読みコント「紋章」

 僕からしたら書きコント、読んでくださる徳の高い皆さんからしたら、読みコント。是非読みコント楽しんでいただけたら嬉しいです。



「紋章」



 その老人は、しわしわになってしまった己の手のひらをじっと見つめ、力なくぎゅっと握りしめた。

 彼の頭上に広がる空には黒雲が立ち込め、その隙間からは雷鳴が、まるで怒り狂った蛇のように凶々しくのたうち回っている。

「邪悪な者が帰ってくる」

 彼はフードを脱ぎ、そう呟いた。この老人こそ、その昔、かの邪悪な者アクガイを地よりも深く封印した勇者であった。

 しかし、現在の彼には昔のような勇者の力は無く、勇者の証である額に浮かんでいた聖なる紋章も、いつの日か消えてなくなっていた。今ではその額には深いしわが刻まれているだけであった。

「以前よりも力を増している。アクガイめ・・・」

果たして、もう勇者でもなんでもないこの老人にアクガイと対峙する力があるのだろうか。

「今の私に何ができるのか」

 おそらく今あの邪悪な者に立ち向かったところで力の差は歴然である。彼は初めて絶望という深い闇の姿を見たような気がした。

「もう、この世は終わりなのか」

 彼は地面にへたりこんだ。自分の無力さ、不甲斐なさ、そして己の折れてしまった心を恥じた。

 そこに一人の若者が大慌てで駆け込んできた。

「勇者様!」

 老人は、そう呼ばれ、いまだ、その名で呼ばれることへの罪悪感に、若者の顔を見ることができないまま応えた。

「もう勇者ではないのだ。・・・ミロドよ、どうした?」

ミロドと呼ばれた若者、勇者の住む村では親孝行なとても心優しい若者である。

老人はミロドの言い放った次の一言に耳を疑った。

「おでこに変な模様が出てきたんです」

老人ははっと息を飲んだ。そして、ミロドの額をその目にした。

 その若者らしいつやつやした額には、勇者の証である勇ましい獅子の顔を模した紋章がくっきりと現れていたのである。

 僥倖とはまさにこのことである。深い闇に身を置いていた老人は、その暗闇の中で聖なる光を見つけたのである。老人は、はやる気持ちを抑え、ミロドの両肩に手を置き尋ねた。

「この紋章は一体いつ?」

「今朝、鏡を見たら、この変な模様が出てたんです」

「変な模様などではない!これこそ、邪を払い、悪を断つ勇者の紋章なのだ」

「勇者の紋章・・・」

 こののっぴきならない事態をいち早く飲み込んだのか、ミロドの顔には、いつもの優しい人懐っこい表情が消えた。代わりに、今まで見たことのない深刻な表情に切り替わった。

 この一瞬で勇者としての自覚が芽生えたのであろうか。それならば、これほどの逸材はいない。勇者の力とは覚悟の力なのである。

 しかし、老人はミロドの言い放った次の言葉に再び耳を疑うことになった。

「親からもらった体に傷がついた」

「・・・え?」

 老人は、しっかりと耳を疑う時間を設けて「・・・え?」をぎりぎり返すことができた。

ミロドはもう一度、落胆するように繰り返した。

「親からもらった体に傷がついた」

「・・・え?」

 さきほどと同じ文言をお見舞いされたのにもかかわらず、変わらず耳を疑う時間をしっかりと設けた上で、同じく「・・・え?」を繰り返した。

「親からもらった大切な体を傷物にしてしまった」

「ミロド、傷物とかではないから」

老人はとにかくこの状況をまとめようと努めたが、ミロドは聞く耳を持たない。

「僕・・・こんなタトゥーいらないよ」

「タトゥーじゃないよ」

もうタトゥーとして認識しだしているミロドに、食い下がる老人。

 ミロドはがっくりとうなだれ、頭を抱えた。

「どうしよう。うちの親厳しいんです。なんて説明すればいいんですか!」

「紋章ですって言えば大丈夫だから」

「ああ、どうしよう」

もはや、老人の言葉は耳に入っていない。ミロドは大いに取り乱した。

「そもそも何で僕なんですか!何で僕なんかがっ!」

「ミロド、神様が君を選んだんだ。とても名誉なことなんだぞ」

ミロドは歯ぎしりをして、悔しがった。

「くそう。彫り師め」

「神様を彫り師って言わないで」

老人は常に本心で物を言うのである。そして若者も常に本心で物を言うのである。

「顔にこんなタトゥーあるやつ、お婿にいけないですよね?」

「・・・はあ?」

「顔にこんなタトゥーあるやつ、お婿にいけないですよね?」

「・・・はあ?」

 リテイクするかのように、繰り返される言葉の応酬。老人は「もうタトゥーって言うのやめようか」「お婿て」という言葉をぐっと飲み込んで、恥を忍んでミロドを説得することに決めた。ここで勇者として立ち上がらなければ、この世は悪の手に堕ちてしまうのである。老人は元勇者としての威厳をたっぷりと込めて言い放った。






「勇者モテるよ」


「・・・え?」



「モテるよ、勇者」

「・・・え!?」

 形勢逆転劇である。今度はミロドの方が耳を疑う番であった。ミロドの目に輝きが宿った。

「あの、どれぐらいモテるんですか?」

「うん、まあ、昔の話だけど、魔法使いのルーシーに踊り子のメイちゃん、酒場のウェイトレス、セリーヌ、女盗賊の頭アネスとか、言い寄られたりとか、したかな」




 老人は、話を少し盛った。基本的に老人の方から言い寄ったのであった。それぐらいの盛り具合は神様も許してくださるであろう。

 神妙な面持ちでその話を聞いていたミロドが重々しく口を開いた。







「女盗賊いいなあ」


「・・・え?」



「女盗賊に言い寄られるのは、いいなあ」

鼻の下が一角キリンの舌ほど伸びているミロド。

(※一角キリンは首が長く首の長さ4メートルほどにもなる。頭に生えた鋭い一本の角で獲物を一つ突きしてしまう、恐ろしい野生の魔物である。その舌はとても長く地面に届くほどだ)

 老人は今が好機と踏む。

「そうだぞ、女盗賊はね〜、もうやっぱり積極的でね、何と言うか、逆に、わしが彼女のハートを盗んでしまったのかな〜なんて」

 このように老人がもごもご連ねた言葉の「わしが彼女のハート」ぐらいで、ミロドは食い気味に尋ねた。

「魔王どこですか?」


 おそらく「女盗賊は積極的」という言葉がミロドの固く閉ざされた心の扉を開く鍵となったのであろう。

 老人は、なぜか突然まとまった話に、あまりピンと来ていないので、とりあえず、うんうんと頷くしかなかった。

ミロドは頭上に広がる黒雲を、吹き飛ばさんばかりの気合いの雄叫びをあげた。

「うおー!」






もちろん、老人はびっくりした。大声でびっくりした。 

 そしてあの紋章をタトゥーとして見ていた以前のミロドとは異なる凛々しい立ち姿でまっすぐと前を見つめた。

 ミロドの爛々と輝くその目は、もはや老人の姿を見ていなかった。そして魔王の姿も見ていなかった。彼が見ていたのは積極的な女盗賊であった。


 元勇者の老人はミロドに聞こえないほどの小さな声で呟いた。

「ああ・・・昔のわしを見ているようだ」


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