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ふたつの異例の話

私は社会がもっと「異例」を受け入れて、異例を異例と思わない社会が来ると良いなと思っています。

例えば、ニュースなんかで、役者が病気で「異例の」降板と書かれたりします。スポーツ選手がケガで「異例の」棄権などと書かれたり、ちょっと変わったことがあると。すぐに「異例」扱いしてしまいます。

私たちは「異例」というレッテルを貼ることで、私たち自身をがんじがらめにしている気がするんです。

私がよく思うのが、例えば、子育て中の映画監督がいたとして、その監督の子供が撮影当日に熱を出してしまったとします。その日に集まったスタッフ・キャスト合わせて100人いたしても、その日の撮影はバラシにすれば良いと思います。でも、それをやったら「異例」と言われます。悪い意味で。

私は、私以外のキャストやスタッフの誰かの子供が熱を出してしまったことで、その日の撮影がバラシになっても、それで良いと思いますし、それが正しいと思いますし、キャンセル料など要求しません。

でも現実的にはなかなかそうは行きません。「その程度」ではバラシに出来ないのです。

前々からスケジュールを押さえて当日来たんだから、その分のギャラを払えという人がたくさんいるでしょう。「他の仕事を断って」その日のスケジュールを押さえたんだと言うでしょう。クライアントという偉い人に対して、スタッフの子供の熱「ごときで」バラシになんて出来ないと言うでしょう。映像のほとんどの仕事はギリギリの予算で成り立っているから「監督の子供が熱を出した程度」ではバラシに出来ないんです。

それでも、いつかそれが出来る環境になると良いなと思います。結局はお互い様だと思うんです。いつ自分がそのような「人に迷惑をかけなければならない立場」になるかわかりませんし。

メンバーの一人がインフルエンザに罹ってしまったという理由で、何万人規模のコンサートを中止にするとか、精神的に不安定になってしまったアイドルが無期限で休養するとか、そういうニュースを聞くと、不謹慎かもしれませんが、ちょっとホッとする事があります。

「その程度」の事で、ものすごくたくさんの人に迷惑をかけるから「異例」な事かもしれませんが、責任ある人が「人間味」のある判断をしたんだなと思うからです。無理してオモテ舞台に出さない判断をしてると思うからです。

その責任者は、すごく重い判断をしなければならないと思いますが、弱った一人の人間を守るために、何万人の人に迷惑をかけるという判断をしているということが、とても勇気のある正しい判断と思うからです。もちろん、損害賠償を請求されることもあるかもしれませんから、キレイ事の判断ではありません。

私たちは「人に迷惑をかけることは悪」という考え方が、とても強いと思います。でも海外には、子供が生まれるからと言って、ワールドカップの大事な試合を欠場する選手がいます。優勝を争っている野球選手が、奥さんの病気の看病のために帰国したりします。

なぜそれを私が知るかと言うと「異例」でニュースになるからです。

でも、それがニュースにもならない様な、当たり前の事になって欲しいと思います。有名人だから出来るとかではなく、誰でも出来る環境になれば良いなと思います。お互いがお互いの「頑張り」や「根性」を監視し合うことが、もう少し無くなると良いと思います。

今の「プロ論」では、インフルエンザになろうが、手術の翌日だろうが、舞台に立ち、試合に出るんだと思いますし、それをありがたそうな美談に仕立て上げてしまいます。自分の仕事を全うした事で、親の死に目にあえなかった事が、素晴らしい「プロ論」として語られます。

でも、そんなのはプロじゃない、そんなのはまともな人間じゃない、とみんなが思える日が来るといいなと思います。

そんな日が来たら、冬場にマスクをする人も減るでしょうし、風邪薬も売れなくなるかもしれません。風邪をひいた時に普通に休める社会だったら、風邪薬を飲む必要は無くなりますし、マスクしてまで仕事場に出てこないですから。

そして、ここから二つ目の「異例」の話。

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