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勝手にコラボ・・・77歳ばあばの絵手紙&ぷちルーツ探しの旅【富山県射水市編】

 実家のある富山県射水市に帰省しましたので、ご紹介します。タイトルから連想されたかもしれませんが、有名な、山田幸子さんもののふ椿さんお二人のnote記事を参考に【富山県射水市編】として編集してみました。

1.富山県射水市って何がある?

 まず海王丸パークです。富山県射水市の写真家イナガキヤストさんも下図①のとおり写真に収めていますが、さすがはプロ。表紙の”イナガキヒラク”(私の事です。写真ど素人!)撮影したものと全然迫力が違います。

図①:富山県射水市の写真家、イナガキヤストさんが撮影した「海王丸」です。
図②:イナガキヤストさんは「富山の本気」で立山連峰等、富山県の景色を撮影しています。

 また富山県に北陸新幹線が2015年3月に開通。富山⇔東京の往復においても今まで新潟県の「越後湯沢駅」まで経由しなければいけませんでしたが、交通の便がとても良くなりました。

図③:富山県の新高岡駅にてイナガキヒラク(私)が撮影(以下同様)。
図④:駅弁の富山名産「ます寿し」が有名です。

 あと富山といえば、お米や魚、お酒など食べ物が美味しいイメージがあると思います。が、グルメ情報は他でも採れますので、ここではあえて「特徴的な」コンビニ棚をご紹介。下図⑤は、おかきコーナーになります。

図⑤:お隣、金沢市発祥の「ゴーゴーカレー」コラボのいか天と、おかき「ビーバー」。

2.77歳ばあばの絵手紙教室の作品紹介

 私の母は今年77歳。絵手紙教室に通っています。山田幸子さんに倣って、特に母がお気に入りの作品をnote記事でご紹介します。

図⑥:『手紙は人を変えていく。心の中まで変えていく。』
図⑦:『乙姫さまのお使いで富山湾にやって来ました。』
図⑧:サイズ感が分かるように「氷見うどん」を並べています。

3.ぷちルーツ探しの旅:富山県射水市

 以下、もののふ椿さんに倣って自身のルーツ探しの旅に出ます。でも私自身は歴史に詳しい訳でもなく、調査力やコンテンツ力ももののふ椿さんに遠く及ばないので「”ぷち”ルーツ探しの旅」と命名。では、ご笑覧ください。

 富山県射水市。海王丸パークがあり、富山湾に面しています。

図⑨:海王丸パーク付近には「新湊大橋」が掛かっています。

 海王丸パークから車で30分走ったところに実家があり、風景は一変、田園風景が広がっています。下図⑪の通り、北陸新幹線が通っています。

図⑩:実家近くより撮影(北方向)。
図⑪:実家近くより撮影(南方向)。北陸新幹線が通っています。

 そして実家近くには、石碑(お墓)があります。誰のお墓でしょう?

図⑫:石碑(お墓)全体の外観。誰のお墓でしょう?

 見ると「稲垣示翁之碑」とあります。稲垣示(しめす)のお墓です。

図⑬:見ると「稲垣示翁之碑」。稲垣示のお墓です。
図⑭:稲垣示は「自由民権運動の先駆者」との説明書きがあります。
図⑮:稲垣示(1849年ー1902年)

 説明によりますと、1879年に板垣退助の民権運動に呼応して国会開設の請願に加わり、1880年には政治結社「北立社」を創立。そして1882年に板垣退助の自由党結成に応じ、富山県内初の「北立自由党」を結成したとあります。つまり板垣退助に呼応して、自由民権運動を進めた人なんですね。

図⑯:板垣退助(1837年ー1919年)
図⑰:自由民権運動(演説会の光景)より。

 で、肝心のルーツ探しの旅。稲垣示の子孫??などなど疑問も出てきますが、富山県射水市では「稲垣」の姓が多く、特に実家の近所も「稲垣」だらけ。もし「稲垣さん!」と呼ぼうなら、全員振り向く状況です・・・本当に。
 これ以上は深掘りできないので「ぷちルーツ探しの旅」は終了します。

<以上となります。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。>


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