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いいかげん08年ショック,92年ショックから解き放たれたい。阪神ファンは「絶望」と「希望」を繰り返す。

阪神タイガースが「自分の分身」だと思っている。運命共同体だ。大げさだけど、勝つと有頂天で「希望」にあふれ、負けるとこの世の終わりのように「絶望」する。
 
こんにちは。ひらじむです。阪神ファンになったきっかけは、投げると帽子がコロンと落ちる小林繁投手のピッチングフォームでした。

スポーツ報知より 小林繫投手(故人)

阪神ファン歴40年超。阪神ファンとしてのアタオカ(頭おかしい)度は愛息二人が阪神の選手の名前をいただいているところでしょうか。 

暗黒時代脱出錯覚の92年ショック

1985年の日本一が「夢か幻だったのではないか」と思いはじめた1987年から2001年まで、阪神タイガースは万年最下位のBクラス常連。
いわゆる「暗黒時代」は毎日「絶望」していた。
ミスタータイガースの掛布選手の引退時のセレモニーがしょぼすぎて、心底ショックを受けたことをいまでも思い出す。

そんな「絶望」ばかりだった暗黒時代でも「希望」に満ちたシーズンがあった。1992年だ。

前年1991年はダントツのトツで最下位だったが、
翌年1992年は仲田、湯舟、中込、野田、葛西など投手陣が大奮闘すると、亀山、新庄(現日ハム監督)の「亀新フィーバー」を巻き起こし盛り上がる。9月はじめはなんと首位ターン。

首位!

このままいけば優勝できると信じていた。
でも9月後半のアウェイの試合は大きく負け越し失速、2位に終わった。
優勝したのは野村克也監督率いるヤクルト。
有頂天だったわたしはまた「絶望」の渕へ転落した。

暗黒時代が終わったのかと錯覚していたからかショックが大きかった。大きすぎた。

1992年ショックを30年経っても忘れていない。
思い出すたびに「イタタタ」と胸が痛む。

92年ショックの後に2回の優勝

わたしの「92年ショック」の立役者だった野村監督(ノムさん)。
そのノムさんが阪神に来てくれたのは1999年。
監督が代わってスカウトの仕方が変わった。ノムさんが取った選手たちが2003年の星野さんのときに活躍して優勝できた。2005年岡田さんでまた優勝できた。
わたしは「希望」であふれていた。有頂天だった。

阪神ファンの多くが「今年も行けるんじゃないか」と浮かれていた2008年もぶっちぎっていた。オールスターゲーム前に優勝マジックが点灯したのだ。

それなのに、オールスターゲームと北京オリンピックで主力がチームから離れていたことが影響して「ARERE」という間に転落。

巨人があの有名な「メークレジェンド」をしてしまったのだ。

この2008ショックも一生忘れない。
認知症になったとしても忘れられない自信がある。

08年ショックの立役者

なんの縁か、北京オリンピックでケガをして帰ってきたのは新井(現広島カープ監督)。就任一年目を迎えた新井監督と岡田監督が共に戦うとはなんたることだ。

2023年シーズンがはじまる前のオープン戦で見かけた新人監督にプロ野球ファンとして注目した。
降板時にベンチに戻った先発投手にいちいち声をかけにいく。
新井監督はやっぱりほんとうに「いい人」だと嬉しくなる。
チームメイトだった阪神のOBたちが新井監督に会いたいのだろうか、イジりたいのか、広島戦の解説によく出ているのは気のせいではないはずだ。
あのお人柄が野球の神様に好かれているとしたら……不安は消えずない。

ちなみに、この2008年のオフは大型投手をFAで獲得できなかった。
獲得できなかったのは、現横浜DeNAの三浦監督。なんだろうか。
三浦監督には超阪神ファンで岡田監督の後援会岡田会の会員なるお父上がいらっしゃるのに。これもなんたることだ。

イカレテいる

「5月の負けない阪神、打つ手打つ手がはまる、いつ見るんだよハードディスクにたまった勝ちゲーム!」ひとりラップ調で口ずさむ。
 
阪神タイガースの2023年5月の戦績は19勝5敗。負けた5敗は青柳、西勇がそれぞれ2敗、村上が援護なく0-1で負けたのみ。今年こそ「ARE」と「希望」でキラキラしていた。
 
やってきた2023年交流戦。
ロッテ戦で佐々木朗希投手に勝ったところで有頂天マックス。
「希望」でキラキラしていた。「あのロウキに勝った!」わーい!わーい!だった。

それが一転。雨で流れた初戦の振替3戦目が5時間にわたる死闘のすえ7-7同点ドロー。チームがヘトヘトのまま向かった仙台の楽天戦はサヨナラ被弾、移動日ナシで札幌へ移動しての日ハム戦を戦う。休みなしの9連戦。結果、パ・リーグ下位チームの楽天と日ハムに負け越した。
92年に「虎のプリンス」と呼ばれていた新庄が30年後に「ビッグボス」と呼ばれ、エスコンフィールドで俊足守備上手な選手たちと高校野球のような真摯な野球をしているのが胸アツだった。

コトシニカケテいる


 2005年に優勝してから18年経った。産まれた子が高校生になるくらいの時間。それだけ優勝できていない。
 
交流戦明けにハマスタで横浜DeNAに3連敗して「絶望」した。
その後のカードが最下位チームの中日戦だったので、まだ「希望」が持てた。

こうしてわたしの心はジェットコースターに乗っているかのように、2023年も「絶望」と「希望」を繰り返す。
 
ここ数年、ドラフトと育成の成功でありがたいくらいの投手王国。
藤浪投手が不調になってから、藤浪投手に負担をかけない投手陣にしてくれていたのは前監督と投手コーチ陣。ここには深謝。

ひたむきにバットを振る主砲とマイペースな職人肌の主力選手がひっぱる2023年の阪神タイガース。駒を動かすことに長けている将が就任し、今年こそ「ARE」してほしいと心から願う。
 
いいかげんわたしの92ショックと08ショックを吹き飛ばしてもらいたい。
そろそろ見たいぞ。阪神の選手たちが将を胴上げしている姿を、歓喜の輪のなかのみんなの笑顔を。


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文春野球さんのフレッシュオールスターに応募した原稿です。
残念ながら、採用とならなかったので、noteにアップして供養します。

ひとりよがりな阪神タイガース愛を語りました。
お読みいただきましてありがとうございます。
今年こそAREできますように。

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