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国際映画祭に取り憑かれた30代

私は30代の時、国際映画祭に取り憑かれました。

一番最初に国際映画祭、海外の映画祭で作品が上映されたのは、『HELMUT』(2003)という作品でした。その当時、博報堂にいた大学の同級生の船木くんが原作を書き、パラダイスカフェの櫻井さんがプロデューサーをやり、今や売れっ子のCMディレクターの月田さんがHELMUTというキャラの「中の人」をやっていたり、河瀨直美監督の初期の作品を沢山やっていた茂野さんが音楽をやった作品です。河瀬監督と言えば、河瀬監督の照明技師をやっている太田さんもいて、撮影は梅根さんでした。

その作品が韓国の釜山アジア短編映画祭という映画祭で上映されることが決まり、スタッフ総勢15人ぐらいで行きました。作品が上映される直前、本当にドキドキしたのを覚えています。本当に、心臓の脈打つ音が外に聞こえるんじゃないかと思うぐらいドキドキしました。上映が始まると、自分たちが想像していない場所で笑いが起きました。狙った笑いのシーンではドッとウケて、ものすごく嬉しかったです。その後、みんなで釜山の街に繰り出し、焼き肉や刺し身を食べ、得体の知れないクラブみたいなところにも行きました。

初めての国際映画祭の体験は素敵なものでした。でもそこからは、本業だったCMディレクターの仕事も忙しくなり、1年に1本、ギリギリ短編映画が作れる様な状態でした。作品は作っても国際映画祭には積極的にエントリーすることはありませんでした。

大きな転機は『BABIN』(2008)という作品をNDJCのプロジェクトで作り、それがスイスのロカルノ国際映画祭で上映されたことかもしれません。4大映画祭の一つと言われていて、名前だけは知っている映画祭でした。作品の上映が終わり、ロカルノの街を歩いていると、作品を見た観客の人たちが声をかけてきました。それも一人や二人じゃなく、沢山の人に声をかけられました。これは短編映画の最高賞を獲れるかもしれないと、スタッフ一同もザワつき始めました。結果的に、第三席にあたる賞と、ヤング審査員賞の2つを受賞しましたが、ものすごく悔しかったのを覚えています。

その、大きな国際映画祭で「一番」になれなかった悔しさによって、スイッチが入りました。

しかし『BABIN』は、言い方はあれですけど、まぐれ当たりだった気がしたので、そこから国際映画祭とはどんな世界なのかを調べました。私は短編映画しか作る気がなかったので、カンヌ、ベルリン、ベネチア、ロカルノの短編部門の、作品のあらすじ、テーマ、上映時間、国籍、などを過去に遡って調べました。ネットで見れる作品を見ては、ストーリーの時間を調べたりもしました。ストーリーの時間というのは、その1本の作品が半日を描いた作品なのか、一週間を描いた作品なのか、一年を描いた作品なのか、ワンカットで実時間そのままを描いた作品なのか、というポイントです。映画祭の最高責任者がどういう映画を求めているかを話しているインタビューなども検索して読み漁りました。

いま調べたら、そういう結論にならなかったのかもしれませんが、「普遍性のあるテーマで」「驚きのあるフォーマットで」「日本のテイストを入れて」「自分の人生に引き付けて」「アートとして作れば」、3大映画祭を狙えるんじゃないかという結論に至りました。いろんな事を知りすぎてしまった今では、同じ結論には至らなかったかもしれませんが。

そして、『aramaki』という映画でベルリン国際映画祭に行き、『Shikasha』という作品でカンヌの監督週間に行き、『663114』という作品でベネチア国際映画祭に行き、3年間で3大映画祭の全てに行くことが出来ました。『663114』ではベルリン国際映画祭で賞ももらいました。

ちなみに補足的に書いておきますが、この3大映画祭が決まった3つの作品は、すべて普通のエントリーをしています。コネを使って裏ルートからのエントリーはしてません。その当時「平林ルート」があるから決まるんだ、と影で言われていたと聞きましたが、「平林ルート」など無いことは言うまでもないですし、あるなら使いたいよ「平林ルート」と思いました。

でも、その様な成功体験が裏目にも出ました。映画祭を徹底的に分析して、自分の得意な表現に惹きつけて作ったから結果が出ていたのに、「オレさま」が作れば映画祭に選ばれる、と思うようになりました。「普遍性のあるテーマで」「驚きのあるフォーマットで」「日本のテイストを入れて」「自分の人生に引き付けて」「アートとして作る」という自分なりの原理原則から外れた作品を作るようになりました。案の定、映画祭にあまり決まらなくなりました。本当に見透かされたような気分になりましたし、実際に見透かされていたんだと思います。

映画祭というのは怖いところだなと思うのと同時に、良い作品を作れば選んでくれるという公平さも感じました。よく「映画祭ばっかり狙いやがって」と言う人がいますが、映画祭の選択眼は間違っておらず、間違いなく今の映画の最先端が選ばれているので、映画祭を狙うことは映画にとって、最も正しい道だと思います。特に、カンヌ、ベルリン、ベネチア、ロカルノレベルの映画祭は狙って間違っている映画祭では無いと思います。選ばれれば、合格点が付けられる作品が出来たと、いう自信と安堵に繋がります。

もちろん、選ばれない可能性の方が高いので、落とされた時には、高いレベルの映画祭で上映される作品にはならなかった、という事実も突きつけられます。落とされた側としては、「いま世界の映画祭はメキシコとフィリピンを向いてるからね」とか「世界情勢的に不安定な国からの作品の方が同情されるし興味も引く」とか「日本ブームのサイクルはもう少し先かな」とか、自分を納得させる言い訳を、自分にたくさんするのですが、本当に良い作品をスルーするはずが無いのが映画祭だと思います。シンプルに、そのレベルに至るほどの作品が作れなかった、という事実なんだと思います。

私の30代は映画祭人生でした。そこから嬉しいことも厳しいことも、本当にたくさんの事を学びました。全身全霊で作った作品じゃないと勝負が出来ない場だとも痛感しています。だって、世界中の映画製作者が、人生をかけて全身全霊で戦いに挑んでくる場ですから。

今年作った長編映画『Shell and Joint』は、初心に戻って作りました。自分で立てた原理原則に戻り、「普遍性のあるテーマで」「驚きのあるフォーマットで」「日本のテイストを入れて」「自分の人生に引き付けて」「アートとして作る」を実行しました。この5項目は、映画祭に対する「傾向と対策」みたいに感じるかもしれませんが、この世の全ての「作品」と呼ばれるものに共通するものだとも思っています。「日本」というのは、「自分のルーツ」と言ってもいいかもしれません。

この作品がどう映画祭に評価されていくのかがすごく楽しみです。長編映画という未知な領域で、たくさんの事を学ぶ事が出来る気もしています。嬉しいことも悔しいことも、今はまだ全く気づいてないことも。



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