地震、近況など

とりあえずで黙っといてしばらく経って自然に宣伝とかできるようになっちゃう、というのがやっぱり嫌なので自分のためにまずは地震のことを書く。ズン。できれば触れたくないと認めざるを得ない。自分に影響のない災害が嫌なのは、簡単に言えば自分がクソ人間だと思い知らされてしんどいということに尽きる。最近の(独り言の)口癖は「しんどい」。体がしんどいのじゃなく、なんか小学校高学年の男子とかが言いそうな調子の「しんどい」。しんどいが口癖のおっさんほんとしんどいわー、みたいな。

12月は普通に仕事もやりたい作業も詰まってて元々忙しい予定だったのに、自分と家族の発熱やらインフルやらで何もできない日が続き、年越しも東京の自宅で大人しくしていた。元旦に地震。小学校時代を過ごしたあたりは金沢市内で、友達と連絡がつかんようになるというようなことはなかったけどそれでも通学路やった道が土砂崩れや地割れで何日も通れんようになっていた、らしい。能登の親戚と数日連絡がつかなかったという友達はもちろんいた。

命が助かった、よかったと言ってもこのクソ寒い時期に普段通りの日常が送れないだけでもものすごいストレスだったろう。離れた場所での気持ちの持ち方はよく取り沙汰されるがやっぱり普段通りに、というのは難しい。普段の過ごし方がモサモサしているおれのようなもんはなおさら。世間に対しての目つきが悪くて平時でさえあの子と遊んじゃダメよ扱いという自覚がある。



今回の地震は特に、当日〜2,3日の間に瓦礫の下から人が救助されたという報道がないと感じた。直接の死者の多数は大火事が原因だったということもあるだろうけれど、全体の行方不明者の規模が伝わってくるのが遅かった。正月休みということもあったのか。7日ごろだったと思うけど、大雪の予報が出て、金沢のベシャ雪を思い出した。かろうじて瓦礫の下で救助を待っていた人がいたとして、と考えては、また想像しているだけだおれは、胸を痛めることすら本当にしているのかわからない、東京にいてさえこれだけ寒い。3歳と0歳の子供たちと普段通りに遊んでいる。風邪が治って本当によかったねえ、などと言っている。

命が助からなかった人たちの中に、これまでの人生の中で自分が死ぬ瞬間のことを想像していた人もいただろうか。多分、その想像のどれにも当てはまらない終わり方だったんじゃなかろうか。火に焼かれて、または煙を吸って、または文字通り死ぬほど寒いなかで、こうして東京で簡単に想像して書いているやつのことを、やっぱり恨めしく思うんだろう。おれなら頭の血管がちぎれるくらい不快に思うんじゃないか。それも、想像でしかない。どやろ、もう本当に、ただただしんどい。何も考えたくないし、実際に何も考えていない時間が多い。この文章もいつも通り自分のためだけに書いて見せている。

音楽に対しては、去年の後半からまたかなり熱量が戻ってきてる。芸術には人を救う力はあると思う、でもおれが自分の表現でそれをやるのは楽しくなさそうだし、少なくとも今のおれにはもうそういうのはできそうにない。やりたい音楽を、集中してやっていこう、という気持ちで固まってきてる。その文脈で言えば今回の地震は揺さぶりをかけてきている。それでもやるぜ、と言ってもいいんだが、人がたくさん死んでいる地震のことを、ぼくちんの表現に対する姿勢に揺さぶりをかけてきているよ〜という受け止め、これでいいのか、良いわけないけど正直どうしようもない、とか、そんな次元のことしか考えられない。そんな次元のことしか考えられない、とかそんなことしか書けない。しょうもないんだけど、まあ。

顔も知らない死者に対してこんな不遜な人間がする祈りになんぼの価値もあるのか、ないんやろうけどじゃあ関係ないしという顔はやめる。ただ心の底から悼みたいと思っています。

今年はまず3月にライブが一本。今作っている曲群をなる早で形にしたい。今までやってきた音楽とはちょっとずつ違うものになっていくと思う。名義も変えるつもりだけどまだわからん。強く宣伝したいが、宣伝という行為は相変わらずめちゃめちゃしんどい。評判が立ってくれるのを願いつつ、自分で良いと思える音楽を作るのに専心する。宣伝もまあ、頑張る。

あと年明け仕事があってだいぶ救われた面もあったので、お仕事依頼も変わらずお待ちしてます。音作りはだいぶ良くなってきたと思う。

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