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ユーラシア横断の旅⑨ 〜オシュの雪原編〜

前長期滞在したホステルに予約無しで向かったがスタッフのおばちゃんは僕を覚えており、今回は3日滞在することを伝える。booking.comで予約しなおせば安くするよと言うのでお言葉に甘えた。今回ビシュケクに戻ったのはタジキスタンビザを取る為だ。全く連絡をくれないキルギス人を待つより幾分生産的である。
翌日タジキスタンビザを取りに大使館に向かうと、嘘みたいに簡単にビザが取れた。ネットの情報では3日後なら55ドル、即日なら85ドルとのことだったが、明日の3時以降に来れば35ドルだと言う。パミールには行くの?と聞かれるので、一応それも頼んでおいた。
翌日受け取りに行くと55ドルと言われ、なんとも国民性だなぁとしみじみ。パミール入域証は100ソムだが100ソム札が無いよとアピールすると90ソムにまけてくれた。

ビシュケクからオシュへの道はバスすら通っておらず、方法としては乗合タクシーくらいしかない。カラコルのカフェで出会った海外青年協力隊の方によれば、キルギスではヒッチハイクが割と一般的な交通手段だそうだ。もっとも、ヒッチハイクと言えどもお金は外国人に限らず徴収するらしいが。ちゃっかりしているというかケチというか。そう考えると乗合タクシーはその延長とも言える。
それを知らずにマルシュ(ミニバス)乗り場に向かった僕は案の定オシュ行きのマルシュが無い事態に直面することとなり、乗合タクシーの利用を余儀なくされた。声をかけてきた乗合タクシーの運転手が1800ソムと言うが、なんとか下げて1500ソムにしてもらう。カラコルまでのマルシュは300ソム程度(600円ほど)だったため、やはりタクシーは高い。オシュへの乗合タクシーはマルシュ乗り場ではなくビシュケクで一番大きな市場、オシュ・バザールから乗るのが一般的で、運転手は一度バザールに行くが客を探すが捕まらない。
結局彼の兄が運転するタクシーに乗る事になった。そちらはもう他の客と荷物が待機していたからだ。日本の様に発達した宅急便もないこの辺りの国では、こうした乗合タクシーやマルシュに金を握らせて荷物を運んでもらうのは一般的な手段で、後部座席より後ろは荷物で埋まっていた。後部座席には5,6歳の姉弟とそのお母さん。助手席に乗り込むとお母さんは子供達にキスをして出て行ってしまう。弟はギャン泣きである。子守をしろというのか。
運転手が子供達に僕の事を日本人だと紹介すると、子供達の興味はこちらに向かい、あんなに泣いていた弟も喜んでちょっかいを出してくる。まぁ可愛いものである。母親が持たせたらしい子供達のお菓子を何個も貰うことになったので昼食を食べなくて正解だった。
ビシュケクから少し離れると車市場のエリアになり、パーツ屋や中古車屋が軒を連ねる。アイシャンが日本車が安く買えると言っていたのはここか。今回のタクシーも例によってホンダ車で、日本車は最高だぜ。と運転手は言う。
この辺りでもう一人20代後半くらいのキルギス人男性を拾い、運転手は席が埋まって上機嫌。車は山へ向かう。

オシュとビシュケクの間は旅人の間で絶景ロードと言われている。巨大な山の間を縫う様に車は進み、山を抜ければ広大な雪原。そしてまた山に入る。夏ならまだ放牧をしているユルトなんかもあっただろうが、冬は見事に何も無い。しかし広大だ。キルギス人はともかくとしてキルギスの自然は本当に美しい。

トイレ休憩のために止まって立ちションをしていると、山のシルエットで太陽の光が切り取られているようで綺麗だった。
真っ白で雄大な景色の中、トレーラーのような家で暮らし、時々通る車にガソリンを売って生計を立てているような人々がこのあたりには多いらしい。それが今の遊牧民の姿なのかもな。

