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根拠の無いコンプレックス

「根拠の無い自信」という言葉がありますが、実は「根拠の無いコンプレックス」を持っている人も多いんじゃないかと思います。

私はおこがましくも、今は根拠の無い自信を持っていたりします。なぜそんなお「こがましい人間」になってしまったのか分かりませんが、大学に入ってから根拠の無い自信を持つようになりました。ホントおこがましいですね。

小中高とコンプレックスの塊でした。ネガティブの塊と言いますか。たぶん「ネクラ」に分類されていたと思います。いかに目立たず、空気の様な存在でいれるかばかり考えていました。読書感想文や夏休みの日記も「サンプル」みたいな文章を目指して書きました。何か感想を求められると「普通」としか言いませんでした。

自分に全く自信が無いから、注目されたくなかったんでしょうね。良い目立ち方も、悪い目立ちもしたくなかったんです。

高校の時の担任の先生が「キミ達はまだまだ変わることが出来る。」と言っていた言葉を今でも思い出します。16歳の私はその時「もう絶対に変わることなんて出来ない。」と心のなかで反論してました。

そして、高校を卒業して浪人するために東京に出てきました。毎日毎日美術予備校に通ってデッサンをして、家に帰ったら学科の勉強をしました。あんなに勉強した1年は今までにありません。

それと同時に、このネガティブ思考をどうにかしたいと思い、いろんな本を読みました。「ここから先は宗教だな」と思うところまで行くたびに、帰って来ました。科学的に自分を変えたかったんでしょうね。脳のシナプスの繋がり方を変えて、思考を変えたいイメージと言いますか。

ロバート・シュラーという人の『信念』という本との出会いも大きかった気がします。今だに表紙から内容から覚えてますから。泣きながら読んだ記憶があります。サブタイトルが「あなたの夢を成功させる成功法則」です。今だったら絶対買わないでしょうね。

そして、浪人生の私は、科学とオカルトの間ぐらいにある「言霊」を「採用」しました。

自分で考えたポジティブな短い文章を100個ぐらい毎日読みました。「僕は大丈夫だ」とか「僕は出来る」とか「全然怖くない」とか「自分は変わる」とか。そんな事を1年ぐらい続けていたら、何かを成し遂げた末の自信ではなく、「根拠の無い自信」を持つ事ができました。おこがましくも。

言霊って宗教とか霊的に語られることもあるけれど、私がやっていたのは、結果的にポジティブシンキングの訓練になってたんだと思います。そういう意味では、実は言葉の力ってものすごいと思います。

だから、「お前はダメだ」と言って子供を育ててはいけないんだと思います。心の底から、芯からダメが染み付きますから。強烈にダメ意識を持つと、絶望して社会を恨みます。本人にとっても社会にとっても不幸です。

「お前はダメだ」だけじゃなく、子供にちゃんとして欲しいと思う親心から「お前は神経質だ」とか「お前はズボラだ」とか「お前は大げさだ」などとも言ってしまいがちです。でも言葉の力は強いから、子供はそれを背負い込んでしまいます。

私はよく親から「神経質だ」と言われたので、自分は神経質なんだと思いこんでました。「血液型がA型は神経質でマジメ」みたいなのを、みんながもの凄く信じていた時代です。

人は誰しも、A型、B型、O型、AB型の要素を持っているから、どんな性格に生まれようと「やっぱA型だよね」などと言うことが出来ます。私はその「A型・神経質」を心の底から信じ込み、「神経質」というカテゴライズで生きて行くんだなと無意識レベルで思っていました。ネガティブに。

でも、大学に入り、社会に出て行くうちに、何かがおかしいと思いました。

学生時代は、足の踏み場もないほど散らかっている部屋で、平然と暮らしていました。ホコリの中に見たことの無い毛虫がいました。アパートのシンクで写真の現像をしていたので、酢酸でシンクがボロボロになりました。野良猫が家の中にいたので、絵を書いている紙の上をノミがジャンプしていました。そのノミに刺されて体中が痒かったです。

「これって神経質じゃないだろ?」と思うことが何度もありました。

幸いにもそういう「神経質の牙城」を崩す出来事がたくさんあったので、「神経質」という意識は粉々に砕け、無くなりました。

浪人時代のポジティブシンキング訓練と、神経質の呪縛から解き放たれる経験が重なり、緊張からの開放と言うのか、振り子の原理と言うのか、「ネクラの塊」だった人間が、「根拠の無い自信」を持つ人間になりました。おこがましくも。

そこから流れ流れて「監督」などと呼ばれるディレクターをやることになり、自信に加速が付き、肉付きも良くなり、「フテブテしさ」すらをも持つようになりました。

母親は私を「消極的でネガティブで目立ちたくない人」にカテゴライズしていたので、人の上に立って声を出す仕事をしている事が、にわかには信じられない様子でした。人って大きく変われるんだと思います。

私の周りにも「根拠の無いコンプレックス」を持っている人たちがたくさんいますが、本人たちは「根拠の無い」自覚がなかったりします。意外とコンプレックスと思ってる事って、単なる思い込みの可能性も高い気がするんですけどね。そのコンプレックスに根拠が有るのか無いのかの検証作業って、人生を送る上で大事な作業なんじゃないかと思います。コンプレックスの棚卸しと言いますか。

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