ヒラエスさん

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最近の記事

レディ・マーシ―

母は、クイーンが好きだった。 僕が生まれたのは1992年2月。フレディの死から3か月後。奇しくも母の生まれたその日に僕は生まれた。 僕が生まれる前、彼の死を惜しむようにクイーンのレコードを聴き漁った母の姿は想像に難くない。聞き覚えのあるリズムで内側から腹でも蹴っていたのだろうか。きっと僕の想像している以上に、僕はフレディの影響を受けているのだろう。 「ボヘミアンラプソディー」、映画としての完成度は決して高くない。中でも序盤は構成がひどく、映画としてはとても見ていられない。だ

    • マウンテンママ

      「みかんの丘」を見た。素晴らしい映画であった。あまりにも見覚えのある風景が流れていき、ジョージアで出会った様々な人の顔が浮かんだ。彼らが死ぬのは見たくない。 ジョージアには二度行ったことがある。一度目はトルコから、二度目は首都トビリシから。コーカサス周辺国はあらゆる歴史、文化、そして戦争のがれきの上に成り立ち、土地を掘り返してみればワインとチャイと血が湧き出す。トビリシにはオペラハウスが建ち、バトゥミにはモスクが建っている。 日本に生まれ住む僕にはわからないことだが、一つの

      • ユーラシア横断の旅⑨ 〜オシュの雪原編〜

        前長期滞在したホステルに予約無しで向かったがスタッフのおばちゃんは僕を覚えており、今回は3日滞在することを伝える。booking.comで予約しなおせば安くするよと言うのでお言葉に甘えた。今回ビシュケクに戻ったのはタジキスタンビザを取る為だ。全く連絡をくれないキルギス人を待つより幾分生産的である。 翌日タジキスタンビザを取りに大使館に向かうと、嘘みたいに簡単にビザが取れた。ネットの情報では3日後なら55ドル、即日なら85ドルとのことだったが、明日の3時以降に来れば35ドルだと

        • ユーラシア横断の旅⑧ 〜カラコルの温泉編〜

          ビシュケクでの無為な日々もまた一興であったが、いい加減重い腰を上げようと街を移動することにした。目指す先はカラコル。琵琶湖の9倍の大きさのイシク・クル湖を超えた先にある田舎町だ。 ビシュケクのホステルでは番組制作をしているというタジキスタン人のカメラマンとディレクターの二人組と仲良くなり、毎晩夕食を一緒に食べていた。 狭いバスでは大量の荷物が迷惑になると踏んで、5日間過ごしたホステルを出てすぐにタクシーを拾ったが、とんだぼったくりタクシーで1000円も取られてしまった。やはり

        レディ・マーシ―

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        • ユーラシア横断旅
          9本

        記事

          消えた伝統と変わらない土地

          ブルガリアの中央、大きな山脈に挟まれたバラの谷では、毎年5月にバラ祭りが催される。 中でも一帯の中心地、カザンラクでは日本で言う”ミスバラ”のような "バラの女王"を決めるコンテストが開催され、祭り当日には街の中心での盛大なパレードや、近隣の小さな村では民族衣装を来た子どもたちのダンスなどで谷は大いに盛り上がる。 バラ祭りを見に来た僕はカザンラク近くの小さな村のホテルに一週間ほど居座り、現地の生活を見ながら待つことにした。 そこで村に30年ほど住んでいるという写真家の日本人

          消えた伝統と変わらない土地

          ユーラシア横断の旅⑦ 〜キルギスの仏教徒編②〜

          前回はこちら 寺には独特のサイクルがある。 ここでは朝夕の念仏はもちろん、朝10時と夕方4時の食事の時間、就寝時間、洗濯の日、週に一度のサウナ日。毎日、毎週、変わらないリズムで時間が進み、その中で生きている。そんな中でも小さなイベントはあるもので、休日になると新しいお客さんが来ることもある。 その中の一人、ニマはロシアのアルタイ出身の13歳で、定期的にこの妙法寺に来ているそうだ。アルタイはカザフスタンのすぐ北で、ロシア人と言っても大陸的というか日本人的、アジア人的というか、

