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自分をさらけ出す作戦

作品を作るときは、自分をさらけ出すように心がけています。

頭で考えた「企画」や「アイデア」というのは、作品としては弱くなる気がしています。「企画」や「アイデア」も、自分の頭で考えてるので、自分の内側から出てきたものなのですが、どうしてもフォーマットやテクニックで作ってしまいます。

「アレとアレを組み合わせたら面白いんじゃないか?」「アレをあんなフォーマットで表現したら新しいんじゃないか?」みたいなアイデアを考えるのはすごく楽しいことですし、驚きが生まれる気がするのですが、心の底からの共感が得られる気がしません。

私は学生の頃、広告のアートディレクターになりたかったので、そういうアイデアばかり考えていました。社会に出てからもCMの企画などは同じ頭の使い方をしてました。でも、プレゼンに通るアイデアだったり、CMとして面白い企画にはなるけれども、それで人の心が動く気はしませんでした。

結局は「借り物」の「アイデア」だからです。

仕事ではなく、作品を作るようになって、頭の使い方を変えることにしました。自分をさらけ出すしか無いと思いました。企画やアイデアで勝負すると、絶対に自分よりも優秀な人がいます。相手の土俵に乗っちゃうイメージでしょうか。

例えば広告だと、アメリカやヨーロッパの広告にはとても勝てる気がしません。予算がふんだんにあり、自由に作っていいと言われても、アメリカやヨーロッパの広告には勝てない気がします。ファッショナブルさとロジカルさのレベルが本当に高い気がしますので。

自分をさらけ出す作戦というのは、「体当たりでやらないと勝てない」という覚悟と諦めでもあります。自分をさらけ出してやっと勝負の土俵に乗れる感じでもあります。

何となく周りを見ていて、自分をさらけ出せない人たちがいますが「親に見られたらやばい」「知人に見られたら恥ずかしい」「変態と思われたくない」レベルの事を言っていたりします。このレベルの事を言っている人には「作品」は永久に作れないでしょう。作品の世界は「自分をさらけ出す」合戦だと思いますので。そして、自分をさらけ出しても、全く歯が立たない世界だったりもします。

究極的に出自が特殊な人や、圧倒的に困難な状況にいる人が作った作品と並べられたら、平和に平凡に暮らしている私の作った作品なんて、ホコリみたいなものだと思います。そんな私が借り物の「企画」と「アイデア」で作品を作っていてもダメなんです。人間vs人間の勝負に持ち込まないとダメなんです。作品の世界では、作品の向こう側にいる「作者」を見られるからです。作品を見られているようで、実は作者、作家を見ています。「この映画はアートか?商業か?」みたいな議論がしばしばありますが、作品の向こうに作家が見えればアートで、見えなければアートじゃないんだろうと思います。

そういう意味でも、自分をさらけ出さなければ「作品」にならないのです。

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