メンターは88歳・❷
第1章はこちら
第2章 なおさんに教わる時短術とパラレルキャリア戦略
・「わたしはパラレルワーカー」な88歳のなおえさん
次の日もバス停で会ったなおえさんと駅までのあいだに会話した。今日はふたりで並んで座れた。眠そうな他の乗客の邪魔にならないように小声で話す。
なおえさんの話は、わたしの凝り固まった考え方や見る世界を一瞬で変えてしまった。たった20分、バスの中で話しただけで、ずっとグレーだったわたしの目の前には青い空が見えた気がした。
なおえさんは現代の新しい働き方、パラレルワーカーをしている。なんと88歳だって。嘘でしょ。
パラレルワーカーとは、一つの職業に縛られずに、複数の仕事を並行して行う人のことをいうらしい。なおえさんは、戦後、戦争未亡人にあてがわれた小さな商店を営みながら、ひとりで8人の子どもを育て上げた。60代からは地域の公民館で短歌の教室やオンラインで子育て相談や受験相談をしていた。しかもボランティアではない。
「そんなことでどう稼げるの? 」というようなことを商売にしていた。
嘘でしょ? 信じられなーい! 頭を戸棚にぶつけて目から星が飛んだような衝撃。驚きを隠せない。「ええ? 」と思わず大きな声が出てしまう。
周りの乗客が一斉にわたしを見た。なおえさんはただ微笑んでいる。
なおえさんにとって、パラレルワーカーとしての働き方は、経済的にも精神的にも大きな充実感を得ているようだ。
小さな商店には、なじみの客がいるらしい。彼女の笑顔や彼女との会話を楽しみに来るのだろうし、短歌の教室でも、なおえさんの豊かな経験と知識が生徒たちに伝わっているのだろうか。満席でキャンセル待ちの人気講座だそう。マジか。
前のめりでなおえさんの話を聞いていたわたしは思わずバスの座席に体を深く沈めた。正面を見る。
なおえさんの働き方は、年齢に関係なく、情熱を持って活動することで、いくつになっても充実した生活を送れる素晴らしいことだとわかる。自分の才能と経験を活かしながら、社会に貢献し、自分自身の人生を豊かに彩っている。
「信じられないでしょう? 人生っていくらでもおもしろくできるのよ」となおえさんは目を輝かせて言った。ずっとグレーな空の下、薄い氷が張った池の上を歩いているようだったわたしの毎日。圧倒されて、なぜだろう、涙がこぼれた。
ただの通勤バスの中で魔法をかけられている。
なおえさんの人生の物語は、わたしにとって忘れられない宝の地図となった。
なおえさんに教わって経済的自立を目指してみよう。まずはライフプランを作ってみる。
自分の望む【ライフプラン】を紙に書き出してみる。
小さなノートに、自分の夢や目標、そして目標を達成するために必要なステップを丁寧に書いてみること。
なおえさんはわからないことがあればインターネットで調べ、知識を深めるそうだ。インターネットがなかった時代は広辞苑という辞書かイミダスや知恵蔵という書籍で調べたらしい。
新しいスキルを学ぶためのオンラインコースやセミナー、自分の健康や趣味に関する活動を見つけ出す。挑戦してみたいことをノートに書き加えていくと、わたしの心は少しずつだけど希望で満たされていった。
ノートを開く。書く。
はじめて、本当にはじめて自分自身に向き合うことができた。自分が望むものがなにかを探り始めた記念すべき一歩。
ライフプランを作成することは、ただの計画以上のものとなった。自分自身との約束であって、自己実現への道筋を示すものだ。
時間があればノートを見て、自分の未来に思いを馳せる。
不安や恐れはまだまだ根深く残っているけれど、それ以上に新しい可能性に心躍らせている。わたしは自分の人生を自分の手で切り開く決意を固めていた。
・ウィッシュリストとタスクリストとエンディングノート
人生をより意味深く、計画的に生きるために、ウィッシュリストとタスクリストも作成することにした。年に一度、そして3か月ごとに見直し、更新するといいわよとなおえさんが言っていた。
「ウィッシュリストは、夢を現実に変える魔法のリストなの。わかめさんの願いごとを書き留めてみて。大切なのは、ただ書くだけじゃなく、それぞれの願いを叶えるための「具体的な行動」も考えてタスクリストを書くのよ。
たとえば「英語を話せるようになりたい」と思ったら「毎日15分英語のポッドキャストを聞く」という行動をタスクリストに加えるとかね。
ウィッシュリストはわかめさんの夢を叶えるための最初の一歩を記録することなのよ。毎日少しずつでもいいから、タスクリストを確認して、願いに向かって進んでみてね。
