徹底的に思考し、他者との関わりを考察する必然を感じました。

こうしてまた、フリダシに戻るんですね。いやだから。

ダメですね。こういう大人が多い社会はダメだと思います。もっと適当に、もっと自由に、もっと柔軟に考えないとダメなんだと思います。頭が固い。自分の成功体験を押し付けるタイプ。自分の失敗体験すら押し付けるタイプ。自分が出来たんだからお前も出来るだろと迫るタイプ。オレが失敗したんだからお前も失敗すると断言するタイプ。ボーリングに行ったら一人勝ちするタイプ。酒が無いと怒るタイプ。

課金出来る気がしなくなってきました。

いやしかし、やるんです。コンテを描いてる手を止めて書くんです。月に1回も記事を書かないのに、月額500円取るんです。いや月に10回ぐらい書くかもしれないんです。

そして今こそ私の得意技「適当」を出す時なのかもしれません。セルフプロデュースとして「適当」はあまり表に出さないようにして来ましたが、近い人たちにはバレています。本質的には「適当な人間」だということが。

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