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息子と生き物①

息子とは、共通の趣味である「生き物」を通して、いろんな経験をしてきました。でもこれは「幼児期の教育的意義」とか「情操教育としての生物の飼育」などと言うものではなく、シンプルに私と息子が生き物が好きだった事による経験です。

息子が生まれた時、大きな公園の目の前に住んでいたので、公園のいろんなところに連れていきました。

息子が保育園に通ってる時によくやったのは、夜、公園にヒキガエルを見に行くことでした。梅雨明けから9月ぐらいにかけて、たくさんのヒキガエルが現れるゾーンを発見したんです。

私が子どもの頃に接触していたカエルは、アマガエル、トノサマガエル、ツチガエルが主なカエルだったので、ヒキガエルは私にとってもワクワクする存在でした。

20時ぐらいに、懐中電灯を持って息子と出かけます。最初の頃は、真っ暗な中、息子は私の手をギュッと握って歩いていましたが、何度も通っているうちに暗闇を怖がることもなくなり、ヒキガエルを捕まえるようになりました。ゆっくり歩いているとガサガサという音がするんです。そこを懐中電灯で照らすとヒキガエルがいるので、息子が躊躇なく捕まえに走ります。

ヒキガエルを捕まえると、頭の後ろのあたりから毒を出すので、ヒキガエルを捕まえた手は絶対に舐めない。そして、家に帰ったらちゃんと手を洗う事を教えました。

毎回、5匹ぐらい捕まえていました。キャッチアンドリリースなので、たぶん毎回同じヒキガエルだったかもしれません。ヒキガエルからしたら「また来たよ」と思っていた気がします。

夏場は同じ公園の別の場所で、セミの幼虫を見に行くことも多かったです。夜20時ぐらいに公園のある場所に行くと、大量のセミの幼虫が歩いているんです。公園の中にあるアスファルトの道の上を歩いてるので、たくさんのセミの幼虫が自転車に轢かれています。私と息子はセミの幼虫が自転車に踏まれないように、道の上を歩いているセミの幼虫を、土や芝生の上に避難させたりしていました。

「セミの幼虫を助けてあげる」みたいなのは、すごく美談なイメージですが、アスファルトの上には、軽く踏まれて内臓が少し出ちゃってるのに動いてる幼虫とか、羽化の途中に風に煽られて落ちて動いているセミがいたりするんです。そういう幼虫をたくさん見る経験でもありました。

半分踏まれて体液が出てるセミの幼虫に対して「父ちゃんこれは?」と聞いてきますが、私は「これはもうダメだね」と言って助けませんでした。科学的には絶対に助からないので、そこで「可哀想なセミさんを助けてあげよう」とは言いませんでした。それが良いのか悪いのか、幼児期の教育にとって、どっちが良いのかわかりませんが、目の前の現実に対して感情的な判断や行動をしない方がいいんじゃないかとは思います。半分踏まれたセミには申し訳ないのですが、自然科学からはそういう事が学べる気がします。

一方で、息子が自主的に「生物霊園」というものを作り、死んだ生き物を祀っています。直径30cmぐらいの植木鉢に土を入れていて、飼っている生き物が死ぬとそこに埋めるんです。貝殻で飾ってあったり、季節の花をお供えしたりしています。

たぶん、5〜6年かけて、計500匹ぐらいが埋められていると思います。2cmぐらいのコガネムシから、金魚、カブトムシ、ウナギ、道端で死んでいたスズメなんかも埋められています。そこに植物の種を植えると、ものすごく元気に立派に育ちます。死骸がいい感じで分解されて、栄養のバランスの取れた土になっているからなのかもしれません。

生き物を取ったり飼ったりすると、子どもに説明しづらい事もたくさんあります。

これはここ数年の出来事なのですが、息子が川に生き物を取りに行った時に、近くで釣りをしていたおじさんがブラックバスをくれたそうなんです。ブラックバスを間近で見るのも初めてだった息子は、興奮してブラックバスを持ってきました。

と同時に、ブラックバスは特定外来生物という事も息子は知っていて、飼ってはいけない事も知っていました。もっと言うと、飼ってはいけないだけではなく、移動させてはいけない事も知っていました。それでもしばらく観察したいと言うので、フィルタとエアポンプを入れて飼いました。

一週間ぐらいして、息子が「ブラックバスを食べるから料理して」と言いました。たぶん息子の中の罪悪感からそういう結論になったんだと思います。「特定外来生物は悪である」と言うことを、強烈に意識しているからでもありますし、「一度飼ったら最後まで買わなきゃダメ。飼うのがイヤになったら自分で食べるしか無い。」と私が大げさに言ってきたせいもあるかと思います。カメですら「イヤになったら食べるしか無いよ」と言ってますから。

でも私は、「特定外来生物は悪である」ということと「生き物の命の尊さ」の2つの整合性をどう説明しようか悩みました。「生き物の命は本当にかけがえのないものなんだ」という理念と「生物の多様性のために外来生物は殺す」という理念が、どうしても同じ重さだとは思えなかったからです。なんかバランスが悪いなあと思いました。

「特定外来生物には罪はない。連れて来た人間が悪いんだ。」と言って、特定外来生物を殺すのは簡単なのですが、人間はそれと似た様な論理で、人間を差別して殺してきた歴史もあります。

いまだに私は、息子にこれについて、上手く話せてはいません。外来生物がどんどん生息範囲を拡大していて、在来種の生物を脅かしている現実と、それでも「命」こそ本当に大切なものという考えの、その2つの矛盾を息子の中で咀嚼して、息子なりの考えを持ってくれたらいいなと思っています。私ももっとこれについてしっかり考えなきゃなと思っています。

それでブラックバスはどうしたかと言うと、エラと内臓だけ取って、塩コショウしてフライパンで焼いて食べました。一週間でもいったん飼った生き物を食べるのは正直きついものです。多少なりとも感情移入しちゃってますから。本当に魚が好きな息子の方が、精神的にはきつかったと思いますが、息子なりの答えを出して、食べることにしたんだと思います。

息子は「美味い!美味い!」と言って、キレイに骨だけ残して食べました。キレイに食べることが、息子からのブラックバスへの罪滅ぼしだったんじゃないかと思いました。

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