見出し画像

20世紀の元祖インフルエンサー、エドワード・バーネイズ

私が日々関わっている翻訳という仕事は単に文章に書かれていることを訳すというにとどまらず、原文に書かれている記述内容について調べたり、その情報の真偽を確認したりする作業が多く、正確な情報や知識が非常に重要な意味を持っています。

ネットが社会インフラとなった現在、ネット上には膨大な情報が公開されていますが、その中には、正確な情報もあれば、明らかに間違った情報や意図的な悪質なデマやプロパガンダもあり、慎重に情報の真偽やその背景を確かめることが重要です。SNSでも、正確な情報が流される一方で、デマや間違った情報が拡散することは今や珍しいことではありません。常に情報の真偽を良い意味で疑って、情報を安易に信じるのではなく、批判的に検証する姿勢がますます重要になっています。

そういう情報リタラシーについて考える時、重要な示唆を与えてくれる記事をネットで読んだので、今回の投稿では、「History Today」というロンドンに拠点を置く月刊歴史雑誌の記事“The Original Influencer”の要点を以下にまとめてみました。

元祖インフルエンサー、エドワード・バーネイズ

20世紀に最も影響力のあった人物の一人で、現代の大衆心理操作の元祖インフルエンサー、エドワード・バーネイズは亡くなって20年以上になるが、彼の影響は今でも現代の欧米の消費文化に浸透している。

「タバコをぷかぷかと吹かす少女たち、『自由の印』」という見出しが1929年4月1日付のニューヨーク・タイムズ紙の一面を飾った。解放された女性たちがタバコを吹かす光景を捉えた写真は、バーネイズの最も有名な広告テクニックの一つだ。

この広告の依頼主であるアメリカン・タバコ社長のジョージ・ヒルは、バーネイズに次のような相談を持ち掛けた。

「どうやったら女性が街中でタバコを吸うようになるのか。女性たちは今、屋内でタバコを吸っているが、もし屋外で半分過ごし、その時にタバコを吸うようにさせることができれば、女性の市場を二倍近く拡大することができる。その方法を考えて、なんとかしてくれ!」

そこで、バーネイズはその方策について熟考し、精神科医アブラハム・ブリル(自身の叔父である精神科医ジークムント・フロイトの門弟の一人)に相談を持ち掛けた。「女性の喫煙の欲求の根底にある心理学的な基盤とは何なのか?」というバーネイズの質問に対して、ブリルは、「男性と同じ立場に立てるタバコは自由のたいまつだ」と答えた。バーネイズはここから、「ニューヨークの復活祭のパレードで、若いフェミニストたちがタバコ、つまり、自由のたいまつに火をつけて、公共の場で解放の行動を見せつけるようにすれば、全国紙に報道されるだろう」というアイデアを思いついた。

そこで、秘書のバーサ・ハントに命じて、女性権利擁護者として「フェミニストの自由のたいまつ運動」の同志を演じさせた。

復活祭パレードでの女性解放運動家を装った喫煙行進

1929年3月31日(日)が復活祭パレードでの喫煙行進実行の日として設定された。バーネイズ本人はこのパレードの現場には姿を現わさなかったが、あらかじめ選んで電報でパレードでの行進を知らせておいた十人の若い女性たちが次々とタバコに火をつけながら五番街を練り歩く様子がどんなものだったのかについて後で報告を受けた。このパレードでバーサ・ハントは運動の創始者のふりをして役割を演じきった。

ニューヨーク・ワールド紙の記者がハントに、女性のタバコ行進のアイデアをどうやって思いついたのか尋ねると、「街を歩きながらタバコを吸っている時、一緒に歩いていた男性から恥ずかしいからタバコの火を消してくれないかと言われたのがきっかけで、このアイデアを思いつきました。それから友達に相談して、この状況に対して行動する時が来たと思ったのです」と答えた。