夢を見ることは、未来への扉を開く鍵なの。わかめさんの可能性を広げてくれるからね。」
ただリストを作るだけでなく、必ずそれらを振り返り、自分が進んでいる方向を確認する。
思いきってエンディングノートを書いた。まだ30歳前のわたしには不要かもしれないけれど、エンディングノートは人生の終わりに向けての備えであり、死ぬときに後悔しないための道しるべになりそうだ。
なおえさんに薦められた「死ぬときに後悔すること25」という本に触発され、自分の人生で大切にしたいこと、達成したいことを明確にしていった。
ウィッシュリストには、旅行、新しい趣味、友人との関係構築など心を満たすことが並んでいる。タスクリストには、それらを実現するための具体的なステップが記されている。
エンディングノートには、人生観、価値観、そして大切にしたい最期のルールが綴られた。
驚くことに、なおえさんは、エンディングノートと延命治療を望まないことや遺言書などを信用金庫の貸金庫に入れていた。貸金庫の暗証番号を一番信頼している長男のパートナーみわこさんにだけ伝えているそうだ。
みわこさんも50代なので、みわこさんの娘であるお孫さんのさとみさんにも伝えておこうかと考えていると話していた。なおえさんって、なおえさんって、かっこよい。
結果的に、これらのリストとノートを通じて、わたしは遅まきながら自分自身の内面と向き合い、人生の意味を深めていこうと一歩踏み出す勇気を持てた。
自分の人生を豊かにするために、意識的に時間を使い、自分自身の成長を促していけそうだ。
スマホ中毒で誰かのSNSを覗いてばかりいたわたしはどこに行ったんだ?
会社の帰り道、華やかなお店のウィンドウに映るわたしはとびきりの笑顔だった。
・なおえさんの財テク
「あまり詳しくないけどね」ある日なおえさんに教わった節約術は衝撃的だった。なおえさんは「節約するくらいなら稼ぐ」というポリシーを持っていた。びっくり。
子だくさんの未亡人は、子どもたち全員を塾や習い事に行かせられないからと、まずは自分が習いに行って子どもたちに教えたという。水泳、剣道、そろばん、英語。
これは相当な節約術ではないかと絶句した。
詳しくないと言いながら、お子さんやお孫さんの誕生時にはここと決めた会社の株を買い、金を買っていた。そのときは『あるじゃん』という雑誌で勉強したそうだ。本当に勉強熱心。
「子どもたちが生まれたとき、それぞれの成人の記念に渡そうと株式を購入したの」となおえさんは語る。単なる投資ではなく、子どもたちへの愛情深いプレゼントだ。時間が経つにつれ、それらの株は価値を増し、子どもたちにとって大きな資産となったそうだ。
「そしてね、結婚するときにその株を彼らに譲渡したのよ」と微笑んだ。
金銭の贈り物以上の意味を持っていたのではないか。子どもたちへの信頼と、彼らの新たな人生のスタートへの支援だったんだ。
なおえさんはお孫さんやひ孫さんたちと「つみたてNISA」や「iDeCo」「NFT」の情報交換をしているそうだ。
「学生や子どもはリベ大に無料で入れるのよね」インターネットのお金の学校であるリベシティにはシニア割がないとネタにしていた。投資は「失敗してもいいくらいの金額にすることなのよ、なんでもほどほどが一番よ」と。これには激しく同意する。
「なんでも普通が一番」実母はよくそう言った。ドのつく田舎で生活していたわたしはいつも「普通ってなによ? 」とイラついたものだ。それにしてもなおえさんと母の「ほどほど」と「普通」の言葉の違いはなんだろう。
・好きな場所で働くための準備と時短術
ある日、時短の秘訣について教わった。なおえさんにとって、時間を有効に使うことは、一にも二にも「日々の片づけと整理整頓」にあるという。仕事とプライベートのバランスを取りながら、好きな場所で効率よく働く秘訣だそう。
「要らないものを手放すことで、家の中がスッキリして、心も軽くなるのよ」なおえさんは微笑みながら言った。
なおえさん自身の暮らしも、必要なものだけに囲まれたシンプルなもので、それが彼女の時間を効率的に使うことを可能にしている。
さらに、掃除や整理整頓が、心を整え、クリアな思考を促すと説明した。なおえさん自身、毎日少しずつでも家を整えることで、その日一日が有意義になるという。
なおえさんの話は、時短のテクニック以上のものを含んでいた。長い人生を送ってきた中で培われた、心と時間を大切にする生き方の知恵。
この話は、わたしに日々の生活を見直すきっかけをくれた。
・なおえさんに教わった時間を短縮するための簡単な習慣8つ
1 予定を立てる:毎日のタスクリストを作成し、優先順位をつけてみる
