見出し画像

コンテを書く

私はTwitterでコンテの事ばかり書いています。コンテの内容ではなく、「コンテを書いている」という事をただ書いているんです。それはなぜか?私にとって、コンテを書くことは本当にエネルギーのいる事だからなんです。そこにストレスを感じるから、「コンテ書いてるアピール」をTwitterでしてしまうんだと思います。「ダイエットしてるアピール」とか「徹夜してるアピール」と同じ種類のアピールかと思います。

私は映像の演出をする仕事をしているのですが、純粋な映画監督ではないので、ほとんどはクライアントのいる映像の仕事をしています。なので、その映像がどういう演出や構成になるかを先方に伝えるために、必ずコンテが必要になります。

コンテは発注先のクライアントに説明するのにも使いますし、プロデューサーにはその演出でかかりそうな予算を出すためにも使われますし、制作部やスタッフには、手法やアングルを共有するためにも使われます。

私がコンテのどこにストレスを感じているかと言うと、「絵」を書かなければならないところです。私は美術予備校で毎日毎日デッサンを習い、1年かけてものすごく写実的に絵を書けるようになりました。そして美術大学も卒業しているのですが、絵が本当に下手なんです。

自分でこういうのも何ですが、いわゆる「絵心」が無いんです。絵心のある人のコンテは、サササッと少ない線で書いてあるのに、そこに空間が見え、人間の表情や感情まで、伝わってきます。絵心のある人のコンテは、完成する映像が想像しやすいですし、すごく良い映像が出来る感じがするんです。それをサササッと書いてしまうんです。すごいです。

私にはそんな絵心がありません。16:9の枠の中で、精一杯書くのですが、全然上手く書けないんです。

例えば、スカートを履いた女性が水たまりをジャンプするのを、地面に近いアングルの斜めから撮りたい場合。私にはそんなものを書く能力がありません。たぶん、顔は男になってしまって地面を向き、手は曲がってはいけないところから曲がり、足は棒が2本あるだけになるでしょう。周りの建物の時空は歪み、全てのビルは紙のように薄くなり、空中に浮いているでしょう。

だから私は、コンテを真横から書いてしまうんです。正直、真正面ですら書けません。ダイナミックな映像が撮りたかったのに、コンテで書けないばっかりに、コンテで書けるアングルに逃げてしまうんです。結果的にストイックな映像になってしまうんです。こんな事ではプロ失格なんです。

私は自分でも絵が下手だなと思いますが、しばしば私の書いたコンテが書き直されることもあるんです。「平林さんの書いたコンテだと面白CMに見えちゃうので、コンテライターに書き直してもらってクライアントに見せます。」と何度言われたことか。血反吐を吐きながら書いたコンテが、あっさりと書き直されるんです。

そして、コンテライターにコンテを書き直してもらうと、自分が思ってたのと全く違う、他人の演出コンテに見えるので、そこに思い入れがなくなり、「もうこの仕事、納品モードだな。」と思ってしまうんです。こんな事ではプロ失格なんです。

もう本当に、コンテの「絵」を書くのが下手で嫌なんです。たまに「字コンテだけでいいですよ」と言われる仕事があるんですけど、そのプロデューサーには握手を求めたくなります。「ですよね!ですよね!コンテは字に限りますよね!飲みに行きましょう!」と思います。

私は「字」で企画を考え、字で構成や演出を考えるのは本当に得意なんです。しかも、ものすごく早いです。字だけで良ければ、カット割りなんかもバンバン出来ます。頭の中に映像が浮かんでくるので、それを字で書くだけなんです。でも絵が苦手なんです。

そんな私ですが、この日本社会で映像の監督をやるには、コンテを書くことから逃れることは出来ないのも事実なんです。その橋を渡らなければ向こう側に行けないんです。芋虫はサナギを経なければ蝶になれないんです。

こうして私は日々コンテを書いています。ものすごいストレスを抱えながらコンテの「絵」を書いているんです。

不思議なことに、20年以上コンテを描き続けているのに、一向にコンテの絵が上手くなりません。一つのことを続けていれば、嫌でも上手くなってしまうというのは真実ではないんでしょう。この私が証明してますから。

さてと、休憩はこのぐらいにしてコンテ書きに戻ります。

サポートして頂けたら、更新頻度が上がる気がしておりますが、読んで頂けるだけで嬉しいです!