画像1

ニューヨークの新聞各紙が、この若い女性たちによる「自由のたいまつ」行進について報道したが、そこにはバーネイズの名前もアメリカン・タバコの名前も書かれておらず、バーネイズの仕掛けた偽装工作はばれていなかった。

この「自由のたいまつ」運動は宣伝広告の歴史に伝説として残る画期的な出来事となり、今でもマーケティングの教科書に載っている。そこでは、国民的な議論を引き起こし、解放されて自由になった女性が公共の場でタバコを吸う動きが活発になったと言われている。このバーネイズの仕掛けた手法は、1920年代の先駆的な宣伝の歴史に新たな一章を書き加えた。バーネイズよりも前に既に同じ手法を用いた者はいたが、バーネイズの場合には、それを理論的に強化し、哲学的な枠組みを構築し、大衆操作の新しい技法を考えることによって、心理学の研究結果に加工処理を施したのだった。広告業界以外では事実上見えない存在だったが、バーネイズは現代の大衆操作テクニックの世界で影響力を持つ有力者となり、それがさらに広告業界を刺激した。

フロイトの影響を受けたバーネイズ

バーネイズは精神科医ジークムント・フロイトとの関係が深い。フロイトの妹アンナがバーネイズの母親で、バーネイズの父親エリー(穀物商人)がフロイトの妻マーサの兄だった。バーネイズは1891年にウィーンで生まれ、その翌年に両親とアメリカに移住した。1995年3月9日にマサチューセッツで亡くなった(享年103歳)。また、フロイト家の血を引くマシュー・フロイトもバーネイズと同じく、イギリスの宣伝業界で最も成功した実業家の一人とされている。

バーネイズは有名な叔父フロイトの影響で、無意識、人間に共通して見られる願望、感情や本能の持つ力を理解するようになった。造花や競馬馬、蓄音機、イデオロギーでさえも、売れるものには何にでも、これらを利用した。彼は出来事そのものを作り出すという独自の演出法を持っていて、それを「状況そのものを創り出す」こと、すなわち、依頼主の要望にしたがって人間の行動に影響を及ぼす一見自然発生的に見える出来事を演出することだと言っている。それ以前の広告は、商品とその機能的な利点を褒めそやすという直接的なものだったので、この手法は革新的なものだった。バーネイズの場合には、このような従来の手法とは対照的に、人間の無意識に働きかけるという間接的な技法を編み出した。

画像2

フランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンの大衆心理学の原理に影響を受けたバーネイズは、象徴的な人物を操作して人々の無意識の願望や恐怖心に働きかければ、人間の行動を効果的に操ることができると考えていた。バーネイズは、依頼主の利益の代弁者として影響力のある第三者を使うという手法を広告に応用した。「真相を隠すための表向きの集団」、すなわち、公益を支えると称している一見独立した機関を使い始めた。こういう機関は一見当たり障りのない組織に思えるが、実際には、バーネイズが宣伝目的のためだけに創った組織だった。

すると、大企業の経営者たちがバーネイズのこの技法に飛びつき、巨費を投じて助言を求めてきた。時代は第一次世界大戦後であり、1920年には深刻な不況に襲われた。そういう中でアメリカの大企業家の抱える問題の一つが、平均的な国民の消費意欲だった。多くの市民が、自分が必要としているものしか買わず、経営者たちはこの消費行動を変えたかった。

プロパガンダの伝道師

バーネイズはそういう手法を理解していた。彼は1910年代から人間の心理実験を行っており、第一次世界大戦中に単なる宣伝から戦略的な広報に焦点を移し、20代半ばには広報委員会(CPI)という米国政府の戦争プロパガンダ機関にも籍を置いていた。バーネイズは、CPIが国民を巧みに戦争への参戦に誘導していくのを見て、魅了された。最初は参戦を拒否していた国民が、短期間のうちに戦争への根拠なき熱狂へと突き進んでいったのだ。それを目の当たりにしたバーネイズは、「プロパガンダを戦争に使うことができるのなら、平和のためにも使うことができる」ということに気づいた。