          ユーラシア横断の旅⑦ 〜キルギスの仏教徒編②〜

          ユーラシア横断の旅⑥ 〜キルギスの仏教徒編①〜

          ビシュケク郊外の山中で修行しているロシア人仏教徒が居るらしい。 興味ある?とアイシャンに聞かれて生返事をしていたらその夜には寺に放り出されていた。 その日はアイシャンの仕事に付き合わされ、国の施設やらなんやらを回って夕方になった。養蜂の家の息子(同い年)が居たから昨日の話の続きだろうな。 ロシア人のアレだけど明日じゃ駄目か、と念押ししていたのにも関わらず、夕方の家でパーティの残り物を食べているとすぐに向かうぞ!と背中を蹴られ、夜の7時に山へ向かう。 何故かカニシュも付いてき

          ユーラシア横断の旅⑥ 〜キルギスの仏教徒編①〜

          ユーラシア横断の旅⑤ 〜ビシュケクの朝焼け編〜

          雪の街を橙色の太陽が照らす。 一晩と少しで横断出来るとはキルギスタンは小さな国である。 バンに揺られていると、アイシャンの家に着いた。眠そうな顔で14歳の方の娘さんが出迎えてくれる。すでにアイシャンは娘達に自分の事を話していた様だが、彼女は恥ずかしそうにしていた。 アイシャンの家は郊外の大きなアパートの一室で、リビングと寝室、キッチンの2DKの部屋である。玄関は二重扉になっており、寒い地方特有のアパートだ。エレベーターも無いのに6階建の最上階で、大量の土産を運ぶ羽目になった。

          ユーラシア横断の旅⑤ 〜ビシュケクの朝焼け編〜

          ユーラシア横断の旅④ 〜国境の荒野編〜

          明日の国境越えが不安で眠れなかった。 なんとか眠ったが、それでも2時間程度。起きたのは朝8時(ウイグル時間では6時)で、スタッフの誰も起きていなかった。 時間がない上シャワールームはほぼ外で寒く、1日くらい良いだろうとシャワーは浴びなかった。昨日の分の宿泊費を渡していないのでスタッフが起きてくるまで待つことにする。このホステルには黒猫とまだら猫が半野良で居座っており、黒の方は人懐っこい。 リビングには石炭ストーブがあっていつもは暖かいが、まだ付いておらず寒いまま。コートを着

          ユーラシア横断の旅④ 〜国境の荒野編〜

          ユーラシア横断の旅③ 〜カシュガルの観覧車編〜

          カシュガルに着いて驚いた。 ここはまごうことなきイスラムではないか。 ホステルの前には月のモチーフの建物。見るからにモスクである。 イスラムらしく羊肉をよく食べ、街のあちこちで羊の串焼きを焼いていた。その台も金属細工で飾られていて、トルコで見た景色によく似ている。ウイグル人は彫りが深く、髪も東アジア人より黒い。ロシア帽の様な帽子を被り、中国語とは違うウイグル語を話す。 ここは、どう見ても中国ではない。 その割に看板や店のメニューにはウイグル語に混じって中国語で表記があり、街

          ユーラシア横断の旅③ 〜カシュガルの観覧車編〜

          ユーラシア横断の旅② 〜ウルムチの吹雪編〜

          朝になると車窓の風景が黄色に変わっていた。中国でも田舎の方にやってきた。 この辺は黄土というか、とにかく土の色から違い、川も家も黄色い。 しばらくするとまた風景が変わる。 雪が降っていた。 中国では降水量自体は少ないので日本の高山や新潟のように積もることはないが、元々の寒さで雪がいつまでも残っている。小学校の同級生で中国人の友人がおり、彼は寒い地方の田舎出身だと言っていたので、彼はこんな土地で生まれたのだろうかと考えた。ちなみに彼の家は地元で美味くて安い中華料理店を営んでい

          ユーラシア横断の旅② 〜ウルムチの吹雪編〜

          ユーラシア横断の旅① 〜上海のスモッグ編〜

          大陸を移動したいと思い、中国からユーラシアに入る旅にした。中国、上海へは大阪から出るフェリーで2日間。瀬戸内海を通って九州の北を進み上海へ。 とりあえず1日目は日本国内なので旅の感慨もなかったが、翌日の朝から外洋に出て、日本から離れていく。 九州、五島列島を離れると携帯も圏外になり、いよいよ暇になってしまった。3階フロアのロビーではBS1を放送しており多少の暇を潰せたが、それもやがて映らなくなってしまう。4階フロア奥の喫煙所と、そのもっと奥の外扉からデッキに出るのを繰り返し

          ユーラシア横断の旅① 〜上海のスモッグ編〜