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受け手の工夫と、作り手の工夫。

あるスマートフォン(ロールプレイングです)のゲームにハマってます。
通勤電車に乗っている時間や、帰宅した後は大体、そのゲームをプレイしていました。
ですが最近、ストーリーを進められるとこまで進めてしまって、やることが無くなってしまいました。早く次のストーリーが配信されないかと心待ちにしていますが、そうすぐに新しくものが出来るわけもなく。
そこで思ったのは、誰かがつくったものを楽しむだけだと、次々と新しいコンテンツを見つけないといけないということ(そうそう自分の好みにあるものは見つからないし)。

逆に自分で絵を描いたり文書を書いたり、料理をつくったり、何かを自分でつくる楽しみは減りにくいなぁと。やればやるほど、出来ることが増えて、自分に欠けているところも見えてきて、そこを補おうとしたり。自分なりに工夫できる点がどんどん増えていく。まぁキリがないです。
一方、ゲームにもやり込み要素があって、アイテムをコンプリートしたり、キャラクターを強くしたり。ただ、大抵はかなりの運と根気が必要で、ぼくはあまり楽しめないです。

要は、楽しみを提供される側は、コンテンツを消費すればするほど、楽しみが少なくなる傾向にあるはずです。受け手側は、楽しみ方を工夫するにも限りがあります。
逆に、自分で何かをつくることを楽しめるなら、工夫の余地はものすごくある。これは作り手側の楽しみ方といえると思います。
作り手の楽しみと、受け手の楽しみ、両方できるようになると、面白く暮らしていけるんじゃないかなぁと、ふと思いました。

おわります。

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