画像3

バーネイズはキャンペーンの計画に専念した。彼はプロパガンダに対する情熱を隠そうとはせず、「プロパガンダの伝道師」を自称し、第一次世界大戦で悪いイメージが付いてしまったこの言葉の復権を図るぐらいだった。37歳の時に書いた著書『プロパガンダ』で、バーネイズは「プロパガンダは決して絶えることはない。聡明な者は、プロパガンダこそ生産的な目的のために戦い、混沌から秩序をもたらすための現代の手段だと悟るはずだ」と書いている。

叔父ジークムント・フロイトは、この「明瞭で巧妙でわかりやすい本」を書いたことを称えている。フロイトは、自分の甥(彼と同じユダヤ人)がその数年後にまさかナチの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスを触発することになろうとは予期することができなかっただろう。実際、バーネイズは1933年にゲッベルスが彼の広報に関する第一級の本『世論の結晶化』をドイツのユダヤ人壊滅計画の基礎に用いていると知った。

このことを知ったバーネイズは1965年に書いた自叙伝で、「ショックだったが、人間のどんな行動も社会的な目的に利用することもできれば、反社会的な目的に悪用することもできるものだ」と書いている。

画像4

湾岸戦争にも応用されたバーネイズのプロパガンダ技法

このようにして現代の政治的な広報の誕生へとつながり、バーネイズの手法は近年でも闇の歴史に残るプロパガンダを生んでいる。1990年10月に米国議会の公聴会で、15歳のクウェート人少女ナイラが、クウェートの病院でボランティア看護婦として働いている時にイラク人兵士が保育器に入れられた赤ん坊を取り出し、そのまま床に放置して死に至らしめるのを見たと証言した。700社を超えるテレビ局がこの「ナイラ証言」を放送し、全米に衝撃を与え、世論がサダム・フセイン下のイラクに対する軍事行動を支持するに至った。

それから三ヶ月後に砂漠の嵐作戦が開始されたが、そこで問題が起こった。イラク人兵士が赤ん坊を死に至らしめたというナイラ証言は事実ではなく、この15歳の少女は駐米クウェート大使の娘だということが明らかになったのだ。しかし、それは、湾岸戦争終結後の1992年1月になって、ニューヨークの広告会社ヒル・アンド・ノウルトンがこの話の裏に絡んでいることがわかるまで明らかにされなかった。

このヒル・アンド・ノウルトンの顧客は真相を隠すための表向きの団体「自由なクウェート市民」で、この団体は亡命クウェート政府から資金提供を受けている組織だった。この組織がアメリカ世論を説得したことで、イラク攻撃が実際に行われたのだ。これこそ、バーネイズの言う「合意形成の操作」だ。これをバーネイズの理論で分析すると、感情の利用は恐怖心に、現実味のある象徴的な人物が15歳の看護婦に、一見当然のことに見える出来事が議会での証言に当てはまる。

画像5

バーネイズの考え方が生活の隅々まで浸食

バーネイズの80年以上のキャリアの中で、彼の考え方は現代の欧米社会の特質に変化をもたらしたが、その時点で現実そのものの本質自体が既に変わり始めていた。本当の出来事とは何か、また一見本当らしく見える出来事とは何か? 情報とは何か、また操作され偽装された情報と何か? インターネット上に公開された本物の情報は企業によって操作された情報と見分けがつかず、独立した政治ブログは有料ブログと混在している。科学的な調査内容は通信社を通じてジャーナリストに伝えられるが、それは純粋な科学と商業上の利益の両方を代弁している。歴史家スチュアート・エウェンは、バーネイズの『世論の結晶化』についての序論の中で、「21世紀はバーネイズの考え方が我々の生活の隅々まで浸食するのを目撃した」と書いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?