子供達は夜の0時にオシュのもっと手前の街で降りて行った。彼ら、夜の10時には夢の中だったので、眠気眼で親戚らしい家族に抱き抱えられて車で運ばれていった。家へ向かう車が一度クラクションを鳴らすので手を振るが、子供達はもうまどろみの中だろう。
子供達を降ろすといい歳の男しか車内にいなくなったので窓を少し開けて全員で煙草を吸いながらオシュへ。結局着いたのは朝の4時。予約していたホステルのはっきりした場所も電話番号も分からなかったが、運転手と探し回っているとアパートの最上階から日本人かと声をかけられた。待ってたよ、と。

オシュという街は特殊な街で、キルギスにあるものの、住人は殆どウイグル人だ。挨拶もアッサラームアレイクム。パンの種類はまた変わり、大きくて少し固めだ。

街の雰囲気もロシア的なビシュケクと違い、中央アジア的な、ムスリム的な雰囲気がある。女性の多くはスカーフを被り、ようやくイスラーム地域に来たような感慨がある。
翌日ホステルに来た日本人の青年と一緒に、オシュの世界遺産、スライマン・トーに行くことになった。


街のど真ん中にある聖なる山だそうだが、がっかり世界遺産にも選ばれているそうで。嫌な予感がする場所だ。
日本人の彼は(後に東大卒と分かり、ここで話すのも恐れ多いが)インドから入り、イランから中央アジア、これから中国へ向かい、北朝鮮のツアーに向かうそうな。3月前半までに着かなきゃいけないというので忙しい旅である。同じホステルに5日も居るようなダラダラした自分の旅とはまた違う。
スライマン・トーはやはりただの山だった。20分ほどかけて登っても、まぁ景色が綺麗ってくらいなもので。


カルトケイブという説明の洞窟もまた、ただの穴で落書きだらけであった。ともあれ世界遺産にもなるほどだ。当時(いつかは知らないが)は何らかの意味合いがあったに違いない。
100円の入場料を払って入った博物館もどうにも雑多な展示物。仏陀像からシャーマン、石器時代の焼き物、20世紀の木製洗面台まである。どれも適当に置いてある風で実家から持ってきたようだ。

これからビシュケクに向かうというのでその青年とはここでお別れ。自分はビザの有効日まで同じホステルに居座ることにした。
タジキスタン北方の街ホジャンドへは国境の街バトケンを経由して向かう。ホステルでバスターミナル行きのバス番号を教えてもらい、105、122、155とメモをして122番バスに乗り込むが、案の定その途中で終点。その辺にいた男性に聞くと109番だと言う。全然違うじゃないか。109番は無事バスターミナルに向かってくれたが。今までバスの番号を聞いて合っていた試しがほとんどない。大丈夫なのかキルギス人。

バスにはタジキスタン人でホジャンドへ向かう男性も一緒になり、どうせなのでついて行くことにした。バトケンから国境まで同じ車で彼と乗っていく。
男性についていく形で難なく国境を越え、タジキスタン側の国境の町までたどり着いた。ここはイスファラという街らしい。
おっさんにタクシーまで案内してもらい、交渉をしているといつの間にかはぐれてしまった。礼ぐらい言えれば良かったのだが。

タクシーが言うにホジャンドまでは100ソモニ(2000円ほど)らしい。バスはもう便が無いそうだ。悩んだ結果行ってもらうが、途中で運転手の個人的な用事でイスファラに戻った際に安いホテルを教えてもらったため、今日の所はイスファラに戻って滞在することにした。
教えてもらった600円の安ホテルは一応ツインルームだがなんせ建物が古く、酷く冷える。シャワーもない。Wi-Fiなどある訳がない。文句は言うまい。

