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自分軸で責任を持つ人になる

今日は親目線でのお話しです。
ダンスに通うお子様をお持ちの保護者の方が読んでくださったらうれしいなと思います。


人生のステージが変わりました


先月、めでたく息子が成人しまして、
2人の子供たちの子育てがひと段落したんですね。
もちろんまだ一緒に住んでいるので、生活がガラッと変わったわけじゃないんですけどね。
で、子供たちが高校生くらいから「子離れ」が私の中でのテーマだったんです。
その「子離れ」っていう言葉の中にはいろいろあって、
子供達の自立とか自活というのもあったり、
私が、子供たちのことを1人の人として認めるとか、関わりすぎないとか、
そういうことも含まれます。
小さい時ってお世話するのが当然で、私はこの子を育てるっていう使命感とか責任感で溢れてるんですけど、
当然、年齢によって変化していくものですよね。
自然に変わって行くところもあれば、
意識的に変えていかなければならないところもありました。
手を離していかなきゃいけない年齢になった時、
それがこの成人のタイミングなんですけど、
今日からあなたは大人です。って急にできないって気づいたのです。
なので、私自身の自立という意味も含めて、
ゆっくり子離れっていうことをしてかないとなと思っていました。
私がそれを意識したのが高校生くらいだったので、
準備期間としては4〜5年しかないんですよね。


これって依存じゃないか・・・?


やってあげるってその方が楽だと思ったり、
子供達にも間違いとか遠回りさせずにいられるじゃないですか。
でもそれって子供の成長にはならないってことも知ってます。
でも、手を出さないって本人の成長でもあるんですけど、
私に我慢がいることだったり、
正解を教えた方が早いし、ストレスも少ないって思ってたんです。
でも当然、それを本人たちは拒絶するし、
とっくに自分でやってるんですよね。

1人目と2人目の性格も違うし、
私が離れることができてなくて「お世話し過ぎ」と注意されることもありました(ヘリコプターペアレントって言うんですって)
子供から見たらそんな感じなんです。
で、いざ、子供たちが本格的に成人するとなった時に、
これだけ子離れを意識してきたにも関わらず、
自分が1人になった感覚があったんです。
旦那さんや他の家族の存在も大きく関わってくると思うんですが、
私は子供の存在が大半を占めていました。

そうなんです。私の行動のきっかけの大半が他人軸でした。

朝起きる時間から始まって、
その日のスケジュール、
自分のための時間を取るか取らないか、
そこも家族が〇〇だからできる、できないが決まっていた感じ。
いつも誰かのことを考えて行動してた。
これって子供の存在に依存してる・・・?
自分の欲求から行動してないっていうことに気づいた時、
ちょっとゾッとしたんです。

他人軸と自分軸


他人軸で考えると、実はいろいろ言い訳になるので楽なんです。
他人軸って、自分で決めないし、〇〇さんがこう言ったからっていう言い訳に使えちゃうんです。
断る口実だったり、やらない言い訳だったりに都合がいいわけです。
そこに逃げていた気がします。逃げていいんです。
でも逃げてばっかりじゃよくない。
自分で決めたなら、そこに責任を持つべきだし、
時間やお金の使い方も自分で調節しないといけないし、
だから、やらないことの言い訳に使っていたんです。
で、しかもできないことにストレスを感じてるんです。
もう自分勝手ですよね。

やりたいなら、やればいい!
そこに家族の協力が必要なら、話をして、
協力したいと思うように自分が努力するところはして、
できないところを正直に話して、協力して貰えばいい。
できる範囲で自分のしたいことをすればいい。

今までそこの努力をしてこなかったんです。
だって、自分がしたいことをするのって、エネルギーがいるから。
でも、その努力を普段からしていかないと、麻痺していっちゃう。
で、子離れが遅くなる。
子供が自立した時に自分がなくってポカーンとしちゃう。
ダメダメ。努力しましょう。自分のために。


無言のメッセージ


でね、これって、お子様にも影響してくると思うんです。
お子様も同じように、他人軸で逃げパターンを作っているところ、ありませんか?

誰でもありますよね。
お母さんがダメって言うから私はできない。
やらないことが結果としていいことの場合はそれでいいけど、
努力することを放棄していることなら、
それはもったいないことなんじゃないかな。

チャンスを逃していることなんじゃないかな。
そして、それを保護者の方も一緒に作ってしまっていないかな。
と、皆さんも一回考えてみてください。

試験勉強しないと怒られるから、レッスン休みます。
これは他人軸。
お家の中で、試験前はレッスンを休む、これが当たり前という前提で話を進めていないかな?

もし、試験一週間前だけど、レッスン行くとお子様が言ってきたら、
保護者の皆さんはどう答えるでしょうか。
「いってらっしゃい」その一言、いつもと同じ声で言えていますか?
「え?いくの?」の一言だったら、本人には「言っちゃダメでしょ」と伝わります。
レッスンに行くか行かないかの判断をするのは本人。
その責任を負うのも本人。
保護者がそこを強制する理由はないんです。
どのくらいの年齢になった時に、これができていてほしいでしょうか。
小学生?中学生?高校生?成人のタイミング?
広く見た時に、テストの点数を取ることが優先な時なのか、
将来自分が選んだ選択の責任を持てる子になるように育てる時なのか。
受験が目の前にいつでも迫っているような今の日本のスピードだからこそ、
考えたいことだと思います。

私の自立問題、自分に責任を持って、自分軸で生きていこうと思います。
みなさん、自分の周りの環境はすごいスピードで変化しています。
頑張ってついていきましょう!

最後まで読んでくださってありがとうございました。
じゃ、まったねー!

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