2 タイマーを使う:仕事や家事に集中するために、タイマーを設定して時間を区切ってみる
3 ルーティーンの見える化:決まった作業のチェックリストを作って、家事や育児の予測可能な部分を効率的にこなしておく
4 ものを整理する:不要なものを整理し、家の中をスッキリさせると片づけが早くなるから。
5 協力を求める:家族やパートナーに協力をお願いし、仕事を分担できるといいかも
6 便利ツールを利用する:家電製品やアプリを活用して家事を効率化
7 休息を大切に:自分自身のカラダと心の健康を守るために、休みをきちんと取ること。ぼーっとするのも大事。
8 学びを続ける:新しい方法の情報収集、家事や育児のスキルを向上させられると時短はさらに進むかも。
・ポジティブなマインドセットを心がける
朝のバスに乗り込むと、いつものようになおえさんがいた。88歳だというのに毎朝丁寧にお化粧をして、ポジティブなマインドがそう見せるのか、周囲の乗客にも明るいエネルギーを与えていると思う。
なおえさんの服装は、無印良品のシンプルで洗練されたもの。それに合わせて、センスのよいスカーフやピアスを身につけている。とくに目を引いたのは、左手の薬指に入れられた指輪のデザインのタトゥー。それは過去の愛を象徴しているかのようで、なおえさんの人生には深い物語が込められていることを感じさせるのだ。
なおえさんは、必要なものは4段チェストひとつに収められているという。
なおえさんの人生が凝縮されているようなチェストを思い描く。わたしはなおえさんがそのチェストから必要なものを取り出し、それを大切に扱う姿を想像した。
毎日バスの中で小さな光となっているかのようななおえさん。わたしや他の乗客たちにも穏やかな時間を提供してくれた。なおえさんのポジティブなマインドセットは、きっとなおえさんの毎日を豊かにし、周囲にも幸せを運んでいるのだろう。
わたしはなおえさんに会う前の自分のつまらない思考力を恥じた。
「嫁ぎ先にね、ねえやがついてきてね……」結婚する娘になおえさんのご実家から「姉ぇや」と呼ぶお手伝いさんをつけてきたそうだ。時代劇かと「聞き間違い? 冗談でしょう? 」と耳をほじるマネをして見せたら、なおえさんが「もうわかめさんたら!」とわたしの肩をたたいた。親しくなったバス友のやさしい手のぬくもり。
ご主人と死別されて、ひとりでの子育てはどれほど大変だったのだろう。
世が世なら母親や娘たちは体を売るしかなかったのではないだろうか。
宮尾登美子さんの小説を思い出し、勝手に女衒を登場させる。
実家で認知症だった祖母も早くに祖父と死別して苦労したと言った。
「おばあさんなんかおしんよりひどい目に遭ってきたんやで」と言っていたっけ。
なおえさんは「苦労した」と言わないし、そもそも「苦労した」なんて思っていなさそう。いつも笑顔であたたかい空気感をまとっている。
そのあたりを聞いてみると「怒っても泣いてもなにも変わらないって知っていたからよ」と言った。そう、夫が戦死したのも、実家が戦争中に燃えたのも、ひとりぼっちの子育ても、どんなに怒っても、どんなに泣いても、どうにもならないから「感情を隣においた」そうだ。
夫がいなくなったあと、夫の実家の舅姑小姑たちから親戚づきあいを過剰に要求されてからは、夫に申し訳ないと心で詫びて縁を切ったという。
いまの時代なら「モラハラだー」って言って逃げればいいと思うけど、当時は「とんでもない嫁だ」と罵られ嫌がらせをされたらしい。
「怒りについて学校で教わったことないでしょ? だから怒りとのつきあい方がわからないの。わからなければ勉強すればいいのよ」とアンガーマネジメントといった感情コントロールのトレーニングがあることを教えてくれた。
「あとはね、子どもたちには嫌がられているんだけど、「六曜」をチェックしてお日柄重視で行動するといいこと。朔日(1日)には氏神様詣でをして、月末にもご挨拶、あと一番大事なことは……」
「商いをしているからお金のやり取りをしてきたでしょ。上がりで食べてこられたから。お客様にお釣りをお渡しするときはきれいなお札、きれいな硬貨にしたのよね。
新札じゃなくてもきれいめなお札を渡す。それだけで違うの。」
子どもたちのために自分が習い事に通ったときに先生にお渡しするお月謝はいつも新札にしたし、町会費、飲み会の会費などももちろん新札だった。
「いまじゃペイペイだけどね」とペイペイの決済音をマネして笑っている。
最高だよ、なおえさん。
第3章はこちら
第4章
よろしければサポートお願いいたします!