ホテルの近くでシャシリク(肉の串焼き、中でもミンチ肉のもの)を注文し、久々の飯を食べた。店のおばちゃんに色々話しかけられるが、ここはキルギスよりも全然英語が通じない。「パルースキパニマーシュ?」という言葉がロシア語話せるの?の意味らしい。ニェットと言うしかない。
翌朝、昨日乗れなかったマルシュ乗り場へ向かう。その前に朝飯だ。タジキスタンではどこもかしこもシャシリクなので、また同じシャシリクと、潰した芋の入った揚げパンをたべる。これが美味い。シャシリクにはディルを混ぜた玉ねぎのサラダが大抵ついてくるが、新玉ねぎでもないのに生なので辛い。


タジキスタンのパンは柔らかくてオシュのよりは少し小さめ。オシュの物ともまた違う。オシュのパンはウズベクのパンなのだろう。市場の入り口は大抵パンの市場になっていて、食文化の基盤なのだなぁと。
ホテルは隙間風の音と野犬の鳴き声でひどく寝苦しかった。

ホジャンド行きのマルシュはたった100円で、昨日タクシーで行かなくて本当に良かった。道中は寝ていたので覚えていない。
ホジャンドのホテルは決めていなかったが、市場の近くにホテルがあることを聞いていたのでそこを目指すことにする。
ホジャンドにはキルギスのホステルで夕飯を共にしていた友人がいるのでネットがあれば連絡出来るはず。…と思っていたがこの街、どこに行ってもWi-Fiがない。ホテルにもなければカフェもなければインターネットカフェもない。適当なスマホでも買ってSIMカードも買えば….とも考えたが、日本語が使えるかどうかも分からないスマホを買うのは危険すぎる。
結局友人に連絡も出来ずに3日も滞在してしまった。どうせネットもないのならここに居ても仕方ない。ドゥシャンペに行こう…。と、ホテルのおっさんに言うと、夜は朝の倍以上の値段になるから朝の方がベターだと。3日目はそれで仕方なくの宿泊だ。先に言うて。


あぁ、ホジャンドの街はでかい市場があってなかなか楽しい。その辺で売っている20円のソフトクリームもまぁまぁ美味い。
ご飯はいつもホテルの下にある食堂で食べた。日本人だと言うとやたら写真を撮られて並んで写真撮ってくれと頼まれたり謎の歓迎をされた。
散歩の途中でビールのマークの店を見つけたので夜に行ってみたりもした。ネットがなければ酒を飲むくらいしかやることがない。


地下にあるその店のメニューは店で醸造しているらしい生ビールしかなく、一杯60円で塩で味付けした細いパンと硬いチーズのようなつまみをくれる。初日はアフガニスタン人のおっさんに気に入られ、ビールを2杯奢ってもらった。
初日は、と言ったのはその後2日間通うことになるからだ。話す相手もいないのでテレビの格闘技を見ながら一人酒。他の客はいっつもトランプ。
それなりに宗教が厳しいこの土地で、地下とはいえモスクのある広場に面しているこの店でビールを飲んでいる人達がいるのは不思議なものだ。

ホテルはパスポートをフロントに預けることになっているのでパスポートを持たずに外を歩いていると、パスポート不携帯で警察にしょっ引かれた。キルギスの様に金でも要求されると思ってひたすら抵抗したが、オーナーを呼びパスポートとビザを確認するとあっさりノープログラム。あんたら胸倉掴んできたのになんなの?オーナーもやれやれなんて顔をしてる。いやホテルに預けるシステムやめろや。必要にせよ出るとき言うてや。
この国の人は気持ちよくなる怪しい噛みタバコをよく口に含んでいるが、警察もそれをやる。両手をパタパタさせてフラーイとか言ってる。やべぇ。
まぁキルギスよりは腐敗してないようだ。

ドゥシャンペへの出発の朝、運悪く警察の集団とすれ違い、おー日本人、元気かー?なんて言われて握手。警察に顔を知られている…。
金もかかるしパミールに行くのが面倒になってきたのでさっさとタジキスタンを出てウズベクに行くとかどうにかするだろうが、何にせよドゥシャンべに向かう。

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